第10話 暗い朝

 次の日の朝、オクタヴィアンはいつものように目を覚ました。しかし昨日の報告が頭から離れず、すっきりはしない。鏡を見ても、髪型を気にする元気すらない。


 ラドゥ様が亡くなった。


 この出来事はオクタヴィアンに取ってかなりショックだった。


 ラドゥ三世。ヴラド公の弟。そして敵。

 子供の頃に二人してオスマントルコに捕虜として捕まり、ヴラドは打倒オスマントルコを心に秘め、ラドゥはオスマントルコに染まっていった。

 ヴラドが気がついた時にはラドゥはすっかりオスマントルコの人間になり、朝廷からも可愛がられ、宗教も東方正教会からイスラム教に改宗していた。


 その頃からヴラドとラドゥはお互い離れ、ヴラドがワラキア公国の公になり、オスマントルコと戦争をした際には、オスマントルコの刺客としてラドゥがやってきた。

 

 そして恐怖政治を敷いていたヴラドとは真逆に地主貴族や庶民を味方に付け、またラドゥ本人がとても柔らかい雰囲気の人間だった事もあって人気が上がり、最終的にはヴラドをワラキアから追い出し、新しい公になったのである。

 

 しかしヴラド公が国の繁栄を目的にして禁止していたオスマントルコとの貿易を地主貴族に許した事で、国内はイスラム教の影響のかかった品物が多く入り込み、キリスト教国家のワラキアは自国の文化が薄れ始め、貴族達の横暴な取引もあって庶民が貧乏になり、富裕層との貧困の差が広がってしまった。


 それでもラドゥは貴族、庶民に人気があった。とにかくそのとっつき安い人間性で、敵も味方になるほどであった。

 

 こうしてラドゥ三世が公になって十一年経った頃、キリスト教国家のハンガリーとモルダヴィアはバサラブを次の公にする為に後押しをした。そして二国の協力の元、バサラブの率いる軍の追撃にあい、公の座を奪われた。

 しかしラドゥはそこからが凄かった。

 そのバサラブに自ら近づいて、ラドゥ特有の魅力と巧みな言葉や財をちらつかせ、遂にはバサラブをオスマントルコ側に手の平を返させたのだ。

 

 それに気がついたキリスト教国家の二国は、半ば仕方なく幽閉していたヴラドをまた担ぎ出しワラキアに送る事にし、今日に至った。


 こんな感じでラドゥは十一年もの間、ワラキアの公に就いていたのだが、その間、宮廷の近くの貴族という事もあってか、オクタヴィアンの屋敷に頻繁に顔を出していた。


 オクタヴィアンの父、コンスタンティンも、ヴラドの頃の締め付けられた商売の仕方ではいまいち儲けがなかったので、公がラドゥになってからのオスマントルコにワインなどの輸出入が解禁になると、しっかり儲けを増やしてすっかりラドゥ様々になっていたし、よく屋敷に来てくれていたので、コンスタンティン的にも鼻が高かった。


 もちろん来る目的は商談がメインではあったが、そうでなくてもいっしょにワインを開けたりして、ほぼご近所付き合いの域に達していた。


 そんな訳でオクタヴィアンもラドゥとはよく食事をし、遊びをする間柄になっていった。

 二人の歳の差は一回りほどラドゥの方が上である。しかしお互いに美意識が高いというか……ナルシストな所や趣味嗜好があっており、オクタヴィアンを弟のようにかわいがってくれた。


 そしてエリザベタやヨアナ、使用人のローラにもとても優しく、差別もせずに皆に接してくれた。なので屋敷の使用人達もラドゥの事はとても慕っていた。


 そんなラドゥが亡くなった。


 これはオクタヴィアンはじめ、屋敷の者全員がショックを受ける報告だった。

 その為、その日の朝は屋敷内の雰囲気も心なしか暗く、活気もない。


 オクタヴィアンは何もやる気が起こらなかったが、昨晩のエリザベタの様子がおかしかった事を思い出し、彼女の部屋へ向かった。


 エリザベタの部屋の前に来たオクタヴィアンは、優しくノックをした。


「……起きてるかい? エリザベタ。中に入るよ」


 オクタヴィアンはそう言うと、部屋のノブをひねって中に入ろうとした。しかしドアにはしっかり鍵がかかっていた。


「あ、エ、エリザベタ?」


 中からの返事がない。オクタヴィアンはエリザベタに何かあったのかもと思い、ドアをドンドン! と、叩いて叫んだ。


「エ、エリザベタ! 大丈夫か?」


「うるさい! 今は放っておいて!」


「あ、ごめん……」


 すっかり怒られたオクタヴィアンは部屋を後にして、ヨアナの様子を見に行った。

 

