08
「玲衣さんってさぁ、ほんとに……」
「ん? 何だい?」
一歩前を歩いていた玲衣夜が振り返った。その口許には、会場を出る前に買ったばかりの林檎飴。唇を赤く染めて、幸せそうな顔で笑っている。
「……別に。何でもないよ」
――人たらしだよなぁ、って。その言葉は、声にすることなく胸中で留めておくことにした千晴。言ったところで玲衣夜の人たらしがなくなるわけでもないし、これが“一ノ瀬玲衣夜”という人だからだ。千晴はそんな玲衣夜だからこそ、こうして側にいることを選んだのだから。
千晴の顔を見て不思議そうに首を傾げながらも、然して気にしていない様子で歩き始めた玲衣夜。林檎飴を齧りながら、歩く速度を緩めて千晴の隣に並び立った。
「それにしても、今日は楽しかったねぇ」
「うん、そうだね」
「まさか理くんたちに会えるとは思ってもみなかったけれど……彼の狙撃の腕前も拝見できたし、愛らしい猫のぬいぐるみも手に入れたことだし。美味しいものも食べられて、最高の一日になったよ。これも全部、千晴が誘ってくれたおかげだね。ありがとう」
「……うん、どういたしまして」
――真っ直ぐにお礼を告げられるのは、何だか少し、気恥ずかしい。
千晴は照れ臭さから、いつもより小さな声で返事をした。
会場から離れて人もまばらになった夜道を並んで歩きながらそんなことを話していれば、前方から誰かが歩いてくるのが見えた。背格好からして男性だろう。
等間隔に設置された街灯の光ではその相貌まではっきりと見ることができないけれど――真横を通り過ぎる際、確かに分かったのは、その人物の顔が、血に濡れていたということだ。
「……今の人、凄い怪我してたね。……玲衣さん?」
いつの間にか足を止めていた玲衣夜は、つい今しがたすれ違った、血だらけの男性が去っていった方向をじっと見つめている。
「どうかしたの?」
「……いや、何でもないよ」
何かを考え込むようにしてしばらく黙りこんでいた玲衣夜だったが、すぐに何事もなかったかのように前を向き、事務所に向かって歩きだした。
玲衣夜に倣い、千晴も先ほどの男性が歩いていった方に視線を向けてみたが――その姿は、もうどこにも見当たらない。
柔らかな月明かりと薄暗い街灯の光に照らされた夜道が、ただ真っ直ぐに続いているだけだった。
「……あ。勝負に負けたのに、理くんに奢るのをすっかり忘れていたよ」
「まぁ、一ノ瀬さんも覚えてなさそうだし……それに一ノ瀬さん、玲衣さんに奢られるのとか嫌がりそうな気がするから、いいんじゃないかな?」
「あはは、確かにそうかもねぇ。……うむ。今度差し入れに何か持っていってあげようかな」
「……うん。でも、迷惑かけない程度にしてね」
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