第9話 グリゴアの報告
朝まで帰ってこないと思っていたオクタヴィアンの妻のエリザベタが夜遅く、私兵団団長のグリゴアと戻ってきた。
その姿を見た使用人達は顔を青くして、その場で固まった。オクタヴィアンはこの状況はまずい! と、思ったのだが、エリザベタは意外な言葉を言った。
「……もう好きにしなさい」
そして一人、ズカズカと早足で本館へ入っていった。
「どうした?」
「エリザベタ様、見切りをつけてワシら全員解雇か?」
絶対に怒られると思っていたその場の全員は、逆に疑心暗鬼におちいった。オクタヴィアンとヨアナとローラそれは同じ。
「な、なんか様子が変だったねえ」
「お母様、どうしたんだろ?」
「奥さま……どうされたんですかねえ?」
三人はそう言うと顔を合わせ、むしろいつもと違うエリザベタの心配を始めた。
そこにエリザベタといっしょに帰ってきたグリゴアが三人の元へやってきた。
グリゴアはオクタヴィアンと子供の頃からの友達で、オクタヴィアンの家の私兵団の団長である。
形式的には部下ではあるものの、口の利き方などは友達のそれである。しかしエリザベタには敬意を払って様をつけていた。
そしてオクタヴィアンの屋敷のすぐ隣の城に暮らしている。
本来ならオクタヴィアン一家が住む所なのだが、亡き父コンスタンティンが城で仕事をするのは何かと不便と言い、その手前に屋敷を建てて城壁で囲ったのだった。
そして何か危険があった場合のみ、城に行けるようにと隠し通路が一つだけ本館の地下に設置されている。
しかしその隠し通路は全然隠れていないので、よくグリゴアやオクタヴィアンも使っていた。
そしてオクタヴィアンは何も考えていないので、そのまま屋敷に住んでいるのである。
「グリゴア。エリザベタといっしょにいたのか?」
「ああ、オクタヴィアン。パーティーの席で俺の話が出たみたいでな。ほら、俺はヴラド様と昔、何度も戦いに言ったろ。だから呼んでくれたんだよ。俺も会いたかったしな。でもエリザベタ様はおまえがパーティーに顔を出さなかったから大変だったみたいだぞ。あ、ほら、アンドレアスが城まで迎えに来てくれたんだよ」
そうグリゴアは言うと、屋敷の門を指差した。そこには疲れた表情のアンドレアスの姿があった。アンドレアスはヘロヘロな足取りでこちらへ向かってきている。
「ア、アンドレアス! ごめん!」
オクタヴィアンは、アンドレアスに謝った。
「ご主人様、そりゃ別にいいんですけど、オラ、お腹が空いたですわ~っっ」
アンドレアスはそう言うと、さっきまでみんなが食べていた肉を見つけた。そして疲れはどこかに飛んでいったかのように走り出し、まるで飢えた獣のように肉にガッついた。
「あ~、アンドレアス。そんなに急いで食べると詰まっちゃうから~っっ」
「あ、さ、酒もある!」
アンドレアスはファイナおばさんの話も聞かず、目の前にあったワインの瓶に手を伸ばすと、口いっぱいに肉が入っていて頬張っているのに、そのままラッパ飲みを始めた。そんなアンドレアスを見て、みんなは少し笑った。
オクタヴィアンも少し笑みをこぼしたが、あまり笑える気持ちにはなれなかった。
そもそもエリザベタの怒るのももっともな話で、エリザベタが他の貴族達の相手をしている最中に、自分は使用人達とこんな馬鹿騒ぎをしていたら、腹が立つのが当たり前である。
しかしエリザベタは怒る事もなく、そそくさと屋敷へ入っていった。明らかにおかしい。それが気になってしょうがないのだ。
「な、なあグリゴア。何かあった? いつもならエリザベタの雷が落ちると思うんだけど……」
オクタヴィアンの質問にグリゴアは少し頭をかいた。
「あ~……、そうだなあ。これはあまり俺の口から言う事じゃないと思うんだが……まあ、明日ヴラド様がここに来た時に詳しく話してくれると思うが……、先日のヴラド様の戦闘でな。ラドゥ様がお亡くなりになったらしい」
その言葉を聞いて、オクタヴィアンは言葉を失ってしまった。
「え? ラドゥおじさま、死んじゃったの?」
ヨアナはまだ五歳だが、しっかり【死】というものを理解していた。
なので、幼いながらも何回か遊んでもらった記憶のあったヨアナは少し驚きの表情をした。
そして横にいたローラも、グリゴアのその言葉を聞いた後、あまりの事に固まってしまった。
それは他の使用人達も同じ事。薪割りのタラヌや庭師のボグダンなど、皆が顔を合わせた。
「ラドゥ様が?」
「半年前にここに遊びに来てたのに? ウソでしょ?」
「あんなに良くしてもらったのに……ラドゥ様が……」
女性陣のアナやバロ、ファイナおばさんに至っては涙まで流し始め、すっかりその場は悲しい空気で満ち溢れた。
グリゴアは、まずい事を言ったとは思ったがもう遅い。
オクタヴィアンの手はワナワナと震えている。
「そ、そんなバカな……! な、なあ、ウソだろ? グリゴア! え?」
オクタヴィアンはかなり動揺し、グリゴアにしがみついて何回も聞いた。
横にいたヨアナも引くほどであった。
「オ、オクタヴィアン。まあ落ち着け。おまえがここまで動揺するとは思わなかったぞ。そりゃおまえとラドゥ様が仲良しなのは知ってはいるが……」
「な、何があった?」
「それは俺もよく分からないんだよ。俺も亡くなったらしいとしか聞いていないからっっ」
グリゴアは、しがみつくオクタヴィアンを何とか落ち着かせて離すと、クシャクシャになった服を整えながら話を続けた。
「おまえがそんななら、エリザベタ様も相当動揺してしまって、その場にいるのが辛くなったんだな。いつもなら朝まで貴族達と酒を飲みながら楽しくやってるのに、急に帰るって言い始めたからな」
もうこの話の頃にはオクタヴィアンは涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃになっており、話を聞く余裕はない。
それに使用人達も完全に意気消沈している。
グリゴアは、完全にやらかしたと思った。
「明日、昼過ぎぐらいにヴラド公は来るって言ってたからな。その時に詳しく聞くといい。それと、俺の話が出るから、その話もちゃんと返事してくれよ」
そうグリゴアは言い残すと隠し通路を使う為に向かって本館に入って行った。
残ったオクタヴィアンは膝から崩れたまま涙を拭く余裕もない。
それを隣で見ていたヨアナはオクタヴィアンを抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫」
オクタヴィアンはヨアナに頭を優しく撫でられていたが、ヨアナの言葉も入っては来なかった。
しかしオクタヴィアン以上にショックを受け、顔を真っ青にした者がいた。
ローラである。
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