第2話 似てない双子

 二卵性双生児という言葉を辞書で引いたのは、小学四年生の時だったか。

 二つの卵子が別々の精子を受精してうんぬんと書かれてあったが、その頃の真二郎にはよく分からなかった。


「レイくんとシンちゃんは双子なのに似てないね」


 誰かに会うたびにそう言われた。「二卵性なんです」という母の返事もうんざりするほど聞いた。

 しかし、似ているとか似ていないとかはどうでもよかった。顔が違っても二人はつねに一緒だったし、自他ともに認める仲の良い双子だった。母の体を分け合い、二分だけ先に生まれた礼一郎は、自分にとってかたわれのような存在だった。


  *


 会社には外回りと言って翌日もここへ来てしまったのは、昨夜のことが幻ではないのを昼間に確かめたかったからである。商店街を歩きながら、いっそ幻であってくれたらと願ったが、店は昨夜のとおり舗道に白い看板を出していた。

 泥棒のように足音を忍ばせながら階段を降りる。ガラス扉の中をそっと覗き込んだ時、突然後ろから声がかかった。


「真二郎?」


 飛び上がりそうになって振り返ると、そこにはスーパーの袋を手にした男が目を丸くして立っていた。


  *


「ナポリタン食べる? 私お昼がまだで」

「いや、俺は……」

「どうせ立ち食いそばでしょ? ランチの残りだけどつきあってよ」


 カウンターで買い物袋を片づけた礼一郎はフライパンを火にかけ、勝手に二人分の材料を放り込んだ。手際よく鍋を振る背中の向こうで白い煙が洋食屋の匂いを放つ。

 真二郎は所在なくカウンターに置かれた水を飲んだ。何か話さなければ。


「……ここはいつから?」

「三十の時だから、もう六年。前の店の居抜きなの。だから古いでしょ、全部」


 どうりで、と改めて店を見回した。昨夜の残骸はなく、今はランチタイムの終わった喫茶店という雰囲気だ。

 フライパンを振る兄の短い髪には少しだけ白いものが混じっている。濃紺のシャツは華奢な体をより小さく見せている。


「本当は普通のカフェバーにしたかったんだけどね。お客さんが来なくて。それで、ある時やけくそで女装して店を開けたんだ。そしたら評判になっちゃって」


 礼一郎は苦笑しながら湯気の立つ皿を真二郎の前に置いた。ケチャップの甘酸っぱい匂いが漂う。


「引っ込みがつかないまま、マスターからママになっちゃった。……どうぞ。このナポリタン、近所の奥さんたちに好評なの」


 腹は減っていないと思ったが、こうして目の前に出されると胃がぐうっと音を立てる。真二郎は黙ったままフォークを突っ込んだ。


「……うまい」

「でしょ?」


 礼一郎は満足げな目でカウンターを挟んで座ると、焼きそばでも食べるように豪快にナポリタンをすすり始めた。


 意外だな、と真二郎は思った。

 記憶の中の兄は食卓に並んだものをいつも苦しそうに口へ押し込んでいたからだ。



 礼一郎が変わったのは、十代の頃だ。

 それまでは快活な、どこにでもいそうな少年だった。しかし、思春期を迎えてから礼一郎は自分の中に籠りがちになった。食が細いせいか、身長もあまり伸びなかった。

 柔道にのめり込む自分をよそに、兄は恋愛小説ばかり読んでいた。そのせいで話が合わず、高校ではお互いに口を利かなくなっていた。

 兄のマットレスの下に、男の裸が載っている雑誌を見つけたのもこの頃だ。それを見て真二郎の疑念が確信に変わった。

 礼一郎は、もう自分の知っている双子の兄ではない。

 なのに、背中合わせで貼りついたように離れない。

 それが真二郎にはたまらなくいやだった。

 

  *


「どこに住んでるの?」

「市川」

 なんだ、そんな近くだったんだ、と礼一郎が呟く。

「……母さんは?」

「成田のおばさんとこ。父さんが亡くなって少し不安定だったから。家に一人でいるよりはいいだろうって話になって」

「ああ……そうか」

「──父さんが亡くなったの、知ってたのか」

「……まあね」


 じゃあなぜ葬式にも来なかった、と言おうとした時、扉の鈴がカランコロンと鳴った。入ってきたのはギターケースを抱えた二十代半ばぐらいの青年である。


「レイさん、俺これからリハーサル行ってくるわ」


 若い男は真二郎に気づくと軽く会釈した。礼一郎はカウンターから出ると媚びるように男のそばへ寄った。お金はあるの、と小声で訊き、ポケットから札を出して男の手に握らせている。

 その一部始終を真二郎は白けた目で見ていた。



 カウンターに戻ってきた礼一郎は真二郎を一瞥すると、煙草に火をつけながら呟いた。


「……呆れてるんでしょ、私のこと」

「別にそういうんじゃ、」

「いいんだよ、分かってるから。こんなのが身内だなんて恥ずかしいよね……会社の人にバレなくてよかったよ」


 自嘲気味に笑った上唇が少しめくれ上がるようになった。その顔を見て、やはり兄は母に似ている、と思った。


「ご馳走さま。うまかったよ」 

 とりあえずそう言ってお茶を濁す。

「じゃあね」

 皿を下げる横顔は少しだけ沈んで見えた。



「あの、今度さ、うちに遊びに来いよ」


 カウンターから立ち上がりながら、気がつけばそんなことを言っていた。


「ナポリタンのお礼と言っちゃなんだけど。女房と子どもにも会ってやってくれないか。きっと喜ぶから」


 白い煙を吐き出しながら、兄は小さく、ありがとう、と微笑んだ。

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