第39話 悪女、薬を見つける。

 なんで、ネリアが……?

 私にとって、彼女は三番目に嫌いな人間である。一番が国王。二番目が坊ちゃん婚約者。正直どっちが二番目でもいいかな、という低次元の争いなのだが、そこは最近の彼女の落ちぶれ具合に溜飲が下がりつつあった程度の……まぁ、どのみち嫌いには違いないのだけど。


 そんな彼女が父親に向かって告げる。


「お父様……やめてください。シシリーは変わったの。もう……泣いているだけの子じゃないのよ……あたくし、やり直したい。それをシシリーが許してくれるとは思えないけど――」

「許すよ」


 シシリーは即答だった。

 もう……この姉妹はばかじゃないかな。二人して顔を腫らして。ネリアは散々シシリーのこと都合よく使っていたのに。シシリーだって、落ちぶれたネリアを見て「ざまぁみろ」と思ったことだってあったのに……。


 そして、ネリアは優しく微笑むシシリーの顔を見上げては、わんわんと泣き始めた。まるで幼児のような騒がしさで。ぐしゃぐしゃになった顔や髪を一切気にすることなく、シシリーに「ごめんなさい。本当に今までごめんなさい……」と縋りついている。そんなネリアを、シシリーはどこか嬉しそうな顔で撫でていた。これじゃあ、どっちがお姉ちゃんかわからないね。双子だからどっちがどっちでもいいのだろうけども。


 そんな姉妹のワンシーンに、蚊帳の外になった父親は拗ねたらしい。


「もう知らん! お前らのことなんか知らん! 勝手にしろっ!」


 ドカッと椅子に座り、こちらに背中を向けてくる父親。傍から見たら、滑稽を通り越して惨めだね。そんな父の背を彼女らは一瞥することなく、二人は手と手をとって部屋を後にしていた。


 そして、気が付いたのは私だけだろう。

 彼女たちが廊下に出てきた瞬間、その母親が慌てて自分の部屋へと逃げていく。娘たちが必死に戦っていたのに、また見ているだけだったんだね。なんだかな。


 その後、シシリーとネリアの間にもまともな会話はなかった。


「わたし……ちょっと外の空気を吸ってくるよ」

「えぇ、あたくしは部屋で休んでるわ」


 ただ、それだけ。

 中庭に出て、木の幹を背に沈み込むように座ったシシリーは急に「あああああああああ!」と叫び出す。


(ど、どうしたの?)

(めちゃくちゃ恥ずかしかった!)

(怖かった、ではなく?)

(怖かったし、恥ずかしかったの! ねぇ、ノーラ。わたし何か痛いこと言ってなかった?)


 痛いこと……とシシリーの発言を思い返してみるも、どれもこれも……。


(すっっごくカッコよかったよ!)

(本当? わたしね、ノーラになったつもりで話してみてたんだけど、上手く出来ていたかな?)

(私っぽいかと言われたら……まだまだ甘いかなって思うけど)


 だって、優しすぎるんだもの。父親に対してもそうだし、ネリアに対してなんかもっとそうだ。それでも、身体を伸ばすシシリーは今まで見たことがないくらいスッキリとした顔をしていた。


(そっかぁ、稀代の悪女にはまだまだかぁ……)

(え、シシリー。そんなものになりたいの?)

(だってノーラが稀代の悪女なんでしょ?)


 その疑問符に私は頷きながらも顔をしかめたのに対して、シシリーの顔はとても穏やかだ。


(ノーラが昔何をしたのか。どんな出来事があったのか――わたしは全然知らないけどさ、わたしにとってノーラは憧れだよ)

(ふーん……)


 何かな……物凄く照れくさくて、シシリーの顔が見れない。

 すると、シシリーがクスクスと笑う。


(ねぇ、ノーラ。わたしね、あなたのことが……)


 だけど、その言葉は最後まで聞こえなかった。だってゆっくりと、シシリーの瞼が下りていく。そこから寝息が聞こえてくるのはあっという間だ。


(おやすみ、シシリー)


 まったく、たくさん泣いちゃってさ。まぶたも腫れているし、殴られた頬なんか青くなってきてるよ。それなのに……なんて気持ちよさそうな寝顔をしているんだか。


 夏の日差しは眩しいけれど、木陰に吹く風はきっと心地よいのだろう。

 たとえ今の私に身体がなくても、それは容易に想像ができることだった。




 そうして少しゆっくりした後、はネリアの部屋へと帰る。

 仮にもれっきとした令嬢が、外で長くお昼寝をするのはどうかと思ったからね。この時代に知られているかは定かではないけど、夏の日差しに長く照らされると、肌が火傷するのだ。その後、肌も黒く変色するし……シシリーにはなるべく可愛くいてもらいたいからね。


 だから顔の痕も早急に治療しなければと、ネリアの鏡を借りようかと考えていると。その部屋の前に、ちょこんと置かれたトレイに気が付く。


 ボウルの中には大量の氷嚢。煎じ薬。そして軟膏容器の中には練り薬が入っていた。薬の匂いを嗅いだり、少しだけ舐めてみたりするからに……炎症止めのようである。煎じ薬は痛み止め効果が強いのかな。両方ともけっこういい出来だね。


 そうこうしていると、心の中のシシリーが起きたようだ。


(……ノーラ?)

(ん、おはよう。部屋の前に薬が置いてあったんだけど、この屋敷に薬師でも雇っているの?)


 私の質問に、シシリーは一拍置いてから話し出す。


(……たぶんお母様。お母様ね、昔は薬師になりたかったんだって。でも親に無理やり嫁がされたから……あ、でもね。今はその実家もなくなっちゃったらしいよ。結婚後、お父様が約束を反故して援助を渋ったんだって)

(うわ、本当に最低だね……)


 まぁ、ママもパパの被害者とて、娘を守らなかったことを私が擁護することはないけれど。それでもやっぱりシシリーは複雑そうな顔をするから、私とはきっと別意見なのだろう。


(シシリーはママのことも好きなの?)

(うーん、好きかと言われたらわからないけれど……でもあの人に殴られたりだとか、嫌なことされたことは一度もないから)


 うーん、シシリーの好意の最低値がとても低い。本当正反対だよなぁ。


(もうっ、シシリーは優しすぎるんだからっ!)

(ノーラがそうやってわたしの分も怒ってくれるからだよ)

(え?)


 その言い分はちょっとよくわからなかったけれど。

 それでも心の中のシシリーはとても晴れやかに笑っていた。


(何でもなーい!)

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