些細な

歩「…。」


愛咲「よーう三門ぉー!」


偶々目の前を通った三門に

いつものように声をかけてみる。

授業の合間の休み時間ということもあり、

辺りは明るく賑わっているようで

皆には緊張の糸が走っていた。

もう12月も後半。

共通テストまでの日付は

徐々に擦り切れていっており、

ぴりぴりするのも当たり前か。

この冬休みが明ければ

受験が本当の意味で目の前に立ちはだかる。

うちは先に受験を終え

進学先も決まったから

随分と安心して学校に通えているが、

まだ将来が決まっていなければ

学校に行く時間すらもったいないと

感じていただろう。


たった今目の前で

冷たい視線を寄越す三門だって

酷く焦燥する1人かもしれない。

三門も一般受験だったはずだ。

少し前までは浮かない顔をしており

心底心配だったのだが、

最近は多少マシな顔をしていた。

そして何より。


歩「うるさ。」


愛咲「とくんっ…。ときめいたぜ…。」


歩「は?きも。」


刺々しい言葉が返ってくるではないか。

これぞ三門と言わんばかりの鋭さ。

徐々に彼女自身、

これまで通りの感覚を

取り戻しつつあるようだった。

それは冬の湖に沈む中、

漸く表面に張った氷を溶かし

空気に触れたようで。


その弛緩した理由は分かりきっていた。


愛咲「そーいや、いつ花奏は退院できるって?」


歩「確か今週末か来週。」


愛咲「はえーな!まだ1ヶ月半だろ?」


歩「も、だよ。」


愛咲「え?」


歩「1ヶ月半も、1人で頑張ってくれたの。」


三門の言うことはあんまり

ぴんとは来ていなかったが、

多分幻痛のことを言っているのだと思う。

いつの間にか花奏は

三門を前にしても唸り声をあげず

気絶すらしなくなった。

何かがあったのだろう。

または、何かしたのだろう。

じゃなきゃ事態は好転しなかったはずだから。


歩「傷の治りは他の人より早いらしいね。」


愛咲「んだろぉー?でも流石に松葉杖だろうなぁ。」


歩「松葉杖もなしって話聞いたけど。」


愛咲「マジか!」


歩「激しい運動…それこそ走らなきゃ大丈夫らしい。」


愛咲「タフだな。」


はは、と乾いた笑いが

微かに耳に届いた。

鼻で笑った程度の小ささだった。


歩「あんたと張るね。」


愛咲「いーや、うちの方が体力はあるぜぃ?」


歩「最近部活行ってんの?」


愛咲「すぅ…それはー…」


思い返してみれば、

最近はバイトも部活も

行く回数を減らしていた。

それも、お母さんが入院してから

下の子たちの面倒を

全面的に見るようになったためだった。

悩み事は尽きないものだと思い

言い淀んでいると、

三門はここぞとばかり嬉しそうに目を細めた。


歩「ほら。」


愛咲「ちゃあんと理由があんだよーだ。」


歩「確実に関場には抜かれたね。」


愛咲「2次試験に体力テストがあるような人と比べちゃいけねーって。」


歩「自衛官、だっけ。」


愛咲「知ってたのかよぅ!お噂はかねがねってやつだな。」


