第16話 渡辺家の由縁
碧は聡太に言われた通り、ペットボトルのふたを開けて中身を喉に流し込む。よく冷えたスポーツドリンクが喉を潤し、碧は喉が渇いていたのだとようやく自覚した。
ふっと息を吐くと、碧は聡太に頷く。すると聡太は竹刀を壁に立てかけ、指で碧について来るよう促した。彼について行くと、道場の外に出る。
何処へ向かっているのかわからないまま、碧は砂利の敷き詰められた庭を歩く。やがて、道場と反対側の敷地の端に辿り着き、そこに建てられた大きな蔵を見上げた。幼い頃、碧は未来と共に祖父の庭を走り回った。そんな記憶を思い出していた碧の耳に、聡太の太い声が響く。
「この中に入る前に、お前に渡辺家の由縁を話しておこうか」
「由縁?」
「そうだ、碧。わしらの先祖はな、渡辺綱という武士だったんだ」
「わたなべの、つな。……っ、渡辺綱ってもしかして、源頼光に仕えたっていう?」
「そうだ。よく知っているな」
息を呑む碧にその場に座るよう促すと、聡太は孫と向かい合って胡坐をかいた。
「お前の家に、今、鬼の一族を名乗る女の子がいるのだろう? その子が酒呑童子の子孫だというのなら、古来、お前とその子は敵同士ということになる」
渡辺綱は、朝廷に命じられて酒呑童子退治に加わった。主である源頼光たちと共に酒呑童子を騙し、その首をかき切ったのだ。
酒呑童子は死んだが、彼の仲間、一族の者たちは根絶やしにはされなかったらしい。朝廷の目から逃れ、隠れ住み続けて来た末裔が、秘翠たちなのだろう。
「酒呑童子は、大きな恨みを残して死んだ。その思いが受け継がれて一人の少女に宿っているのだとしたら、お前はどうしたい?」
「どうしたい、って……」
聡太の言わんとしていることがわからない。碧は戸惑いを顔に浮かべたまま、祖父の意図を探す。
「俺は……彼女を護りたい。護らせて欲しい。寂しそうに笑うあの子が、心から笑顔で過ごせるように、助けたいんだ。そのためなら、戦える」
「……なるほど、な」
くしゃりと音をたてるようにして、聡太は笑みを深めた。どうやら、答えとして正解だったらしい。
聡太の反応に碧が安堵したのも束の間、聡太はふと表情を改めた。懐から鍵の束を取り出すと、その中から古そうなものを一つ選び取る。その鍵を蔵の鍵穴に差し、ガチャリと重々しい音が鳴った。
鍵は錠前だけでなく、閂もある。幾つかの鍵を開け放ち、聡太は碧を手招いた。
「入って来い、碧。お前に、見せたいものがある」
「見せたいもの?」
虫干しする日くらいしか開けない蔵であるためか、ほこりっぽさが鼻を突く。思わず咳き込んだ碧だが、祖父の背中を追った。
蔵の中は薄暗く、小さな天窓から差し込む光が唯一の明かりと思えた。進もうにも、古びた木箱や布袋の山が邪魔をする。聡太を追って歩くが、聡太が何を目指して歩いているのかわからないまま、碧はきょろきょろと蔵の中を見ながら歩いた。
「じいさん、俺に見せたいものって何なんだよ?」
「ここまで来い。来ればわかる」
「はぁ? ……何だよ、この木箱。何か、呼んでる?」
「呼んでると思うなら、お前を待っていたんだろうな。ほら、開けてみろ」
「……」
聡太に促されるまま、碧は祖父の前にある棚から、細長い木箱を取り出した。恐る恐る床に置き、ほこりまみれの表面を払う。するとそこには、筆文字で何かが書かれていた。達筆すぎて読みづらかったが、何故か碧はその文字の意味が頭に浮かぶ。
「……お、に、きり。『鬼切安綱写し太刀』『
「そう。これは、先祖の一人である渡辺綱が酒呑童子退治の時に使用した太刀を写したものだ。単なる写しではなく、その力をコピーした代物だと伝え聞いている」
「先祖が、酒呑童子退治で使った太刀の写し……。これが、俺を呼んでいた?」
「最近、夢見が悪くてな。どうも、運命というやつが動き始めたらしい。わしの役目は、お前にこの太刀を渡すことだ」
持って行け。聡太に言われ、碧はそっと木箱の蓋を取った。ほこりが舞い、数秒息を止める。そして、碧は太刀を目にして心臓を掴まれるような衝撃を味わった。
(何だ、これ!?)
ドクンドクン、と不自然な拍動が止まらない。冷汗とも脂汗とも判別のつかないものが噴き出し、碧は右手でシャツの胸元を掴む。
「わしは道場にいる。受け入れる覚悟が決まったら、太刀と共に来なさい」
聡太はそれだけ言い終えると、座り込んでしまった孫の横をすり抜けて蔵を出て行ってしまった。
圧倒的なプレッシャーに襲われながらも、碧は『夜切』と名付けられた太刀に手を伸ばす。鬼を斬ったという太刀の写しならば、茨や鵺と対等に渡り合うことが出来るかもしれない。そうなれば、秘翠を自分の手で守ることが可能になる。
「――頼む。俺に彼女を護る力を貸してくれ」
太刀が喋るはずもない。そうだとわかっていても、碧は心から太刀に願い出た。太刀そのものだけではなく、太刀を作った刀匠、そして元の鬼切の所有者である渡辺綱に。
たったひとり、決して泣かせたくない女の子を護る力が欲しい。
自分のその想いが一般的に何と呼ばれるかは横に置いて、碧は唾を呑み込むと覚悟を決めて太刀を手に取った。
「……っ、あお、い炎が」
手にした途端、太刀の力のようなものが体に流れ込むのを感じた。ほぼ同時に、太刀の刃が青く燃え上がる。それよりも勢いの弱く淡い色をした炎は、この前木刀を持った時に見た。どうやら、同じような意味合いらしい。
そして、力と共に何者かの思念が見えた。その思念の持ち主が誰なのか、碧が理解する前に彼自身の中に溶けて消えてしまう。
「行こう」
太刀の入っていた木箱を再び仕舞い、碧は太刀を一緒に収められていた鞘に入れて立ち上がる。ずっしりとした重さを感じはするが、手に馴染むためか扱うのにはさほど苦労しなさそうだ。
「じいさん」
「来たか、碧。……ああ、同化しているな」
碧が道場にいる聡太に声をかけると、素振りをしていた祖父が振り返りざまにそう言った。聡太は若干の苦々しさを表情に隠し、不思議そうな顔で首を傾げる孫を迎え入れる。
「同化? どういうことだよ、じいさん」
「気にするな。いずれ、必要ならばわかるだろうさ」
「ふうん?」
あくまでも問いに答えるそぶりを見せない聡太から聞き出すことを諦め、碧は話題を変える。
「で、ここに俺をもう一回呼んだ理由は?」
「簡単な話だ。久し振りに、孫と手合わせがしたい。どうだ?」
「良いよ。でも、お手柔らかにお願いします」
「ふっ。それはこちらの台詞だな」
碧と聡太はそれぞれに竹刀を手に取り、正眼に構える。碧は夜切を床に置くと、聡太に向かって頷いて見せた。
それが、合図。
審判も観客もいない道場で、祖父と孫の一騎打ちが始まった。
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