狭間

受験も終わり学校もない。

家にいるだけでは飽きてしまう。

もう少し家の中が落ち着いたら

バイトに復帰しようとは思っているのだが

どうにも気も進まなければ

体も動かせそうにない。

それは何が原因なのかわかっている且つ

ひとつではないことが

はっきりしているからこそ対処しづらかった。

純粋なことにお母さんを亡くした傷が

癒えていないからだった。


兄は、突然うちに帰ってきて、

居座ることになってしまった。

それが第2の原因だった。

兄は家に長時間いる時もあれば

ほぼ外出していて夜に帰ってくる時もあった。

何をしているのかは

全くもって知らないけれど、

知ろうとすら思わない。

1日中家にいる時は

意外にもチビたちの面倒を見てくれて、

チビたちもチビたちで

兄と親しくやっているようだった。

うちはとりあえずこれまでと変わらず

家事をするだけなのだけれど、

それでもちらちらと視界の隅に

彼の姿が入るのは嫌気がさした。


とんとん、と玄関でつま先を鳴らす音がする。

咲蘭は今日も塾に行くらしい。

そろそろ一般受験の一次試験も

終わりへと差し掛かってくる。

明日は彼女にも本番の試験が

待ち構えていた。

水道を止めて洗い物を止める。

それから玄関まで足を運ぶと、

既に兄の姿があった。

咲蘭はうちと目が合うと、

兄をちらと見てから

うちの方へと視線を移した。


咲蘭「行ってきます。」


愛咲「おう!いってらっしゃい。」


翔「いってらっしゃい。」


咲蘭は少し気まずそうに笑って

背を向けたように見えた。

うちがその気持ちを

持っているだけかもしれない。

見方を大きく捻じ曲げている

だけなのかもしれない。

それ以前に、咲蘭はうちを見て

行ってきますと

言ってくれたことに酷く安心していた。

兄よりもうちのことを選んでくれた。

そう思っているのだろう。


思っている以上に

疲弊していることが手によるようにわかった。


愛咲「…ぁー…。」


兄はうちが言葉を発する前に

すたすたとリビングの方へと向かった。

そしてテレビをつけたのか

ドラマの再放送らしき音が漏れ出す。

今日は平日だからか

主婦向けの番組が多いようだ。

それにだって興味の欠片すら生まれなかった。


もういいか。

何も言わなくて。


そうと決めると、すぐに準備に取り掛かる。

昨日はサボってしまったお風呂に入り、

長い長い髪を乾かしとかす。

そろそろ髪は切ってもいいかもしれない。

10、20センチは切ったって

結べる長さだから問題ない。

けれど、今後のことを考えると

そのくらいの長さなら

自分で切ってもいいかもな。

なんて、考えながらお化粧をしたものだから

眉が少し傾いてしまった。

外に出る時には最低でも

眉だけは描くようにしてたけれど、

今日はなんだかそれすらも

馬鹿らしくなってきてしまった。


愛咲「やめときゃあよかったかなー。」


小さく小さく独り言を落とす。

それでもお化粧を落とす気にはなれず、

いつも通り前髪をかき上げて前を向いた。

兄はうちの言葉なんて

これっぽっちも気にしていないようで、

テレビをつけて見ているかと思えば

床にいつの間にかこびりついていた

シミかゴミをがりがりと

削り取ろうとしている。


うちは彼のことを

蔑むように見据えてから

ひと言も置かずに家を出た。


1日中生きることをサボるように

ふらふらと街を歩いた。

時々跳ねるように走っては

足にヒビが入ったような痛みが過り

すぐに歩くスピードへと戻る。

部活に行かなくなったあたりから

鈍り始めているのか、

はたまた別の、姿勢が悪いとか

そういったことが原因なのだろうか。

躓くことや転びかけることが

どんどん多くなっているような気がする。

病院にも行ったけれど

何も異常はないらしい。

原因ははっきりしないまま

今日を迎えていた。


愛咲「どーすっかなぁ。」


何も予定を立てずに

