第20話 悪女、夜空へ歌う。

「直接自分でぶっ飛ばしたかったの?」


 そんなことをしていたら、とっくに日が暮れてしまった。今日のところはと解散になり、アニータは門限があるということで寮に戻った。私……? 門限とか気にするタイプだと思う?


 ということで腹いせに、誰もいなくなった校舎の屋上で、アイヴィンと食べ損ねた夕飯の代わりにアイスでも食べようとなったのである。ちなみにアイヴィン、研究室の保冷庫に私に気に入っているアイスを買いだめしておいてくれているらしい。献身的だね。


 そんな彼の疑問符に、私はアイスを食べながら応じる。


「んー。できたらしてやりたいくらいムカついていたんだけど……やったらやったらで、こっちも罰せられちゃうのはねー」

「そういうこと。だから、この手の報復は正々堂々大人と法律と権力を使って抗議するのが一番なんだよ。スッキリはし難いかもしれないけどさ」

「アニータはこの手の対処になれているようだったね」


 それを問えば、アイヴィンがアイスを齧りながら教えてくれる。


「彼女は伯爵家とはいえ、かなり地位のある名家の令嬢だからね。今は魔導に力を入れているとはいえ、社交界で本気になればかなりのものになるだろうと、期待されているらしいよ」

「ふーん。難儀だね……」


 本人はあんなにも魔導師になりたいと泣いてまでいたのに。

 当人がいない場だからこそ、聞くだけ聞いてみる。


「推薦してあげる見込みはないんですか、次代賢者さま?」

「今の実力がちょっと難しいかなー。才能がないわけじゃないと思うんだけどね。無理して入るより、社交界の華になった方が幸せになれそうだし」

「さすが次代賢者さま。他人が幸せの形を決められると?」


 目を細めてやれば、アイヴィンが食べ終わった棒を咥えながら肩を竦めた。


「適当なこと言ってるのはどっちかな。推薦って簡単に言われるけど、ようは入職後の責任をとるってことだからね。ヘルデ嬢とは最近少し話すようになったけど、それ以上でも以下でもない。俺は慈善家ではないんだよ」

「ふーん」


 それはたしかに、おいそれと出せるものではないだろうな。

 だったら、やはりこの一年のアニータの努力にかかっているのだろう。私ができるのは、その手助けだけだ。そうして私もアイスの最後の一口を頬張れば、彼がフェンスに背を預けながら私を覗き込んでくる。


「そんなことよりさ、今日歌うはずだった曲、歌ってみてよ」

「え?」

「このアイス代ってことで、さ」

「呪われるかもよ?」

「そんなことないって、このあいだ俺も検証に参加したんだけど?」

「……なかなか高いアイス代になったね」


 そう笑ってから、私は大きく息を吸った。

 他の部員から、色々なことを教えてもらった。歌う時の呼吸の仕方、胸の張り方、声の伸ばし方。その他大勢の端役なのにね。しかも、扱いづらい三年生。それなのに……一生懸命参加していたら、とても親切に教えてくれたんだ。


 ――みんなと一緒に、歌いたかったなぁ……。


 私が今日歌うはずだった曲を歌い上げると、アイヴィンが拍手を送ってくれる。


「お見事。以前よりとても聞きやすくなったね。さすが稀代の天才ノーラ=ノーズだ」

がノーラ=ノーズだって、信じてくれているんだねぇ」

「そりゃあ、惚れた女の言葉だからね」

「研究対象として?」


 八百年前に封印された『稀代の悪女』が、現代を生きる冴えない少女に憑依した。

 その事実は、あらゆる方面から興味をもたれる出来事だろう。封印然り、憑依現象然り。私とて、なぜここまで憑依という超常的な現象がストレスなく出来ているのか、定かではない。八百年前の魔法研究でも……他人の身体を乗っ取るなんて発想が禁じられていたくらいだ。……それをやってのけてしまっている私は、まさに『稀代の悪女』なのだろうけど。


 アイヴィンは視線を逸らした私を鼻で笑う。


「いち研究者として否定できないのが悲しいけどね。でも、たとえきみが『稀代の悪女』でなかったとしても、俺はきみに好感を覚えていたよ。強い女性が好きなんだ、昔から。でも残念ながら、俺より強い女性なんてどこにもいなくてね……そう寂しい想いをしていた時に、階段から何度突き落とされても笑い続ける令嬢が現れたってわけ」


 その懐かしい話に、今度は私は噴き出した。


「改めて聞くと、なかなかホラーだったね」

「本当だよ。あんなに面白い光景はそうそうお目に掛かれないでしょ」

「同じ目に遭っても、さすがに今度は大笑いできないかな」


 だって一月も経てば、肉体がある現実に慣れてきてしまうから。

 だからまた少しだけ怖くなる。約束の日が来た時、私は――


「それじゃあ、念押しだけしておこうかな。私の中には、ちゃんと『シシリー=ガードナー』が生きているの」


 私は一歩だけ彼に近づいて、その整った顔を指先で持ち上げた。


「だから私に惚れても無駄だよ。一年後に、私は消滅してしまうから」


 そして私は髪を払って、目を見開くアイヴィンを残していく。


「歌、聞いてくれてありがとう」


 彼はぼそりと何かを呟いたけれど、私は振り返ることをしなかった。




 そして、翌日。


「シシリー、今日は久々に勉強会を――」

「ごめん! 明日からでいいかな」


 私がアニータに向かって両手を合わせると、彼女は目を丸くする。


「構いませんけど……今日演劇部は休みではなくて?」

「うん。だから今日は他の部活に行ってみようかと」

「また何か始めるんですの⁉」


 七日間ある一週間のうち、授業がある日は五日。

 その中で二日を演劇部。二日をアニータとの勉強会。

 そして残る一日を――私は彼女のためだけに使うと決めた。


(本当に入っちゃうの……?)

(もちろん、あなたの才能を伸ばすには一番の部活かと思うからね)


 とある空き教室の扉を開けば。

 今朝方話を通していた眼鏡の部長さんが仰々しい身振りで歓迎してくれる。


「ようこそ、魔導解析クラブへ!」




 私は小指に誓った契約を忘れない。

 一年後、私は『シシリー=トラバスタ』に最高の状態でこの身体を返すのだ。


 そしてその時――『ノーラ=ノーズ』は死ぬ。

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