失敗
12月は思っている以上に
あっという間に過ぎ去った。
凪いでいる間に、潮が引いている間に
後ろで人が1人通り過ぎていたような
呆気なさだった。
1月に入ってから、
生活はより安定しなくなってきた。
年末年始あたりにお母さんが倒れて入院し、
疲労にしては長い入院生活を経て
最近ようやく帰ってきた。
入院生活に関してはうちが多少無理を言って
少しだけ伸ばしたんだけど、
結局費用がかかってお母さんや
うちの首を絞めることには変わりなかった。
けれど、心配でどうしても、
何かをしてあげたかった。
家にお母さんが戻ってきてから
1週間も経ていないはず。
もちろん嬉しい。
チビたちもみんな喜んだ。
うちは姉であって、母親にはなれなかった。
母親の代わりにすらなれなかった。
うちも嬉しかった。
それなのに、どこか体がぎくしゃくした。
足は錆びついたようにかくついて、
手は骨が抜けたように
力が入らなくなる時があった。
何があったのかと聞かれても、
何も思い出せなかった。
学校に登校していなければ
バイトに行ったわけでもない。
部活だってそう。
それなのに、意味もないのに
自分に対して変な感情を
抱くことが多くなっていった。
ただ、疲れていただけかもしれない。
チビたちの面倒を見て、
家事はほとんどうちがやった。
お母さんが帰ってきてからは、
そちらも気にかけなきゃいけなくなった。
そうしなきゃ、今度いつ倒れるか
わからないし、たまったもんじゃないから。
お母さんはまだ体調がすぐれないのか、
長時間ベッドで寝込む時もあった。
病院に行くかを聞いても、
お薬はあるからいい、
家にいる、と断られた。
次第に、自分が何をしたいのか、
何をしているのかわからなくなっていった。
誰かに世話を焼くのは嫌いじゃない。
むしろ好きな方。
なのに、できない。
今はそれが少しもできない。
そんな中、たに先輩が戻ってきた。
彼女と会った時、心労のたまった体は
宙を浮くかと思うほど
軽くなった気がした。
だけど、彼女を抱きしめて、
より近くで顔を見た時、
嬉しそうではなかった。
戸惑うような、困惑して逃げたいと
思っているかのような。
うちのことを、
化け物だと勘違いしているような。
そんな視線を感じた。
Twitterで彼女のつぶやきを見ると、
何やら気の重くなるようなものが流れていた。
「変わってしまった」
「傷つけた」
それがうちのことを意味しているのか
最初はわからなかったけれど、
後から羽澄にきいたところ
花奏と会っていたらしい。
どちらが、または片方が
変わったのかはわからない。
けれど、確実にお互い変わっている。
花奏は今の自分について
どこまで話したかわからないけれど、
高校を一度中退していることや、
この前まで入院していて
精神的にやられていたことを
もし話しているのであれば、
それは変わったと思うに違いない。
それを経験した後の彼女は、
明らかにそれ以前の
何も経験していない、
何も経験せずに済んでいた彼女とは違う。
うちもそうだ。
高校3年になった。
受験も終わった。
保育士になるために、2年間大学に通う。
いわゆる短大に通うことになる。
人とたくさん話すようになった。
ピアスをつけるようになった。
簡単なお化粧をするようになった。
陸上部に入った。
頑張っていた勉強は
今ではあまりできなくなった。
うちも変わった。
たに先輩のことやチビたちのこと、
お母さんのことに気を張っているうちに、
ついにぷつんと切れる音がした。
自分でも、どうしてこのタイミングなのか
全くわからなくて混乱した。
もう少し耐えれたはずなのに、
全然駄目でその糸はゆらりと2本揺れた。
たくさん考えて、
考えるふりをして、
とりあえず玄関まで向かう。
お母さん「どこか行くの?」
愛咲「うん、ちょっと散歩ー。」
行ってきますも言わないで、