夕日に当たるのは気持ちが良かった。

それと同時に今日が終わるという

寂寥感に苛まれる。


たに先輩と再会した

駅の方面まで行こうか考えるけれど、

少し距離があるからか躊躇われる。

交通費も往復となれば馬鹿にならない。

何気なくスマホを開いてみる。

手は凍え、指先が悴んでいるのがわかる。


Twitterでは主に梨菜が呟き、

他の人はまちまちといった感じだ。

うちは家のことが慌ただしくて

いつも夜の10時くらいに

面白いものをリツイートするという習慣も

削がれてなくなってしまった。

たに先輩も花奏も歩も

私生活が忙しいのだろう、

今何をしているのか

全くと言っていいほどわからない。


愛咲「…あ。」


梨菜のツイートを見ていると、

哲学的なことから

幼い子供のように喜んでいるものまで

さまざまだった。

その中に、今日は休みだという

ツイートを見つける。


少しだけ、場所と時間を

貸してもらうことはできないだろうか。

今日も家に帰りたくない。

不意に、そう思っていることに気づいては

自分の愚かさに恥ずかしくなった。


家に兄がいると、

うちの居場所がいないように感じる。

うちはその空間に溶け込むのは

得意として、否、

得意になるように努力したのに、

今だけはそれを発揮することはできなかった。

疎外感を感じる。

自分に対して必要性を感じない。


愛咲「…ははっ。」


思わず乾いた笑いが落ちる。

あーあ。

家に帰りたくないなんて

自分が思うようになるなんて

思わなかったな。


愛咲「麗香もこんな気持ちだったのかなー。」


こんな時に思い返されるのは、

初めて出会った時の麗香の姿だった。

公園で1人、夜に溶けかけていたあの姿。


うちは、麗香に対して何したんだっけ。

お菓子のひとつでもあげて

しょうもないことでも話したんだろうか。

うちのことだから、

「死ぬな」だとか「生きろ」とは

言わなかっただろうな。

その言葉が言えるほど

うちだって強く真っ直ぐな人間では

なかったわけだし。


愛咲「はぁー…。」


良くも悪くも干渉しすぎない。

それはある意味、

どこにでも居場所があって

どこにも居場所はない

ということなのかもしれない。


夕日が落ちる前に

梨菜の家によってみよう。

住所はわからないから

直接聞くことしかできなかった。





***





梨菜の教えられた通りの住所には

マンションがあった。

同じような建物が少し並んでいるあたり

団地に似たようなものを感じる。

寂れて味のある公園では

子供達がはしゃぎ遊び回っている。

もう夜も近いというのに、

小学生らしい子たちは鬼ごっこをしていた。

中学生なのか、

制服を着た男子も集まっていて

何やらゲームをしている。

それらを横目に、梨菜のいる家へと向かった。


彼女の家は思っているよりも近くにあった。

近くとはいえどいくらか

電車で移動はしなければならなかったけど。

インターホンを鳴らすと、

ぐっと実感が増していく。

家から逃げ出してきたこと、

人の家に入ろうとしていること、

全てから目を背けようとしていること。

その全てに。


とたとたと足音が聞こえる。

次の瞬間にはサイドテールをしていない、

気張らない梨菜の姿があった。


梨菜「こんにちは!」


愛咲「おうよ、こんにちは!」


梨菜「どうぞあがって、今日はちょうど大掃除をしたの。」


愛咲「なんだかわりーな。掃除したてなのに汚しちまうようでさ。」


梨菜「そう?人が来てくれた方が掃除した甲斐があるよ!」


梨菜は何も気にしていないのか、

それとも気を利かせているだけなのか、

こちらを振り向くことなく

先導するように廊下を走った。

うちもそれを追うように歩く。

リビングにはソファとつけっぱなしのテレビ、

ダイニングテーブルがあり、

机の上はすっきりとしている。

そのうちの一脚にはうさぎの

ぬいぐるみが腰掛けられていた。


