07



「っ、それ、私の……!」


 薄い桃色をした、可愛らしい小銭入れ。理の手中に収まるそれを見て声を上げた女性は、次いでその視線を彼氏へと移した。


「何であんたが、私の財布を持ってるわけ……?」


 彼女から疑惑を孕んだ視線を向けられた男性は、理の手を強引に振り払うと、開き直ったかのようにぺらぺらと自身の犯した罪を口にする。


「っ、あぁ~ウッセェな! お前みたいな金しか取り柄がない女、オレが本気で好きになると思うか? 羽振りがいいから付き合ってやってたのに、最近は金出すの渋るしよぉ。だからオレが使ってやろうと思ったんだよ。その方が金だって喜ぶだろ?」

「っ、ひどい……」

「はぁ? 優しいの間違いだろ? お前みたいなつまんねー女と付き合ってやってたんだからよぉ」


 その目に涙を溜める女性。けれど男からはそんな彼女の表情を見ても反省してる様子など一切感じられず、下卑た笑顔でただただ酷い言葉を吐き出し続けている。

 理が男を黙らせようと一歩近付く。しかし耳に届いた玲衣夜の声に、その動きを止めた。


「ねぇ、知っているかい? ……言葉は見えないし残らないけれど、消えることもなければ、無かったことにもならないのだと」

「……は? いきなり意味わかんねーこと言ってんじゃ「つまり、」


 顔を顰めた男は首を傾げる。けれど玲衣夜は男に口を挟む隙を与えることなく、言葉を続ける。


「君が犯した行為も、たった今彼女を傷つけた言葉も、一生消えることはないのだよ。そしてそれらの悪行は、今回私が気づいたように……見ているものは見ているものなのさ。私はねぇ、それらはいつか必ず自身に返ってくるものだと思っているのだけれど。――事の真相が明かされた今、それが証明されただろう?」


 にっこり笑いながら挑発するようなことを言う玲衣夜に、男は顔を真っ赤にして震えている。


「っ、テメェ……さっきから言わせておけば……‼」


 再び玲衣夜に掴みかかろうとする男だったが、その腕を捻りあげた理によって動きを封じられた。

 「これ以上罪を重ねるな」と男を見据える理の声は、冷たく鋭い。

 それでも尚抵抗を続ける男だったが、近くにいた別の刑事に引き渡され、連行されていった。男の背を見送った理は、玲衣夜に向けて呆れたような視線を送る。


「お前は……考えなしに物事を言う癖、いい加減に直したらどうだ?」

「ん? だって理くんが何とかしてくれるって分かっていたからねぇ。何も考えなしに口にしたわけじゃないさ」

「……はぁ」

「あはは、溜息ばかり吐いていたら幸せが逃げてしまうよ?」

「……誰のせいだと思ってるんだ」


 顔を顰めて溜息を漏らす理に、玲衣夜は気の抜けた笑みを返した。そして、一人残された女性に目を向ける。

 しゃくりあげ、未だに泣き続けている女性。近づく玲衣夜に気づき顔を上げたその目元は、真っ赤になっている。


「お嬢さん、大丈夫かい? ……そんなに擦っては目を傷めてしまうよ」

「で、でも私……っ、バカですよね。あんな奴に騙されて、今までお金だけ貢いできて……」


 懐からハンカチを取り出した玲衣夜は、女性の濡れた頬にそれをそっと押し当て、眉尻を下げて微笑んだ。


「そんなことはないさ。お嬢さんは人を信じられる、優しい心の持ち主だと、私は思うよ。それに……あんな・・・のために涙を流すのは、勿体ないだろう?」


 玲衣夜に頭を撫でられた女性の顔が――悲しみに暮れていた表情から一変、仄かに熱を持ち、ぽぅっと見惚れているようなものに変わっていく。


「涙は止まったみたいだね。……大丈夫。君のような素敵な女性なら、またすぐに良い人が見つかるさ」


 頭を撫でていた手で、最後に女性の頬をするりと一撫でした玲衣夜。パチンと茶目っ気を孕んだウィンクを一つ落としてから、静かに立ち上がり千晴のもとへと歩み寄る。


「用も済んだことだし、帰ろうか。千晴」


 歩き出す玲衣夜の後を千晴が追いかければ、背後から、女性の呼び止める声が聞こえてきた。


「あ、あの、待ってください……! その……、あなたのお名前を教えてくれませんか!?」


 上ずった声で話す女性の方に振り返った玲衣夜は、ドラマや漫画の中でしか聞かないような気障な台詞を、さらっと口にした。

 口元に人差し指を立てて、誰もが見惚れてしまうような美しい笑みを湛えながら。



「私はしがない探偵。名乗るほどの者でもないさ。――See you later, my lady.」


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