歩「本人から聞いたから噂というか事実。」


愛咲「羽澄と三門が仲良く…うぅ…涙が…」


歩「ドライアイじゃない?」


愛咲「うちは人情にあちー女だよーぅ。」


歩「言ってろ。」


愛咲「涙とまんねーからハンカチかじでぐれよぅー。」


歩「今日持ってきてない。」


両手を小さくあげて

降参のようなポーズをとった。

前までこんなに身振りのある人だったっけと

脳内で問いかけが行われていた。

他の人と比べてしまえば

身振りとはいえ小さすぎて

ほぼないようなものだったけれど、

それでも確実に変化していた。

三門は変わっていた。

もちろん悪い意味ではなく、

三門が自分を少し解放できたのかなという

感心に近いのかもしれない。


不意にちらと何かが揺れた気がした。

何かと思ってみれば、

制服のポケットの端から

金具らしきものがのぞいている。

何となく気になって指差してみた。


愛咲「それ。」


歩「ん?」


愛咲「定期券の入ったパスケースでも入れてんのか?」


歩「あぁ、これ。」


三門はうちの指差した先に目を向けて、

まるで初雪のような頼りない声を

溢れさせながらポケットにしまった。


歩「これ、ネックレス。」


愛咲「おー、あの三門が!」


歩「あの三門で悪かったね。」


愛咲「感動してんだってばよぅ。」


歩「あんただってピアスつけてんじゃん。」


愛咲「何…バレてる…だと!?まぁ、でもうちがピアス開けてんのは割と見た目通りじゃね?」


歩「言えてる。」


愛咲「ネックレスつけねーの?」


歩「過剰な装飾は校則違反じゃなかったっけ?」


愛咲「とか言って、照れてるだけだろーうりうりー。」


歩「うっざ。」


愛咲「何?彼氏?」


歩「そうそう。大正解。」


愛咲「え゛…マジ!?」


歩「天才の頭で考えてみれば。」


「あーいさー!」


遠くから数えきれないほど

聞いてきた声が廊下から近づいてくる。

まだ三門と話していたい気持ちはあったが、

彼女は空気を読んだのか

ひらひらと手を散らして

そのまま教室から出て行ってしまった。

去り際にひと言もないのが

またどこか三門らしい。

三門と入れ替わりで走って

前田が教室へと舞い込んだ。

かと思えば、うちの席へと突っ走って

だん、と机に手をついたのだった。


愛咲「うお、なんだよー!」


前田「やべえって。」


愛咲「ったくー何がだよぅ。」


前田「愛咲が1年以上前にいいなーって言ってたやついたじゃん?」


愛咲「覚えてるわけが…はっ…あいつが…もしや…」


前田「あーだめだ、分かってないねー。」


愛咲「んで誰なんだ?」


前田「ほら、3組の。」


愛咲「あぁ、サッカー部だっけ?」


前田「そーう!そいつ、この前別れたらしいよ!」


前田は目をきらきらさせながら

うちに熱い眼差しを送ってくる。

1年以上も前、うちは他クラスの

男子生徒に対して

「あいついいかも」なんて

軽い発言をしていたらしい。

きっとその場のノリだろう。

好きなタイプは?

辛うじて学校の中の誰ならあり?