愛咲「へえ、梨菜の家にゃ初めて来たなぁ。」


梨菜「そうだよね。機会なかったし。」


愛咲「機会…確かになかったな。」


梨菜「唯一花奏ちゃんの時くらい?」


愛咲「あぁ、人の家に上がるのはそのくらいだったかもな。」


梨菜「あ、でもね、この前真帆路ちゃんが泊まりに来たんだよ。」


愛咲「え?そうなのか?」


梨菜「うん!」


梨菜は満面の笑みで答えるけれど、

接点のなさに動揺してしまう。

たに先輩が他の人と

仲良くしているのはとてつもなく嬉しい。

それに、Twitterのフォローを確認するあたり

たに先輩もこの大事に巻き込まれた1人。

だから、うちや花奏以外とも

仲良くしていて損はないとは思っていた。

けれど、こんな急なことだとは

思ってもいなくてびっくりした。


愛咲「2人って仲良かったか?」


梨菜「ああ、えっと。まずね、真帆路ちゃんの親御さんを探しに大阪まで行ったの。」


愛咲「お、大阪!?」


梨菜「うん。それでね、この辺りまで帰っては来れたんだけど、今真帆路ちゃんの住んでるところまでは終電がなくて。」


愛咲「それで梨菜の家にってわけか。」


梨菜「そう。でも、次の日の朝には出ちゃったから、わいわいお泊まり会って感じじゃなかったよ。」


愛咲「えー、今度は時間ちゃんと作って、わいわいお泊まり会にしてーな!」


梨菜「そうだね、次回に期待!」


話しながら彼女は手を動かしていたようで、

とぽぽ、と音が聞こえる。

つけっぱなしのテレビでは

今の時間ではニュースがやっていた。

SNSで話題になったものから

政治家の裏のあれこれまで。


梨菜「どうぞ。」


はっとして振り返ると、

そこにはグラスに麦茶が注がれていた。


梨菜「今あるのがそれしかなくて。ごめんね。」


愛咲「そんないいんだってばよぅ。お気遣いありがとな。」


梨菜「んーん!」


こんなにゆったりとした気持ちで

お茶を飲めるのは久しぶりな感じがした。

家では兄の視線や

やることなすことに目がいくし、

チビたちが帰ってきたら帰ってきたで

なんだかんだ気を張っている。

1人の時間になれば

考え事をしてしまう。


うちにはこういう何もない時間が

必要だったんだ。


愛咲「ぷはぁ。」


梨菜「冷たいよね、大丈夫?」


愛咲「最高に美味しいぜ。」


梨菜「よかった!」


愛咲「あははっ。やっぱお茶っていいよなぁ。」


梨菜「……ふふ、よかった。」


愛咲「なんだなんだ?そんなしみったれた顔してよぅ。」


梨菜「だって最近の愛咲ちゃん、元気なさそうだったから。」


ぎく、としたのが自分でもわかった。

元気がなさそうだったから。

そうか。

…そっか。

他の人から見てもそう映ったか。

…と。


どう思ったんだろう。

梨菜も、うちも。

うちは。

…。


もしかしたら、安心したのかもしれないな。


梨菜「Twitterで全然見ないし、真帆路ちゃんのこともあったから…どうしたんだろうって。」


愛咲「あー…ま、色々あってな。」


梨菜「それってやっぱりお母様のこと…?」


愛咲「だっはは、流石梨菜。知ってるかぁ。」


梨菜「心配になって過去のツイート遡ったら、お母様が亡くなったってあったから…。」


愛咲「ま、それが1番の要因だな。」


梨菜「…。」


梨菜は押し黙って、

うちの渡されたグラスとは

また違った赤いマグカップを

ぎゅっと両手で握った。

どこかで見たことのあるようなカップだった。


梨菜「今日、私の家に来たのも何かがあったんじゃないかなって思って、心配だったの。」


愛咲「そうだよなぁ…。」


梨菜「急に住所を教えて欲しいっていうし、場所と時間を貸してくれだなんて言うし。」


愛咲「後半は別に普段のうちでもあり得るんだぜ?」


梨菜「言うかもしれないけど…。」


愛咲「けど?」


梨菜「なんだろう、なんか違ったんだよね。おふざけがないって言うか。」


ぐ、と固唾を飲み込んだ。

確かに、普段ならもう少し

