第3話 ロンズディン王国の滅亡3 暗闇に沈む魂



 城下は既に火の海で人々の悲鳴や怒号があちこちから聞こえてくる。

 王宮にも火が放た城門からは敵兵が次々に侵入してきていた。闇の中にあかあかと蠢く炎が王宮の輪郭を浮かび上がらせる。

 ギルアドニア軍だ。




‟ミシルカ様!おやめください!”


 閉じられた扉の内側では悲鳴とうめき声、そして必死に凶行を止めようとする声が聞こえてくる。

 外で待機するように言われた近衛兵たちは中で何が起こっているのか不安を抱きつつも自分たちの背後から迫る危機に意識を取られる。そこへドートリアニシュ神官長が現れ扉を叩く。


‟陛下!王妃様!ミシルカ様!早くお逃げください!ギルアドニアの兵が城内に侵入してきました!”


 神官長の指示で叱責を覚悟で扉を打ち破って部屋に入った近衛兵たちは王室の中の光景を見て凍り付いた。


 王の居室。ミシルカがただ一人立ち尽くしている。

 玉座の下に倒れているのはロンズディン王その人で既にこと切れている。その傍らに倒れているのは王妃とその侍女。少し離れたところでかろうじて虫の息で顔を上げているのは宰相ラストリルだ。


‟…ミシ…ルカ様…ご乱心なさ…た”


 縋ろうとするように弱々しく伸ばされた血みどろの手の先にあるのは立ちつくす二本の足だった。


‟ミシルカ様…これは”


 震える声の神官長の問いに低く応えがある。


‟これは正当な復讐だ”


 暗く荒んだ目をしてラストリルを見下ろすミシルカの声は低く、それが聞こえたのはリストルのみだったかもしれない。

 ミシルカは手にしている細身の剣を振り上げ、迷いなくうつぶせに倒れているラストリルの背中に突き立てた。


‟う…ぐ…”


 とどめを刺す必要もなかったのだろう彼はうめき声を漏らすと最後の呼吸を止めた。


‟!”


 驚愕する近衛兵たちをミシルカはゆっくりと振り向いた。王国の宝玉と言われたその美貌はやつれ果てていても、この世のものとは思えないほど美しかったが彼らを愕然とさせたのはその左手に抱えるもの。

 それは昨日処刑され城壁に晒してあったレイシャーンの首だった。まるで大切な赤子でも抱きしめるように抱え込んでいる。


‟ギルアドニア軍だ!”


‟王宮内に侵入してきたぞ!”


 部屋の外から叫び声が聞こえてくる。必死でこの部屋への通路を塞ごうとする兵士たちの剣を合わせる音が聞こえてくる。だがそれすら耳に入らない様子でミシルカはレイシャーンの首に話しかける。


‟これでロンズディンは終わりだ。今私もお前のもとに行くよ”





 もう何もかもどうでもよかった。

 炎に包まれる王宮。敵軍に攻めこまれ聞こえてくる悲鳴。

 だがもう何も感じない。自分の心も感覚もレイシャーンの処刑を目にした時に凍てついてしまったのだ。国を裏切りレイシャーンを陥れた宰相も、レイシャーンを信じなかった両親もこの手で成敗した。この国と民をあんなにも愛したレイシャーンの処刑をあざ笑いながら見ていた人間達も今頃ギルアドニア軍に蹂躙されていることだろう。


 目を閉じてゆっくりと手にした剣を自らの首に当て力を込めようとした時、ミシルカ、と場にそぐわない穏やかな声がした。周りの他の音が消える。

 目を開けるとそこは真っ白な空間だった。


 ミシルカ


 また声がする。

 周りを見回しても誰もいないが何かがそこに存在しているのはわかった。


“誰?”


 可哀そうなミシルカ、お前の心は絶望で壊れてしまったのだね


‟絶望?”


 ミシルカはきょとんと首をかしげる。


‟私はこれからレイシャーンのもとへ行く。絶望などしていない“


 可哀そうなミシルカ。お前はレイシャーンのもとへは行けないよ


“え?”


 初めてミシルカの表情が動いた。


“どういうこと?”


 お前の魂は強すぎる憎しみの所為で闇に飲み込まれてしまっている。お前は永遠に魂の牢獄に捕らわれてしまうだろう。だからお前はもうレイシャーンに巡り合うことはかなわないよ


‟そんな…”


 ミシルカの顔が苦痛にゆがみ剣を持つ手が震える。


‟お前は憎みすぎた。己の親を殺し民を見殺しにし、自らの魂を汚してしまったのだ”


‟あ…”


 剣を取り落としミシルカはその場に崩れ落ちた。

 この世での命を絶ちさえすればレイシャーンにまた会えると思っていたのに。呆然と血で染まった自分の手を見る。

 それならどうすれば…どうしたらレイシャーンのもとへ行ける?


‟う、ぐふ、うう…”


 涙が溢れてくる。苦しい。レイシャーンの死にざまを見た時、もうこれ以上涙は出ないだろうというほど泣いた。絶望した。だが、まだ足りないのか。死んだ後でさえ、レイシャーンに会うことはかなわないのか。苦しい。いっそこの心臓ごと魂も砕け散ってしまえばいいのに。

レイシャーン。


ミシルカ


 自分に涙に溺れそうに泣き崩れるミシルカの上に少し優しさが宿った声が降ってくる。


  お前の怒りも憎しみも愛ゆえのもの。レイシャーンも愛ゆえにその選択も間違えた。だがこれではお前もレイシャーンも他の人間もあまりにも哀れだ。お前に覚悟があるのならやり直す機会をやろう。それが出来たならお前はまたレシャーンと共にあることを許される。やるか?


“やります。どんなことでも!お願い…”


 泣き濡れた瞳に光を湛えて顔を上げてミシルカは応える。


‟途方もなく時間がかかるかもしれないぞ。何度も失敗するかもしれない。それでもやるか?”


“それでレイシャーンに会えるのなら”


“お前をレイシャーンと同じ転生の輪に乗せてやる。別の世でお前はレイシャーンを見つけるだろう。そして規模の差はあれどお前たちは共に問題に直面する。レイシャーンに今生の記憶のありなしにかかわらず、彼は事実を曲げてでも必ず身を犠牲にしてお前を助けようとするだろう。だがその時こそお前はレイシャーンの選択を正しい方へ導びかなければならない。それが出来たときがお前が許され、この世界でも時間が巻き戻るやもしれぬ。だが機会は七度まで。七度でやり遂げることが出来なければお前は永遠にレイシャーンに巡り合うことはかなわない”


“必ず、必ずやり遂げて見せる!”


 ミシルカの叫びは炎と崩れ落ちる建物の音に飲み込まれた。


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