もしも、今

あっという間。

その単語が正しいのか正しく無いのか

残念ながら判断できなかった。

ふと気づけば1週間経ている。

お母さんが亡くなった日から既に1週間。


愛咲「咲蘭、準備できたか?」


咲蘭「うん。今日は夜の8時くらいに帰ってくると思う。」


愛咲「おうよ。いってらっしゃい。」


咲蘭「行ってきます。」


咲蘭はこれから塾があるらしく、

その後ろ姿を見送った。

咲蘭としても受験に対して

大層な責任を感じているだろう。

うちはたに先輩がいて教えてもらっていたから

塾には行かなかったのだが、

咲蘭は学校だけでは不安だといい、

中学3年の冬季講習から行き始めていた。

学校で習わなかったちょっとした部分を

少しだけでも埋めたいらしい。

うちもお母さんも、

咲蘭が塾に行くことには勿論賛成した。


お母さんが亡くなっても

受験が終わるまでは通うことになっていた。

2月分までの引き落としは

済んでいたとか元々される予定だったとか、

詳しいことはよくわからないけれど

続けられるようでよかった。

しっかりとした子だからこそ

責任も負いやすいだろうから

心配になってしまう。

お母さんが亡くなったからこそ、余計に。


愛咲「…ふう。」


それでも、咲蘭がやると

言ったことなのだから、

彼女を信じて待つのみだった。


がらんとした部屋を見る。

弟2人は遊びに出かけてしまった。

中学1年の翔也も

まだ小学校中学年の颯翔すら

お母さんの死は受け入れているように見えた。

うちはまだ動揺してばかりなのに、

下2人はなんだか大人びていた。

それとも、もしかしたらまだ

理解できていないのかも知れない。

入院した時と同じように

帰ってくると思っているのかも。


愛咲「…。」


お母さんのお仏壇の前に座る。

手を合わせることもなく、

若々しい笑顔と対面した。


お母さんは癌だったらしい。

乳がんか何かだった気がする。

ぼうっとしていたせいで

大切なところばかり

聞き落としてしまったから

あまり覚えていないけれど、

確かそうだったはず。

病院から家に帰ってきたのだって、

最後は家で過ごしたいと

お母さんの方から言われてたらしい。


お葬式には母方のおばあちゃんと

おじいちゃん、

お母さんの兄弟あたりだけ呼び、

小さく小さく済ませた。

お母さんの友達や恩師などを

呼ぶべきだったのだろうけど、

そこまで頭は回らなかったし、

なによりおばあちゃんたちが

それでいいと言ったから、

うちもそれでいいんだって思って

何もしなかった。


亡くなってから、書類関係は

全くわからなくて混乱した。

人1人が存在するのに

こんなにも書類が必要で

多くの手続きが必要だったなんて

思いもしなかった。

銀行からは貯金を下ろすために

申請しなければならず、

遺産相続についても説明を受けた。

おばあちゃんやおじいちゃんや、

その他の人にいろいろと教えてもらい

なんとかひと通りは終わった気がする。

大変慌ただしかったからか、

ここ1週間の記憶はない。


愛咲「お母さん。」


呼びかけてみても、

当たり前だが返事はない。


この場面、どこかでみたことあるような。

そう思った時、過ったのは和室だった。

うちの家ではないはずだから

誰かの家だとは思うけどー。


考えていると、1人の顔が

自然と浮かんできたのだった。


愛咲「…花奏の家か。」


花奏が夏休み明けに

昔のことについて話してくれた時。

あの日、うちらはみんなで花奏の家に行った。

そこにお仏壇があったんだ。


愛咲「花奏もこんな気持ちだったのか。」


意味もなくぎゅっと

力を込めて拳を作る。

本当に、あり得ないほど意味がなかった。


確か花奏は小さい頃に

お母さんを亡くしていたはずだ。

颯翔と同じくらいの

年齢だったとするなら、

どんなことが寂しかったとか

どんなことをして欲しかったとか

聞いておきたくはあった。

けれど、それもできそうにないなんて感じる。


花奏に対して、事故以来距離を感じている。

それは、うちが勝手に

そう感じているだけではある。

けど、踏み込んだら割れて散り散りに

なってしまいそうな脆さがあった。

そう簡単に触れることのできない

ガラス瓶のように見えている。


愛咲「…どーしよ。」


膝を抱える。

それでも、窓から差すのは

心地のいい憎くなるほど

清々しい日の光。


うちの家にお父さんがいれば

また違ったのだろうな。

まともな姉や兄がいれば、

もっと違っただろうに。


お父さんは離婚しただけだから

生きているには生きているのだが、

暴力を振るうような人だったから

頼るにも頼れない。

頼りたくない。

お葬式にだって呼ばなかった。

近づいてくるとしたら遺産目的くらいだろう。

なんなら咲蘭や下の2人の身に