砕けた物言いでお願いをするかもしれない。

普段無理して繕っているわけではないが

心身ともに辛い時には

どうしても楽観的にいられなかった。

どうやって日々を過ごしてきたのか

まるでわからなくなってしまうから

人間ってすごいなと思う。

ただ、漠然と。


ふう、と息を吐く。

それは空中を漂って、

またうちの肺の中へと入り込む。


愛咲「…うちさ、兄弟が多いって話、したことあったっけ。」


梨菜「聞いたことある気がする。」


愛咲「5人兄弟で、下に3人。」


梨菜「上に1人?」


愛咲「そう。でも、何年か前に家を出てってから帰ってこなくなったんだ。」


梨菜「えっ…事故、とかで…?」


愛咲「ならまだ理由もわかるしよかったよ。けど、ちげーんだ。家を捨てて、出ていったんだよ。」


梨菜「…。」


愛咲「親は5番目の子が生まれて早いうちに離婚しちゃったもんでさ、お母さんへの負担が大きかったってわけよ。」


梨菜「1番下の子は何歳なの?」


愛咲「10歳前後かな。小学校中学年だった気がするからよ。」


梨菜「…じゃあ、10年くらいおひとりで…?」


愛咲「できるだけ…それこそ家事くらいは手伝ってたけど、ほぼ1人で子供の面倒見てたっていっても過言じゃねぇよな。」


梨菜「…そっか。」


愛咲「そんでな、つい最近兄が帰ってきたんだよ。」


梨菜「えっ。」


愛咲「え、って思うだろ?」


梨菜「どうして急に?」


愛咲「さぁ。お母さんが亡くなったって知らせをどっかから聞いたんじゃねぇの。」


梨菜「愛咲ちゃんはお兄さんに連絡しなかったんだ?」


愛咲「うちは兄のことが嫌いでさ。あんなやつ家族じゃないって思ったら、連絡することすら抜け落ちてて。」


梨菜「そう…。」


愛咲「前々から兄のこと、苦手だったんだ。」


梨菜「そうなの?」


愛咲「へへ、内緒な。あーあ、初めて人に言っちまったー。」


梨菜「家族にも言ってなかったの?」


愛咲「言ったとしても傷つけることが目に見えてたから飲み込んでたんだよ。」


梨菜「お姉ちゃん、してるね。」


愛咲「いーや、今でかい反抗期やってるから、まだ子供だ。」


梨菜「そんなことないよ。」


愛咲「へへ、ありがとな。」


梨菜は笑顔を向けることもなく

ただ真剣に聞いて、

うちの思いを受け止めていた。


あーあ。

人に話してこなかったけど、

言葉にしてみると案外

どうでも良くなる気もするし、

より不安にもなってくるもんだな。

悩みなんて眠れば解決するし、

話したところで、話した方が

後々にうっとくるのなら、

飲み込んだ方がいいってずっと思ってた。

軽い相談ならする。

ふざけながら、これどうしようとか言って。

でも、心の芯を突くような相談は

全然できなかった。


それがなぜ梨菜に対しては

できてしまったのか不思議でならない。

たまたま予定が空いているのが

梨菜だったからだろうか。

心がいっぱいいっぱいになっていたし

誰でもよかったのかもしれない。

麗香でも羽澄でも前田でも、誰でも。

たまたま梨菜だっただけだろう。


梨菜「お兄さんのどんなところが嫌だったの?」


愛咲「あー…なんかな、理解ってものがなくてさ。」


梨菜「理解?」


愛咲「そう。人の気持ちがわからないんだろうな。思ったことをずばずば言って。簡単にいえば空気が読めなかったんだ。」


梨菜「愛咲ちゃんもある意味似たところがあるような…。」


愛咲「だっはは、言ってくれるねぇ。」


梨菜「え、だって…」


愛咲「まあ、認めるけどさ。」


梨菜「認めるんだ…。」


愛咲「でも、うちは今落ち着いてこうやって話してるだろ?」


梨菜「うん。」


愛咲「兄の場合は違って、人との軋轢は生みまくり、授業中に奇声上げたり音立てたりして補導されるし、とにかく自分のことしか考えてなかった。」


梨菜「き、奇声は流石に愛咲ちゃんはないね…。」


愛咲「だろ?んで、1番びっくりしたのは家ん中で瓶か何かを割った時だな。」


梨菜「割った時…?」


