第2話 くそばかりなんだよ、この世界は

 次の日の朝、重い足取りで登校すると、深見と昇降口で会った。


「おはよう、どうです、死にたくなりましたか?」


 うきうきした顔で言う彼女。昨日、自殺しようとしていた女とは思えない。

 俺は今きっと渋い顔をしているだろう。


「なってねぇよ」

「嘘ですね、だってなんか今日は死にたそうな顔をしています」


 妙に鋭いやつだ。


「べつに死にたくなったわけじゃない、なんか生きる理由がわからなくなっただけだ」

「じゃあ死にましょうよ」

「じゃあ、じゃねぇよ、お前はどうしてすぐに自殺と結びつける、頭おかしいのか」

「ひどいですねー、私はまともですよ」


 ぷりぷりと怒る彼女。

 まともなやつは他人を自殺に巻き込もうとなんてしねえだろ、と思ったが、言ったらまた怒りそうなので黙っておく。

 教室に二人で入ると、喧騒がクラスの後ろの方から聞こえてきた。


「なーんで学校きてんのおまえ?」

「お前の顔面見ると気分悪くなるんだわ」


 陽キャグループの男子たちがいじめをしていた。

 複数人から暴行を受けているのは、沢野という眼鏡をかけた生徒だ。下の名前は、なんだったけな、忘れた。

 彼はここ数か月くらいずっといじめられていた。

 理由は容姿が醜いからとかしゃべり方がきもいからとか休み時間に美少女が表紙のラノベ読んでてきもいからだとか、まぁいろいろあるようだ。

 俺も一歩間違えばああなっていたのかもしれない。

 なるべく目立たず、ああいう奴らに目をつけられないように生きてきた。


 俺と深見は見て見ぬふりして、それぞれの席に着いた。

 俺は窓際の前の方の席、彼女は廊下側の前の方の席。

 幸い、いじめを知らんぷりしやすい位置にいた。

 数十分後、担任の女の先生が入ってきた。三十代、独身、気の弱そうな見た目で実際気の弱い人だ。

 がっつりいじめの現場を目撃していたが、そこにはふれず、苦笑いして「ホームルーム始めるから、席について―」と言った。

 いじめていたやつらがぞろぞろと席に着く。

 先生を見て、失望した顔をしている沢野。

 先生は申し訳なさそうな顔をしている。

 べつにあの先生は悪人というわけではない、ただ小心者すぎるのだ。

 彼女だって決していじめを放置していいと思っているわけではないだろう。

 そんな彼女を俺たちは責めることができない。だって俺たちも見て見ぬふりをしているのだから。


 授業が全て終わり、掃除も終わった。

 帰る時刻となると、そそくさと沢野が教室を出ていった。

 ああして早く出ていかないと、いじめをうけるからだ。

 沢野は朝だけでなく、昼休みも教科書をごみ箱に捨てられたりしていた。

 日に日に、彼の顔は陰鬱さが増していっているような気がする。

 沢野のメンタルはそろそろ限界に来ているんじゃないだろうか?

 