そんな流れだったんじゃないだろうか。


愛咲「あらー、そりゃあ残念なこったなぁ。」


前田「馬鹿!あんぽんたん!おたんこなす!」


愛咲「うちはパンでもナスでもねーよ!」


前田「ね、ら、い、めって言ってんの!」


愛咲「前田の言いてぇことくらい分かるぜ!」


前田「なら良いけど。」


愛咲「まさに、狙い目って言いてぇんだろ?」


前田「だからそう言ってんの。」


はぁ、とひとつため息をついて、

真隣の席が空いていたために

勝手にゆるりと座りだした。

これは長くなりそうだ、と

無意識のうちに感じた。

前田は結構恋愛馬鹿とも

言えるようなところがある。

うちもそう見えてるのかもしれないけれど。


前田「もう付き合う気ないわけー?半年はフリーでしょ?」


愛咲「戻ってきて以来じゃね?」


思えばこの半年間は

自分の時間が多かった気がする。

受験があった上部活もなくなり

バイトも一時期は少しばかり

減らしていたからだろうか。

1番は、人付き合いが

少なくなったからだろう。

周りも皆受験生なもので、

誘うに誘えなかったのだ。

だから麗香と過ごしたり、

受験後には部活やバイトに顔を出して

人といることが多かった。


前田「てか、前の彼氏薄情すぎない?」


愛咲「うちのか?」


前田「そー。愛咲が死んだと思って別の女作ってさー。」


愛咲「まあまあ、どうどうー。」


前田「そりゃー怒るってもんよ。」


愛咲「突然親しかった人が消えたら、他の人に身を寄せたくなる気持ちも分からなくもねーからさ。あんま悪くいうなよー。」


前田「あんたって妙に大人だよねぇ。」


肘をついてこちらを見る前田は

いかにも不服という顔をしている。

自分自身全く大人とは思っていないが、

周りからはそう見える時もあるらしい。


愛咲「できる女だからな!」


前田「じゃあ彼氏も余裕だねー。」


愛咲「作りたくて作るもんじゃねーだろ?仲良くなるうちに自然となってるもんなんだぜぃ?」


前田「うわ、キメ顔決まったー。」


愛咲「てか、今それどころじゃねーしなぁ。」


前田「なんか忙しいの?」


愛咲「あ、そーだ。」


黒板をぼうっと眺めながら

前田と話をしていると、

その日付が目に入って不意に思い出した。

今日は12月21日。

もうすぐでクリスマスだ。

人それぞれ、さまざまな思いを

抱くであろう日。

そして子供にとっては夢のような日。


愛咲「なー、前田。ちょいと相談きーてくれ!」


前田「ほいほい、何よ。」


愛咲「あのな、うちのちび達にクリスマスプレゼントあげるんだけど何が良いと思う?」


前田「え、それくらい本人に聞きなよ。」


愛咲「でも愚直じゃね?」


前田「だからといって適当なものでもねぇ。」


愛咲「そーだけどよぅ。」


前田「ひとつ下の子はいくつだっけ?」


愛咲「中3の受験期。」


前田「じゃあ合格シャーペンとか?」


愛咲「期待重くね?夢見させてあげてーわ。」


前田「合格するのが夢ってもんでしょ。」


愛咲「ふぅー、良い子と言うー。」


前田「てかさ、中3なら分別ついてるし色々分かってるだろうから相談して決めれば?」


愛咲「ん、それもありだな。」


前田「受験前ごめんねーって言ってさ。」


愛咲「40秒くれってな!」


前田「なんで40秒…しかも決まるわけない…。」


愛咲「はぁっ!確かに…。」


咲蘭に聞いてみるか。

確かに中3でもあれば

いろいろなことに気づいているだろうし

うちより下の子といる時間は多少長い。

うちの気づいていないことだって

気づいて知っているかもしれない。


下2人は男が故に、

今は何が流行りで何が欲しいのかなど

まるで予想がつかない。

毎日一緒だからこそ

見えないとでも言えば良いのか。


それから前田とは軽く

受験の話をした。

前田も一般受験らしく、

今はせかせかしているとのこと。

その割にうちのところに遊びにきていて

余裕なのかと聞けば、

息抜きしに来たと言う。

こんなくだらない話で

息抜きになるのであればそれは良かったと

思うことしかできない。


少しして、結われた黒髪が目に入る。

紛れもなく三門だった。

お手洗いにでも行っていたのか、

ハンカチで手を拭っているようで…。

ん?


愛咲「あんれ、三門それ…。」


歩「あぁ。さっきのあれ、冗談。」


ふり、と片手でハンカチを持って

軽く揺らして見せられた。

最近、三門は麗香よりも

意地悪なのかもしれないなんて

思うようになった。

けど、嫌な感情、感覚ではない。


愛咲「むきー!今度やり返してやっからなー!」


歩「待ってまーす。」


こちらを見ることなく

歩きながらそう溢す彼女。

相変わらず、という言葉が

どこまで似合えば気が澄むのだろう。


前田「三門さんってあんな人だっけ?」


愛咲「良い性格してんだろー?」


前田「うーん…なんか掴めないし怖いって感じ。」


愛咲「意外と面白いんだぜぃ?」


前田「意外とって失礼じゃねー?」


愛咲「いいギャップを持ってるってことだよーだ。」


まだまだ周りから三門に対しての

評価は厳しいものが多い。

けれど、4月の時ほど酷くはないはずだ。

それは本人も自覚していることだろう。

花奏と過ごす中で、

三門は少しだけ学校内でも笑うようになった。

声こそはあげないが、

にんまりとしているのか

目を細めていた場面は何度か見かけた。


いつか前田と三門が

話しているところも見てみたい。

そう感じている間にも授業開始の時間が迫り、

前田は自分の教室に戻ると言った。

ひと言頑張れと伝えた。

すると、屈託のない笑顔でこちらを見ては

親指を立ててありがとう、と言うのだった。


変わらない日常だと思っていたが、

気づけば3年生の冬、12月。

学校に来るのもあと数回になっているのだった。


そろそろお母さんの様子を

見に行ってもいいかもしれない。

倒れた上入院しているわけだし、

どうしても心配になるもので。

ぼうっと黒板を眺め続けていると、

次の授業を行う先生が横切って

教卓へと向かうのだった。

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