おとうと

柊圭介

第1話 再会

「神崎、もう一軒行こうよ!」


 店を出た途端、すっかり出来上がった同僚が真二郎の腕を掴んできた。すでに二軒の店を回ってこれから三次会に突入しようという勢いだ。


 平日にもかかわらず、飲み屋街にはサラリーマンたちがあちこちで群れをなしている。騒々しい呼び込みの声と酔っぱらいの笑い声が混ざり合い、人々はアルコールの入った息を吐きながらまばゆいネオンの前を通り過ぎる。


「次どこ行く? カラオケにする?」

「キャバクラ行っちゃう?」


 内心は幼い娘と身重の妻がいる家に帰りたいところだが、今日は自分のための昇進祝いである。先輩や同期を前にしてここでさようならとも言いづらい。


「あっ、俺いい店知ってるよ!」


 二期上の社員が閃いたように手を叩いた。


「どこっすか?」

「錦糸町のおかまバー」

「おかまバー?!」

 皆がいっせいに笑った。

「面白いママがいるからさ、行こうよ神埼!」

「いいっすね、行きましょう! な、神埼!」


 真二郎は苦々しく笑いながら、心の中でため息をついた。自分はそういう系統の店は正直嫌いだ。男が女装している店になど行きたくない。だが盛り上がっている空気に水を差すのは気が引ける。

 今夜だけだ、小一時間も付き合ったら帰ろうと心に決めた。


  *


 その店は錦糸町の駅から少し離れた目立たない通りにあった。地味な商店街の一画で、不動産屋の建物の前に白い置き看板がぼうっと夜道に佇んでいる。


 バー・ジュモー


 ずいぶん古風な看板だなと思いながら、仲間に続いて階段を降りる。ガラスの扉を開くとカランコロンとこれも懐かしいような鈴の音がした。


「いらっしゃーい。お待ちしてました!」


 間延びした声とともに笑顔で出迎えた「ママ」を見て真二郎はギョッとした。


 金髪のかつらに胸元の開いた真っ白なワンピース。厚化粧の顔でひときわ目立つ唇は口紅がこってりと塗られている。口元にはご丁寧にほくろまで描いてある。

 

「ママ、久しぶり! 今日はマリリン? 似合ってるねえ!」

「ありがとー! なんでも似合っちゃうのよ私」


 背筋が寒くなる会話を聞いて真二郎は心底引き返したい気持ちに駆られた。やっぱり俺は、と踵を返そうとしたところを、先輩のひと言が遮った。


「今日はこいつの昇進祝い。俺を抜かしてチーフになっちゃったんだよ、憎らしいだろ? 今日は思いっきり飲ませてやって! ほら神崎、お前もあいさつしろ」


 ママの前へ押し出された真二郎は仕方なく会釈した。


「あ、神崎です。どうも」


 その瞬間、相手が小さく息を呑んだのを感じた。視線を上げると、つけまつげの瞳とぶつかった。驚いたような目で呆然とこちらを見つめている。


「はじめまして……レイです」


 見た目より若い声でママはぎこちなく微笑んだ。紅を塗った上唇がかすかにめくれあがった。

 それを見て真二郎はあっと叫びそうになった。


 この声。この名前。

 化粧で隠れてはいるが、高い頬骨も、上唇が少し厚いところも、十五年前と変わっていない。

 真二郎は思わず一歩後ずさった。スーツの下で一気に脂汗が湧いた。


 そこにいたのは礼一郎だった。

 二十一歳の時に家を出た、双子のかたわれの、礼一郎だった。

 


「ママ、ボトル出してくれる!」

「はーい、ただいまー」


 女装の男は真二郎に視線を残したまま返事をすると、満面の笑顔に戻ってサラリーマンの輪に加わった。真二郎は引きつった口元を食いしばり、精一杯楽しげな表情を繕って仲間に入った。

 


 二十人も入ればいっぱいになりそうな小さな店だ。

 古ぼけた深紅のソファはところどころにシミがついている。壁には安っぽい抽象画。テーブルの向こう側にはカウンターがあり、スツールが七、八席ほど並んでいる。そこには常連らしい中年の男が三人、声高に話しながらウイスキーを酌み交わしている。

 庶民的といえば聞こえはいいが、どこをどう切り取っても野暮ったい。そんな陳腐な空間で一人だけ金髪のかつらをつけて白いドレスを着た男は異質に見え、同時になじみすぎているようにも見えた。


 賑やかな夜だった。

 同僚たちはママに乗せられて水割りを何杯もおかわりし、卑猥な冗談に大笑いし、カラオケを熱唱した。  

 真二郎は作り笑いを貼りつけたまま機械的にウイスキーのグラスを空けた。ママの視線が自分に注がれるたびに背中でぞくりと冷たいものが走った。酔えない。いくら飲んでも酔えそうにない。目の前に双子の兄が座っている。こってりと化粧して、女装して、馬鹿笑いして、裏声で歌を歌って──

 


 やっと帰途に就いたのは午前一時過ぎだった。タクシーの中で今さらのように気分が悪くなってきた。動揺を隠すために飲み続けていたら悪酔いしたらしい。


 なんて再会だ。めでたい日だというのに、よりによって、一番会いたくない人間に──


 真二郎は大きくため息をつくと、重たくなった頭をタクシーの窓にもたせかけた。

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