 俺も教室を出て、校舎を抜けて、校門まで歩いていると、「ちょっと」と聞き覚えのある声に呼び止められた。

 無視して歩いていると、がっと背後から肩を掴まれた。

 やれやれと思いながら振り返ると、眉根を寄せた深見がいた。


「なんで無視するのよ」

「お前の声が聞こえたからな」

「なによそれ、こんな美少女に声をかけられているというのに」

「自分で言うかよ」

「いいじゃないですか、自分で言っても、私は自分なんて全然かわいくないよって謙遜する人より、私はかわいいって自覚していて堂々としている人のほうが好きです」

「ああそうかい」

「まぁそんなことはどうでもよくて、どうです、今日自殺するというのは?」

「そんなコンビニ行くくらいのノリで自殺に誘うな」

「あれ? 嫌なんですか、今日ずっと死にたそうだったのに」

「そんなことねぇよ」

「まぁいいです、あなたが素直になるまで待つことにします」

「待たなくていい、一人で死んどけ」


 冷たくあしらうも、彼女はふんふんふーんと鼻歌を歌いながら俺の隣を歩いてくる。

 こいつ本当に自殺したがってるのか? どうみても人生を謳歌している顔にしか見えない。

 歩いていると、小さな公園が前方に見えてきた。


「あの公園に寄って行きませんか?」

「どうして?」

「なんとなく、寄りたい気分なんです。少しだけですから」

「まあ少しだけならいいが……帰って観たい夕方のアニメがあるんだ、それまでには帰るぞ」


 俺たちは公園に入り、端っこの方にあるベンチに、間隔を若干開けて座った。

 ベンチの少し離れた先には砂浜があった。

 そこには三人の子供たちがいて、二人の子供が一人に対して、砂を投げつけている。

 全員たぶん小学校低学年くらいの子だ。

 あんな年齢の子たちでもいじめをするんだから、人間には本能的に他者を傷つけたいという気持ちが備わっているんじゃないだろうか、という気がしてくる。

 深見は俺の隣で、そんな子供たちをベンチからぼーっと眺めていた。

 しばらくして、彼女が口を開いた。


「昔、私もこの公園でよく遊んでいたんです」

「その話、長くなる?」

「いえ、そんなに」

「なら聞いてやってもいい」


 夕方のアニメの放送には間に合うだろうか。

 彼女はゆっくりと語りだした。


「ある女の子とこの公園の砂浜でよく遊んでいたんです。その場所は最初は私と彼女だけの場所でした。でも、やがて男子たちが来るようになって、砂浜の領有権をめぐって争いが起きたんです。私はあきらめて帰ろうとしたんですけど、彼女が譲らず、男の子たちに自分たちが先に来ていたと主張して、男の子たちはそんな彼女を殴りだしたんです。私はというと、このままじゃ巻き込まれると思って、彼女を見捨てて逃げてしまったんです」

「ひどいな」

「ええ、でも見捨てたことを後悔していません」

「しろよ」

「しません、だって面倒ごとに巻き込まれたくないじゃないですか。君子危うきに近寄らずというやつですよ。いじめを見て見ぬふりするような人の大半はこういう感情なんだと思います」


 深見はどこか遠くを見るような目で砂浜の子供たちを見つめる。

 彼女は今もただの傍観者だった。


「でも、私だけじゃないじゃないですか。あなたも同じ穴の狢ですよね?

 沢野君がいじめられているときだって止めようとしなかったし、今だって」

「ああ、その通りだよ、俺もお前もくそだ、くそばかりなんだよ、この世界は」

「……ええ、まったくもってそうですね」


 それから長い間、俺と彼女は黙っていた。

 まだ砂浜ではいじめが続いていた。いじめられている子は泣きだした。

 それでもいじめっ子たちはその手を止めようとしない。

 いじめは終わらない、いつまでもいつまでも。


「私、沢野君をかわいそうって思ったこと、実はないんですよ」


 沈黙を破った深見の言葉は、あまりにも冷徹だった。

 彼女は無表情で自分の感情を曝け出した。


「じゃあ、いじめられている沢野を見て、どう思ったんだ?」

「羨ましいと思いました」


 普通の人が聞いたら驚くようなことを深見は言っているのだろう。

 だが、俺はなんとなく彼女はそう言うんじゃないかと思っていた。


「帰りましょう、ここにいても胸糞悪くなるだけです」


 深見は立ち上がった。歩き出す彼女の背中に言葉を投げかける。


「助けないのか?」

「助けませんよ、あなたの方こそ助けないのですか?」

「助けない」

「でしょうね」


 深見は静かに歩いていく。俺も彼女の背を追った。

 振り返ると、いじめられて泣いている子が俺たちを見ていた。

 失望と絶望の色で濁った瞳が俺を射抜いている。

 それでも俺は何もせず、公園を立ち去った。

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