愛咲「そ。故意じゃなくても自分で割ったってのに、その後片付けもせずに、それどころか机の上のものを投げ散らかしたりし始めて。」


梨菜「えっ。」


愛咲「暴力こそ振らなかったからいいものの、ありゃあ怖かったな。」


梨菜「愛咲ちゃんにも怖いものあるんだ。」


愛咲「人間だし、そりゃあな。」


梨菜「…じゃあ、あれだね。お兄さんにも怖いものがあるね。」


声を落とすことなく

当たり前にそう言うものだから

聞き逃しそうになった。


心臓が止まったような

錯覚を覚えていた。


そ、っか。

そうだ。

兄も人間だった、って。

だからと言って全てを許して

彼のことを好きになるわけではないけど、

何かに気づかされた気がしてならない。


梨菜「私にもあるし、妹にもあるし、人間誰でも怖いものはあるよ。」


愛咲「…多分うちが許せなかったのは、兄の素行が悪いせいでお母さんが何度も学校に頭を下げに行ってたことなのかもしんねーな。」


梨菜「…。」


愛咲「兄がいなけりゃチビたちにかけられる時間が増えただろうし、逆に兄がいたとしてもまともであれば、お母さんは無理して倒れることもなかった。」


梨菜「…100%そうだとは限らないよ。」


愛咲「そうだけど」


梨菜「………可能性が見えるって、辛いの、わかるよ。」


愛咲「…。」


可能性が見える。

その意味を本当の意味で、

丸裸にされた言葉のままに

受け取れているのかは怪しい。

けれど、言いたいことはそれとなくわかる。


時に、知ることは罪だと言う。

そのことを言いたいのだと思う。


梨菜「でもね、残ったのは今なんだよ。」


愛咲「梨菜。」


梨菜「ん?」


愛咲「…梨菜にも何かあったのか?」


梨菜「んーん、何にも。」


愛咲「…。」


梨菜「あ、今は妹と別居してるってことくらいかな。」


愛咲「そーいや妹が言っていってたよな。」


梨菜「うん。でも、今は別々に暮らしてるの。家事も掃除もしなくちゃで大変。」


愛咲「寂しくねーのか?」


梨菜「…ぁー…寂しいけど、次会う日を楽しみに毎日頑張れるから、そんなに!」


愛咲「そうかぁ。」


いつの間にかお茶を飲み干していたようで

そっと自分から遠くの位置に置く。

それから肘をついて、

でもそのままの姿勢だと

態度が悪そうで落ち着かなかった。

だから肘をずらして、腕を枕にして

伏せて眠るようにしながら窓の外を眺める。


愛咲「姉妹で仲がいいって、いいな。」


梨菜「私からみたら親と仲がいいの…羨ましいよ。」


愛咲「…。」


梨菜「親と相性が悪かった分、妹とずっと一緒にいたんだ。愛咲ちゃんもそうかもね。」


愛咲「…兄やお父さんと仲が悪い分、他の兄弟やお母さんと仲がよかったってことか。」


梨菜「うん。」


愛咲「全部はうまくいかないもんだな。」


梨菜「全部がうまくいったら怖いよ。」


愛咲「だよな。」


梨菜「だって、死にたいって願ったら死んじゃうもん。」


愛咲「…。」


梨菜「よかったよね、うまくいかない世の中で。」


愛咲「…そーだな。」


梨菜の顔を見る気にはなれなかった。

うまくいかなくてよかった、か。


外はもう、真っ暗。

夜、らしい。

帰んなきゃ。

自然とそう思う自分が

いることにびっくりする。


今日、星は見えるだろうか。

もし見えるんだったら、

少し空を眺めながら

不注意に歩くことにしよう。


心は重たいのか軽いのかわからず

浮遊しているようだった。

それでも兄には話しかけることは

ないだろうななんて思う。

これまでの憎悪は積もり切ってしまって

今から見方を変えることなんて難しい。

凝り固まってしまった。


もしうちが今疲れていなくて

ものすごく元気だったのなら。

…兄の見方も含め

変わっていたのかななんて考えるだけ損か。


今しか、残らなかったのだから。

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