第19話 紀花襲来

「最近、渡辺帰るの早いよな?」


 碧が自主鍛錬を始めてから数週間が経った頃、放課後に帰宅しようとした碧を呼び止めたのはクラスメイトだった。その疑いを前面に出した問に対し、碧は顔をしかめて振り返る。


「そうか?」

「ああ。帰宅部ってのは前からだけど、最近付き合い悪くないか?」

「何? カノジョでも出来たの?」


 同級生の滝川たきがわみつる里田さとだ翔子しょうこがニヤニヤしながら碧を見る。彼らは碧にとって中学からの友人たちで、何でも話すことの出来る間柄だ。

 満はバスケ部に所属する、身長百八十を超えるイケメン男子だ。体は大きいが、性格は繊細で優しい。そのギャップがモテる理由にもなっている。

 翔子は小柄な歴史大好き女子だ。神話や歴史書を読むのが趣味という、本格派である。

 それでも、碧は秘翠や鬼の一族のことを話そうとは思っていなかった。どう考えても巻き込むのは危険過ぎ、更に余計な心配をかけたくなかった。

 探るような目を向けて来る二人に対し、碧は肩を竦めてみせた。彼女という言葉を聞いて思う所がないわけではないが、それは横に置いておく。


「彼女は出来てない。……少し前から、また剣道を始めたんだ。じいさんが、放課後すぐ来いって五月蝿くてな」


 嘘ではない。剣道よりも危険な武術であり、理由は曖昧にしたままだが。


「ふうん」

「良いんじゃね? 頑張れよ」

「ああ。ありがとな」


 そんな言葉であっても、翔子と満は納得したらしい。

 ようやく二人から解放された碧は、教室を出ると速足で最寄り駅へ向かった。電車に乗って地元の駅に着くと、そこから自転車に乗り換える。駅から自宅までは自転車で十分程の距離だが、人通りの少ない横道に逸れた途端、碧は首筋にチリッとした感覚を覚えた。


「何だ……?」


 このまま前進してはいけない気がして、碧は自転車を止める。すると目の前に、巨大な刃が振り下ろされた。刃は道路の塗装を抉り、破片が散らばる。


「残念。躱されたわね」

「誰だ、お前」

「お前なんて、失礼ね」


 腰に左手をあて、大鎌を手にした美女が碧の目の前に立ち塞がっている。彼女は豊かな長い黒髪をなびかせ、深淵のような黒に近い色の瞳で碧を見詰めた。そして、ひどく命令し慣れた声でのたまう。


わたくしの名は、紀花きか。酒呑童子様の再来を願い、日夜祈りを欠かさぬ者。渡辺碧、秘匿の娘を渡しなさい」

「嫌だ」

「……即答か」


 間髪入れずに拒否した碧に、紀花は感嘆を含んで目を見張った。しかし、碧が元来た道を戻ろうと自転車の向きを変えた途端、紀花の大鎌が自転車の後輪を上下に切り分けた。


「うわっ」


 碧は辛うじて自転車から飛び降り、アスファルトの上を転がって鎌から逃れる。ガリッと音がして、二の腕から血が出ていることに気付く。


「ちっ」


 痛みを堪え、碧は紀花の更なる攻撃を躱す。紀花の攻撃は大鎌を振り回し振り下ろすという単純なものだが、狭い路地では単純な攻撃の方が効果が高い。

 幾つかの空のポリタンクやゴミ箱を破壊し、大鎌が碧を追い詰める。既に自転車は使い物にならず、碧は転びそうになりながらも路地の奥へと走っていく。

 碧の後を追う紀花は、全く抵抗せずにただ逃げる碧にしびれを切らす。逃げる少年を嘲笑い、大きく鎌を振りかざした。


「お前、逃げてばっかで恥ずかしくない訳? 少しくらい反撃してみなよ!」

「出来るんなら、とっくにしてるさ!」


 碧は吼えるように叫ぶと、急停止すると同時に左足を軸にして鎌の切っ先から身を逸らす。紙一重で怪我を免れると、ステップを踏んで紀花から距離を取った。


「ようやく、向き合おうっての? 武器もないのに」

「その武器もない奴を殺そうとしてるのはあんただろ」

「あんた? 紀花と名乗ったでしょう。覚えが悪いな!」


 紀花の怒号と共に放たれた鎌の衝撃波は碧の鳩尾を直撃し、碧は「かはっ」と肺の中の空気を全て外に持って行かれた。そのまま廃屋の壁まで吹き飛ばされ、背中を強打する。


「ぐっ」

「……ほら、さっさと秘匿の居場所を吐きな? このままじゃ、お前が壊れちまうだろ」


 トタン屋根が落ち、崩れ落ちた碧の傍に破片となって散らばった。けほけほと咳を繰り返した碧だが、紀花が目の前に立った時には顔を上げている。


「嫌だ」


 口の中では血の味がするが、それを唾ごと飲み込んで碧は紀花の命令を拒絶した。彼の瞳には強い光が宿り、絶対的な意志が感じられる。


「あいつは、俺にとって大切な人だ。あいつを、お前なんかに渡さない」

「交渉決裂、だね」


 残念だよ。紀花はそう言うが早いか、手にした大鎌を振りかぶる。


「さよならだ」

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