 

 その頃、ヨアナも目を覚ました。

 いつもと違う。

 いつもなら乳母のローラが起こしに来るのに、今朝はローラの姿がない。


 ヨアナは少し心配になりながら自分の部屋を出ると、寝衣のまま屋敷の中を歩き、昨日とても楽しかったハズの中庭を通って、まだヨアナは小さいから入ってはいけない! と、皆に止められているローラの寝ている使用人の住んでいる別館へ入っていった。


 ヨアナはその建物の入り口のドアを開けると、左右に広がる薄暗い廊下が目に入った。ヨアナは何だか気味が悪く感じて足がすくんで前に進めなくなってしまった。


(ローラはこんな恐い所に住んでいるの……?)


 ヨアナはローラに会いたかったが、とても恐くて中に入れない。

 そうするうちに廊下の奥から、

 ギギィ……

と、いう音がして、ヨアナはその音に驚いてその場でペタっと座り込んでしまった。

 すると廊下の奥から人がのっそのっそとこちらへ向かってきた。


「あれ? ヨアナ様? どうしたのこんなトコに来て?」


 ヨアナはその聞き覚えのある声に、ホッとした。ファイナおばさんだった。ヨアナはローラが自分の部屋に来ていないという事を話した。


「そりゃどうしちゃったかねえ? 調子悪いかねえ?」


 ファイナおばさんはそう言うと、玄関からすぐ横のドアをコンコンと叩いた。

 ヨアナはその部屋がローラの部屋だと理解した。


「ローラ? ヨアナ様が来てるよ」


 しかし返事はない。ファイナおばさんはこまった。


「おかしいねえ。ローラの返事がないんだよ」

「わ、わたし入ってみる。いい?」

「そりゃもちろんヨアナ様だもの。いいよお。でも私はもう食事の準備しないといかないから、もう行くけどヨアナ様、いいかい?」


 ヨアナは軽く頷くと、ファイナおばさんを見送って、ローラの部屋のドアをゆっくりと開けた。

 そこには憔悴しきったローラが、ベッドに座っていた。


「ローラ、大丈夫?」


「ヨアナ様?」


 ヨアナが来る事など、全く想像をしていなかったローラは慌ててヨアナを部屋に招き入れたが、ついさっきまで泣いていたのが分かるくらい目は腫れて、顔も疲れきっていた。


 そんなローラをまじまじと見たヨアナはあまりに心配になって、ベッドの横に座ると、ローラをぎゅっと抱きしめた。

 

「大丈夫? ローラ? 今日はお休み?」


 ローラはヨアナに気を使わせた事に気づいた。


「……すいません、ヨアナ様。ささ、お勉強を始めましょうか」


 しかしその後の言葉が出てこず、身体は震え、目からは涙を流し始めてしまった。


「ローラ~……。大丈夫、大丈夫」


 ヨアナはそう言いながら、ローラの髪の毛を撫で続けた。

 そこにオクタヴィアンが現れた。


「二人してなにしてんの? どうしたの?」


 その子供じみたオクタヴィアンの言葉にローラは我にかえった。


「あ、いえ、なんでもないです。そうですよね? ヨアナ様」


「うん。パパ、私、早起きしたからローラの部屋まで来てみたの」


 二人の様子が変なのはオクタヴィアンにもすぐに分かったが、聞かれたくない事なんだろうと思い、気にしない事にした。そうして三人はヨアナの部屋へ向かった。


 その途中、エリザベタの部屋の前にやってきたが、エリザベタはまだ部屋から出るつもりなく、朝食もいらないと言う。


 オクタヴィアンはそんなエリザベタを放っておいた方がいいと思い、ヨアナと二人で朝ごはんを済ませ、様子はおかしいが一生懸命平静を装っているローラを気づかいながら、ヨアナの文字の勉強を始めた。


 そうしてお昼が過ぎた頃、お通夜のような雰囲気の屋敷にヴラド公はやってきた。

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