第15話 祖父との鍛錬

 同じ日の午後、昼食を食べた碧は祖父の家を訪ねた。

 祖父・渡辺聡太そうたの家は、古い日本家屋だ。昔庄屋を務めた先祖がいたという言い伝えがあり、築百年に届こうという古い家に住んでいる。近隣の家よりも土地が広く、敷地内には聡太が経営する剣道の道場が建てられていた。


「じいさん、こんにちは」


 インターフォンを押し、碧は祖父の姿を待つ。しかし一向に現れず、碧は首を傾げながら敷地内に足を踏み入れた。


「じいさん?」

「何だ、来たのか。碧」


 もしやと思い碧が道場に顔を出すと、聡太は道着を来て竹刀を振っていた。顔を見せた碧に気付き、聡太がゆっくりと近付いて来る。

 七十歳を超えた聡太だが、かくしゃくとして歳を感じさせない。程よく筋肉の突いた体つきは、十歳は若く見られる。


「鍛錬中だった? 邪魔し……」


 碧が「邪魔したな」と背を向けた瞬間、背後に殺気を感じた。振り返ると、聡太が持っていた竹刀を振りかざしている。


「なっ」

「――っ」


 木刀が勢いよく迫り、碧は顔の前で腕を交差させて竹刀から身を守ろうとした。バシンッという衝撃を覚悟した碧だったが、目を閉じた彼の腕に痛みはない。


「……?」


 そっと目を開けると、ため息をつく聡太の姿が目に入った。既に竹刀を引き、もう片方の手には一本の竹刀を握っている。

 何なのかと碧が眉間にしわを寄せていると、聡太は新しい竹刀を投げてよこした。


「じいさん、これ」

「和佐に仔細は聞いている。それを構えて、向かって来い。……その後で、お前に話さなければならないことがある」

「――わかった」


 数年振りの道場での試合。碧はごくんと喉を鳴らし、手にした竹刀を正眼に構えた。

 碧の支度が整ったと見て、聡太が一歩前に出る。その瞬間、試合が始まった。

 パンパンッという竹刀が交わる音が響く。聡太が攻勢に出て、碧は守りに入るしかない。懸命に祖父の攻めから身を守る碧に、聡太が強い一撃を加えた。


「痛っ」


 手の甲を打たれ、思わず碧は竹刀を取りこぼす。カンッという音がして、碧は竹刀が床に落ちたのだと気付いた。


「もう終わりか?」

「……じいさん」


 聡太は感情の読めない表情で孫を見詰めると、竹刀の先で碧の顎を上向かせた。


「護りたいものがあるのだろう。ならば、何度苦難にぶつかっても超えて行け」

「護りたい、もの」


 碧の脳裏に、大切なものを失う前にいなくなりたかったと語った秘翠の顔が浮かぶ。そして、祖父のもとへと出掛けようとした碧を玄関で見送った、少し寂しげな笑顔も。


(二度と、悲しい顔はさせない。普通の女の子として暮らせるようにするって、約束したのは誰だ?)


 自問自答し、碧は奥歯を食い縛る。痛みを訴える右手に力を入れ、竹刀を握って体勢を立て直す。祖父の竹刀による支えを失って俯いていた顔を上げ、待っていた祖父に向かって竹刀を振り上げた。


「やあっ」

「甘いっ」

「っくそ、負けるか!」


 鋭い聡太の攻めにも、今度は碧も負けていない。守りに徹するのではなく、隙を探り当てて突破口を開こうと画策する。

 一度距離を取り、碧は一気に畳みかける。それでも年の功が勝り、何度も打ち据えられそうになった。その度に間一髪で躱し続け、一時間が経とうとする。

 碧がこれで終わりだと力を振り絞ろうとした、丁度その時。


「ここまでだな」


 突然そう宣言すると、聡太が一歩退く。竹刀を誰もいないところに振り下ろした碧は、何処かへ向かって歩いて行く祖父の背を見詰め、しばし呆然とした。


「じいさん?」

「ほら、水分を摂れ」

「わわっ」


 道場の隅に置かれた小さな冷蔵庫。その戸を開けた聡太が碧に投げてよこしたのは、ペットボトルに入ったスポーツドリンクだった。

 慌てて受け取り戸惑う碧に、聡太は自分も同じペットボトルのふたを開けながらわずかに微笑んだ。一口飲み、顎をしゃくる。


「飲んだら、ついて来い。見せたいものがある」

「……わかった」

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