第38話 悪女、黙って耐える。
さーて、鍵を開けよう! 秘密を扉を開いちゃおう。
この程度の鍵なんておちゃのこ……と思いつつも、私は一端手を止める。
(シシリー、このくらいもうできるよね?)
(えっ?)
(さぁ、やってみよう! 何かわからないことがあったらすぐに訊いてね!)
そうして、私は容赦なく身体の主導権をシシリーに明け渡す。
だってさ……シシリーがわかっているにしろ、いないにしろ。私が助けてあげられるのは『今』しかないのだ。私がいる間は上手く行っていたけど、結局一人になったら何もできませんでした――じゃ、話にならない。死ぬに死にきれない。
私が『今』を楽しむなんて、しょせん二の次でしかないのだ。
だって、そうこうしているうちにも――シシリーはおっかなびっくりながらも、あっという間に魔術の鍵を開けてしまうのだから。
(で、できたよ……?)
(よし、それじゃあ中に入ってみようか!)
私が促せば、シシリーは「失礼します」と扉をそっと開ける。中に誰もいないのにね。
中は予想通り雑多としていた。予想外なのは、意外とまともな書籍や書類が多いことか。経営や経済、史学の本など、領主らしい本が数多く並んでいる。
「あ、この書類……」
その中で、シシリーがふと執務室の書類に手を伸ばす。どれどれ……今までの納付された税をまとめた報告書だね。定期的に納付額を国に提出している感じなのかな。
あんなパパなりに、まじめに領主仕事は頑張っているんだね! と、私なりに少し見直していた時だった。青白い顔をしたシシリーがボソリと呟く。
「これ……不正してる……」
(……よくわかるね?)
「うん……去年までこの書類、わたしが里帰りした時に作成していたから……」
(あの、シシリーちゃん。有能すぎでは?)
私からの賛辞にシシリーはまるで喜ばない。出さなくていい声も出しているし、本当に気が動転しているのだろう。書類を捲る手が震えている。
「この税の割合でこんなに集まるはずがないのに……不正に税の取り立てしているのかな。そうだよね……こんな景気回復する対策なんて何もしてなかったもの……」
正直、私は経済面には疎い。稀代の悪女はただの魔法バカである。
だからこう、数年前の飢饉の影響で税収を下げていたのに云々とか、去年までの作物の取れ高からして云々とか説明されても、どうにも全てを理解することは難しいのだけど。
(つまり、パパは不正書類を提出して、お株を上げようとしているんだね?)
「うん……良経営だと認められれば、毎年報奨金を国から貰えるからね。多分、パパはそれが貰いたくて……しかも、これもう提出済み……」
(あら、じゃあズルがバレたら没落かな?)
「…………」
私が安易に告げた言葉にシシリーが固まる。
没落……正直、そう悪くないと思うんだけどね。あんなパパとママとお姉ちゃんなんかどうなろうと知ったこっちゃないし、シシリーの将来は私がどうにかするし。ただ、ここで一生懸命働いてくれている使用人さんたちが少し可哀想かな? でも……雇われなんてそういうモンだと言えばそういうモンである。そこまでをまだ学生であるシシリーが背負うことでもない。
それなのに……なぜか、シシリーが泣きそうな顔をしているから。
あー、私が悪かったのだろうと弁明する。
(今の政治がよくわからないけど、まだ申請して間もないんでしょ? 身内からごめんなさいすれば、あまり大事にはならないんじゃないの? 現実的に『はいすぐ領主取り潰し~』なんてことになったら、領民だって困るわけだし。まだ指導とか監査が入る程度でおさまらないのかな?)
