第4章 少年の決意

第14話 退かない覚悟

 五分程沈黙が続いた後、秘翠が震えを止めて顔を上げた。その顔は赤くなって目も潤んでいたが、涙を流した様子はない。碧たちに背中を見せ、気丈に振る舞う。


「これ以上、ご迷惑をおかけすることは出来ません。……さよな……」

「俺は退くつもりなんてない」

「え?」

「俺は、退かない。だから、秘翠も出て行くな。絶対に俺がお前を守り通すから」

「碧、くん」


 秘翠の手首を掴み、碧は振り返った彼女の泣きそうな顔を見詰める。

 一瞬、秘翠は碧の手を振り解こうと手を動かしかけ、力なく項垂れた。細い肩が震え、絞り出される声も小さく、泣くのを必死に我慢している。


「わた、しは、いつ、あなたを傷付けるかわからないんだよ? 力の暴走は、力の制御が出来ないわたしには、止められないかもしれない。酒呑童子と同じ、破壊することしか出来ない力。これ以上……これ以上、好きになった人たちを傷付けたくない」


 好きになった人たち。秘翠が隠れ里から飛び出して、最初に出会い受け入れてくれた渡辺家の人々のことだ。彼らと過ごすうちに、秘翠は家族の温かさを知り、人を好きになる幸せと怖さを知ってしまった。


「怖いの。碧くんだけじゃなくて、未来ちゃんや和佐さん、雄青さんを傷付けてしまったらって考えると、恐ろしいの。……だから、何かを失う前に自分がいなくなりたかった」

「……だったら、俺も強くなる。秘翠が怖がらずに済むように、普通の女の子として生きられるように。秘翠が、生きていたいと願ってくれるように。俺も家族だけじゃなくて、秘翠にも笑っていて欲しいから。寂しくないように、傍にいる」


 だから、行かないでくれ。碧の懇願に、秘翠は静かに涙を流しながら頷いた。碧が強くなると約束してくれたなら、自分は力を操れるようにならなければと決意して。


「――ありがとう、碧くん」


 さめざめと泣き出した秘翠の頭を撫で、碧は困った顔で微笑んだ。


「……何か、プロポーズみたいだね」


 大丈夫、大丈夫。そう繰り返す兄を見詰め、未来は隣の母に囁く。和佐は面白そうに微笑み、唇に人差し指をあてた。


「静かに見守るのが定石よ。ね、あなた」

「本当に、大人になったな。碧」


 和佐に水を向けられた雄青だったが、何故か貰い泣きしそうになっている。涙目で何度も頷いた雄青は、目元を指で拭うとコホンと空咳をした。

 雄青の空咳に驚いた碧と秘翠が距離を取るのを楽しそうに見て、雄青は改めて秘翠に微笑みかける。


「僕たちの気持ちも、碧と同じだ。親としては、きみたち三人が無傷で笑っていてくれることが何よりだけれど、望みのために戦うというのなら止めない。だろう、和佐」

「ええ、その通りです。秘翠ちゃん、何があっても必ずこの家に戻って来なさい。あなたの家族は、家はここにだってあるのだから」

「秘翠さん、あたしもいるよ!」

「きゃっ」

「おっと。大丈夫か、秘翠?」


 未来に抱き付かれ、秘翠は少し体のバランスを崩した。倒れかけた彼女を支えた碧は、苦笑をにじませて秘翠を立たせてやる。


「あ、ありがとう」


 場は一気に微笑ましい空気感に染まる。その中で、碧はふと昨晩の戦いを思い出す。


「あ、そうだ。母さん、俺の木刀が光ったんだ。何か、知らない?」

「光った? どういうこと」


 実は碧が持つ木刀は、彼の母・和佐の実家が経営する剣道の道場で使っていたものだ。普通、剣道の鍛錬には竹刀を使うはずだ。しかし碧は幼い頃から、竹刀と共に木刀を使った練習もしていた。剣道をやめて久しいが、和佐が持たせたままだったため、碧の手元にあったものである。

 息子の言葉に怪訝な顔を見せた和佐は、碧から詳細を聞いて黙ってしまう。


「……」

「あの、母さん?」


 たっぷり五分の時間が流れ、痺れを切らせた碧が声をかける。すると和佐は瞬きを一つして、何かを諦めたかのように肩を竦めた。彼女は困り顔で微笑むと、夫の顔を見る。

 雄青も訳知り顔で苦笑する。


「いつか、こういう日が来るかもしれないとは思っていたけどね」

「ええ。……碧、今日の午後、おじいちゃんに会いに行きなさい」

「じいさんって、師匠?」


 碧と未来にとって、和佐の父は剣道の師匠でもある。剣道においては厳しい指導を徹底する祖父で、碧は少し苦手意識を持っていた。

 その祖父に、何故自分は会いに行かなければならないのか。碧は母に尋ねたが、彼女は「行けばわかるわ」というだけで取り合わない。


「はぁ、わかった。行ってくるよ」

「おじいちゃんには、私から連絡しておくわ」

 ガシガシと頭を掻く息子に、和佐は微笑みかけた。

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