振り返りもしないで嘘をついた。
しっかりと定期券とお金とスマホ、
その他諸々を持って家を出る。
ひと晩だけ、違うところで
自由気ままに過ごそうと思った。
何にも縛られずに、
気負うものもなく、自由に。
心配になるものは何もない。
1人の時間。
走っている時と一緒。
昼だというのに、夜のように
冷たい風が襲ってきた。
それでも、目的地に向かって
ひたすらに歩き、電車を乗り継いだ。
ついた時にはもう日暮れが近く、
海が目の前で寒かったため
すぐにマフラーを取り出して首に巻いた。
星のモチーフが一番端に
ひとつだけ描かれている。
うちの1番大好きな形だった。
駅のホームは、
帰宅ラッシュ手前なこともあり
学生が大部分を占めていた。
けれど、横浜と比べると大層人数は少ない。
愛咲「…はーあ、また来るとは思ってなかったな。」
腰に手を当てて簡単に体操をする。
座りっぱなしは疲れる、
自分に合っていない。
近くには「根府川」と記されていた。
あの6月頃の記憶を頼りに
海岸線まで降りてみる。
なかなか降りれる場所がなくて
苦労するけれど、
こっそりと人がいない時を狙って
海の麓へとたどり着く。
愛咲「うわぁ…。」
流石にこんな寒い中
海に入る気も触れる気すら起きない。
遠くにある段差に腰掛けて、
とりあえずぼんやりしたかった。
何分経たのだろう、
段々と日が傾いてゆく頃。
ふと隣に人がいたことに気づいた。
いつからいたのかわからない。
存在感がまるでない。
それは、変わらないところか。
愛咲「何のようだよ。」
隣のその人は、
近くの壁に背を預けて、
風で髪を揺らしたまま海を眺めていた。
一叶「様子を見にきた。」
愛咲「…それしかないよな。」
一叶「元気そうでよかったね。」
愛咲「これが元気そうに見えるのか。」
一叶「少なくとも言葉を交わして会話できている。」
愛咲「いっつも難しい話で嫌になっちまうぜ。」
一叶「使える頭はあるのに、もったいない。」
一叶は変化という言葉を
知らないのかと思うほど、
海底やそれより前の
空白の2ヶ月間の時と変わらない。
髪が鬱陶しかったのか、
耳にかける動作をしていた。
一叶「これで家出のつもり?」
愛咲「わりーかよ。」
一叶「寝床は。」
愛咲「…麗香や羽澄に聞いてみるよ。」
一叶「無理だよ。そう決まってる。」
愛咲「じゃあ一叶が別の案を出すんだな。」
一叶「君はすぐに帰るべきだ。」
愛咲「何だそれ。」
一叶「ここにきた時点で、長束愛咲は間違えた。」
ぞく、と何が背を走るのを感じた。
1分にも満たない、
会話とすら言えるのか怪しい中、
一叶は壁から背を離した。
刹那、手が悴んでいることに気づく。
ああ。
気づきたくなかった。
その時、スマホがなった。
電話のようで、長ったらしく
うちを呼び続けている。
この音すら鬱陶しくなるほど
今の生活に疲弊していたらしい。
相手は、妹の咲蘭だった。
うちがなかなか帰ってこないことに
腹でも立てたのだろう。
想像に難くないなと思いつつ、
スマホを耳に当てた。
一叶はもう、いなくなっていた。
愛咲「はい、も」
咲蘭『お姉ちゃん、お姉ちゃんっ!?どこいるの!』
愛咲「え…っ。」
咲蘭『早く帰ってきて!お母さんがっ!』「
愛咲「…っ!」
そこまでは、聞いていた。
次にはもう走り出していて、
時折力の抜けてがくんとする片足を
引きずるようにして駅まで向かう。
嫌な予感がした。
嫌な予感がした。
間違ったって思った。
ここまで焦っているのに
思考が止まって言葉の出ない日は初めてだ。
ただ動揺するしかなかった。
『お母さんの容態が、急に悪くなって!』
そう、咲蘭は言っていた。
間に合え。
間に合え。
そう願い続けた。
***
けど、駄目だった。
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