第18話 過去の敵であったとしても
「……ん」
碧の帰りを待っていた秘翠だったが、夕食の時間になっても姿を見せない彼を心配していた。和佐には「実家にいるから大丈夫」と笑われたが、無意識の領域でずっと碧の姿を探していた。
そして日が沈み、夜中となろうとしている。
秘翠は頑張って居間のソファーに座って碧を待っていたが、眠気に勝てずにその場で眠りに落ちてしまう。そして、夢を見ていた。
隠れ里を出て、何度も見た夢。前回は両親との幸せな日々の記憶だったが、今回は違う。
「――っは、はっ。何か、来てる!?」
真っ暗闇の中、秘翠は何かから追われて逃げていた。懸命に足を動かし、息を切らせても、立ち止まってはいけないと本能が叫ぶ。
振り返れば、足が止まるかもしれない。何かに囚われるかもしれない。秘翠はその恐怖に怖気付きながらも、決死の覚悟で背後を見た。
「……あ」
すぐ後ろまで迫っていたのは、秘翠自身だ。ただし、破壊の力を行使する時の翠色の髪をして、真っ黒な影のような姿となった異形の姿。
「い、や」
目が合うと、もう一人の『秘翠』はにっこりと嗤った。真っ赤な口腔と真っ白な歯が、やけに鮮明に秘翠の目に映る。
「嫌。嫌嫌嫌嫌嫌嫌っ」
立ち止まり、向かい合う。大きく膨らんでいく影は、恐怖に泣き崩れる秘翠に覆い被さろうと手を伸ばしてきた。もう逃げられないと諦め目を閉じながらも、秘翠は脳裏に浮かんだ人物の名を叫んだ。彼との約束は、何も果たせていない。
「――っ、碧くん!」
名を呼んだ瞬間、秘翠の冷え切っていた体が熱を発した。正しくは、何かあたたかいものに包まれた。
不思議に思い瞼を上げた秘翠は、そこが夢の世界ではないことを知る。目の前に、必死な顔で秘翠に呼び掛ける碧の姿があったのだ。
「……い? 秘翠!」
「あ、お、くん?」
「よかった。うなされていたから、心配したぞ」
呆然と自分の顔を見詰める秘翠に、碧は安堵した顔で笑いかけた。さらりと指通りの良い秘翠の髪を何となく梳き、碧はそこで初めて秘翠との距離がとても近いことに気付く。ソファーで眠っていた秘翠を起こすために彼女の傍に腰掛け、上から覗き込むようにして肩を揺らしていたのだからなおさらだ。
「ご、ごめんっ。近過ぎた!」
「へ? あ、えと……だ、大丈夫っ」
慌てて離れ赤面した碧に影響され、秘翠も頬を染める。
二人して照れてしまい話は進まなかったが、碧が先に落ち着きを取り戻した。
「そ、それで、秘翠は俺を待っててくれたのか? こんな時間まで」
「だって、全然帰って来ないから。和佐さんも未来ちゃんも『大丈夫だ』って笑うだけだったけど、わたしは……」
「そっか、心配かけたな。……その、待っててくれてありがとな」
照れ隠しにそっぽを向きながら碧が礼を言うと、秘翠は「ふふっ」と微笑んだ。
「わたしが待っていたかっただけだから、良いの。お帰りなさい」
「うん、ただいま。こんなに遅くなって、ごめん」
碧はようやく帰宅の挨拶をすると、秘翠を起こすためにテーブルに置いていた太刀を手に取った。鞘に入れたそれを秘翠に見せ、碧は祖父との一件を語った。
「……というわけなんだ。この太刀は俺の先祖、渡辺綱の太刀を写して作ったものらしい」
「碧くんたちの先祖が、渡辺綱……」
思わぬ事実を告げられ、秘翠は目を丸くした。彼女の様子を見て、碧は申し訳ない気持ちになる。
「そういう意味では、秘翠にとっては敵になる、のかな……?」
「ううん。碧くんと渡辺綱は違うし、わたしと酒呑童子も、血が繋がっているということだけで同じではないから。そんなに悲しいこと言わないで」
「ああ、ごめんな」
苦笑し、碧は太刀を鞘から抜いてみせた。すると太刀の刀身がふわりと淡い青色に輝き、二人の顔を照らす。
「……怖いけど、綺麗」
「ああ。……なあ、秘翠」
「何?」
顔を上げた秘翠の瞳に、碧の真剣な顔が映り込む。思わず息を呑んだ秘翠を前に、碧は太刀の刀身を指でなぞりながら決意を告げた。
「この『夜切』を使いこなせるようになって、秘翠を護れるようになる。絶対に、秘翠が悲しむようなことにはさせないって約束する」
「碧、くん……」
「何度も言ってるから、そろそろ鬱陶しいかもしれないけどな。それでも、伝えさせてくれ。俺は、秘翠を護りたい。だから、見ててくれ」
頬を赤らめ、懸命に訴える碧。彼の姿を目の前にして、秘翠は泣きそうな顔で微笑みを浮かべて頷いた。
「うん。……信じてる」
「ああ」
碧も微笑し、ようやく二人はそれぞれの部屋で休むことにした。
それから毎日、碧は高校から帰ると道場に通うようになった。未来たち剣道道場の弟子たちとは別メニューを組み、聡太に稽古をつけてもらうのだ。道場から帰宅すれば、自主鍛錬が始まる。ただ一心に強くなることを目指し、碧は太刀の扱いを覚えていった。
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