危険が及ぶ可能性が高い。


そんなことになるなら、

お父さんは頼らない方がいい。


そもそも、頼るって何を。

金銭面か。

ぱっと答えが出て驚いた。


うちの進学先には

奨学金をお願いする方向で進んでいたから

そこはあまり変わらないのだが、

今後咲蘭や下の2人が

進学することになると、

今のままでは確実に支え切れないだろう。

うちは短大だから、

2年後すぐ働けるには働けるものの、

初任給でどうにかなる額でもない。

貯金や遺産的に全くないわけではないが、

この先のことを考えると

思いやられてしまって仕方がない。


愛咲「もっとちゃんとしたお姉ちゃんになることができてたら、チビ達も安心できたかな。」


お母さんの頬を撫でようとして、やめた。

お母さんならきっと

「そんなことない。」

「愛咲はちゃんとしたよ、昔に比べればね。」

と茶化して言うのだろうか。


このままだとずっとここに

居座ってしまう。

その未来が明確に見えている。

だから、早くここから離れなくちゃ

ならないなんて思った。


重たい腰を上げて家事でもしようと

思ったその時だった。


かちり。

そう、確かに聞こえたのだ。


愛咲「…!」


翔也と颯翔が帰ってきたのだろうか。

それとも、咲蘭が忘れ物でもして

戻ってきたのだろうか。

久々の1人の時間で鬱々としていたところを

見られてしまいそうでびっくりした。

自然とすくっと立ち上がり、

玄関の方へと向かう。


おかえり、とお母さんは

いつも笑顔で言っていたっけ。

玄関まで出てくれることは少なかったけれど、

キッチンやリビングに行けば

体を少し捻ってこちらを見て、

そう言ってくれた。

だから少しでもうちも

お母さんみたいになれるようにって思って。


愛咲「おかえ………」


おかえりって、言おうとした。

けれど。


愛咲「…っ!?」


翔「……愛咲…?」


そこには、長い間家に

戻ってきていなかった兄の姿があった。

しばらく見ていなかったから

すぐにはわからなかったけれど、

この顔つき、声の感じ。

その全てが兄だと主張している。


翔「…ただいま。」


愛咲「帰って。」


咄嗟に口から出た。

歳をとって、多分20歳を超えた兄は

もう幼さを残しておらず、

別人になったようで不思議と

畏怖していたのかもしれない。


愛咲「帰れ、今更何の用だよ。」


翔「しばらくこっちにいることにした。」


愛咲「は?」


押し返したかった。

この家にくるなと、

帰ってくるなと言い放って

物でも投げてやりたかった。

だってお前は数年前

家を捨てて逃げただろ、

出ていっただろと罵って。


兄が働きに出ていれば

もう少しくらいは下の子達に

いい暮らしをさせることができたのに。

うちだってあんなにバイトを詰めなくて

よかったかもしれないのに。

そしたらもっと友達と遊べて、

もっと部活に専念できたかもしれないのに。


なのに、兄は捨てたんだ。


愛咲「…。」


翔「ただいまー。」


兄はキャリーケースを持って

家へずんずんと押し入ってきた。

まるでうちなんて見えていないみたい。

うちなんて元々いなかったみたいに。

家族なんて視界にすら

入っていないみたいで本当に腹が立つ。

うちが報われないのは別にいい。

仕方のないことだって

なんとか飲み込むことはできる。

けど、お母さんが倒れたのだって

下の子が苦しい生活をしているのだって

全部兄がいれば多少は

解決したことのはずなのに。


翔「あれ、誰もいないの?」


愛咲「…。」


翔「颯翔と翔也は?咲蘭は?」


愛咲「…。」


知らない。

そのひと言すら出なかった。

出せなかった。

呆れてしまって、声にすらならなかった。

うちは兄に対して

今更何かを言うこともないだろう。

今になってそんな優しさはいらない。

それなりの報復があっても

許されるどころかあまりが出るくらいだ。


そうだ。

兄はうちらを捨てたのだから。


兄は何も思っていないのか、

そそくさと家に入って

キャリーケースから荷物を取り出し、

部屋の隅に綺麗に並べ始めた。

後ろから眺めていたけれど

こちらに一切気を向けることはない。

お母さんが亡くなったことを

知っているのか否か不明だったが、

荷物を全て並べ終えた後、

お母さんのお仏壇の前に座り

線香をひとつ燃やし始めた。

そして、灰になるのを少しの間眺めた後

満足したのかお仏壇へと備えた。

それから手を合わせているのを見た。


翔「お母さん、お疲れ様でした。」


愛咲「…っ。」


殴ってやりたかった。

でも、それは大人気ないとわかって、

その判断ができてしまったが故に

握り拳を作ることしかできなかった。

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