「……そうするにしろ、とりあえずお父様にしっかり説明してもらわないとだよね」
鼻をすすったシシリーはとても立派な顔つきをしていた。
不正された書類を抱きしめて、踵を返す。どうやらこのまま自分でパパを追及するつもりらしい。……うん、がんばれ。がんばれ、シシリー。
肝心のパパは、未だネリアに説教をしているようだった。ただし、場所は執務室に動いた様子。ギャンギャン怒鳴り声が聴こえるからね。探す手間もなかったよ。
シシリーがノックしたところで、パパの怒声は止まらない。
だから固唾を呑んだシシリーは自ら扉を開ける。
「お父様……少々お尋ねしたいことが――」
「誰が入っていいと言った! 後にしろっ!」
当たりやしないけれど、シシリーに向かって本が投げつけられる。……本当に屋敷ごと吹き飛ばしていいかな、このおやじ。
私がいくらベーッと舌を出そうが相手に見えないのがまた悔しいが、一つだけ溜飲が下がるものを見つける。泣き崩れたネリアことシシリー姉が、顔に大きな痣を作っていた。殴られたな、これは。ざまぁみろと思わないでもないけど……シシリーはギュッと唇を噛み締めてから、父の元へと歩を進める。
「お父様、どうして書類の不正などしたのですか⁉ これがバレればトラバスタ家の評判どころか領民にまで迷惑がかかります!」
「どうして、お前がその書類を……」
シシリーが突きつけた書類に一瞬うろたえるパパだが、無駄にすぐ表情を引き締める。
「ふんっ、どこからバレるというんだ。我がトラバスタ家は代々国を支えてきた由緒ある侯爵家だ。たとえ汚れた村人や正義感の強い役人が声をあげたところで、どちらが王に信用してもらえるか……考えるまでもないだろう」
その低い鼻を根こそぎ抉ってしまいたくほど歪んだ笑みである。
だけど、シシリーは手足が震えるのを懸命に我慢したまま、毅然と声を張っていた。
「その信用を損なう行為を、お父様はしているのですよ!」
「やかましい! 子供が仕事に口を挟むなっ!」
その子供に今まで仕事をさせていたのは、どこの誰かなあああああ⁉
あー、見ているだけって本当にもどかしい! もどかしいけど……この件に関して、私は完全な部外者だ。シシリーが助けを求めてこないなら、私に口出しする権利はない。
「でもお父様……ズルはダメだよ。あのね、去年から施行されているんだけど、納付が少なかった地域には国から援助金が貰える制度ができたんだよ。それを利用すれば、今年の赤字分も賄えるから、領民に無理やり重税を強いらなくても――」
「馬鹿か。そんなモン利用すれば我が家の評判も下がるし、報奨金も貰えなくなるだろうが!」
おー、さすがシシリー。ナイスな提案……と思いきや、知っていたのか、このバカ親父!
バカ。本当に救いようがないほどのバカ。
そんなバカに、さすがのシシリーも見切りをつけたのだろう。
「……それじゃあ、わたし一人で書類の修正と制度申請しに行くから」
そうシシリーが踵を返そうとした時、シシリーの足元で大きな割れた音が響く。……どうやらこのバカ、机のランプを投げてきたらしい。……そんなのが本当にシシリーに当たったらどうするつもりなの?
「そんなこと勝手にしようもんなら、親子の縁を切るからな!」
「そんな縁いらないよっ! こんな最低な領主が父親だなんて恥ずかしいもんっ!」
よく言った! よく言ったね、シシリー!
シシリーも泣いているけど、私も別の意味で泣きたい。
少し前まで、いじめられて『死にたい』って言っていたのに……よく……。
だけどそんな感動している暇はなかった。
机のこちら側に来たバカおやじがシシリーの襟首を掴んだと思いきや、容赦なく顔を殴り飛ばしてくる。だけどすぐに顔を強い眼差しで見返したシシリーに、さらに足まで振り上げてきて――もう、私も手を出していいよね。屋敷ごと吹き飛ばしてもいいよね。もう耐えられないと、シシリーから主導権を貰おうとした時だった。
「もうやめてっ!」
その短いバカおやじの足に言葉通り身体全体でしがみつくのは、私ではない。
紛れもないシシリーの姉、醜いまでに顔を腫らしたネリアだったのだ。
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