第13話 秘匿の定め

「う、ん……」


 翌日、碧は体のこわばりを感じながら目覚めた。傷を庇い、どうやら変な姿勢で寝ていたらしい。傷の痛みは落ち着き、碧は苦笑した。


「今日、学校だったら大変なことになってたな」


 確実に、クラスで詮索される。特に友だちが多いわけではない碧だが、クラスメイトが包帯を巻いて来たら、大抵はギョッとするだろう。土曜日であるためにそれがなく、碧は安心した。


「おはよう」

「おはよう、碧。ご飯出来てるわよ」

「おはよう。夜は大変だったみたいだな?」


 碧が階下に下りると、既に自分のコーヒーを入れて新聞を広げた雄青とキッチンに立つ和佐の姿があった。更に和佐の傍には真剣な顔をした秘翠がスクランブルエッグと格闘しており、未来も珍しく配膳を手伝っている。

 雄青の目が長袖に隠された包帯を探すように動き、碧は内心冷や汗をかく。しかしあれだけの大きな音をたてていて気付かないはずもなく、観念して肩を竦めてみせた。


「流石に気付くよな。大変だったというか、思いがけないことがたくさん起きたよ。あ、そうだ母さん」

「なあに?」


 丁度味噌汁を人数分運んで来た和佐に、碧は声をかけた。


「後で、訊きたいことがあるんだ。食後で良いから」

「? わかったわ」


 不思議そうな顔をしながらも、和佐はすぐにキッチンに戻っていった。

 碧も父と向かい合う席に腰を下ろし、ぼんやりとキッチンに立つ三人を見る。手慣れた様子の母と、なれない様子の妹と秘翠。後者二人の様子が微笑ましく、碧は自分がわずかに眉を下げていたことに気付かなかった。


「あの、皆さんに聞いて欲しいことがあります」


 意を決した秘翠がそう言ったのは、食卓の皿がほとんど空になった頃だった。


「どうしたんだい、秘翠ちゃん」


 食後に残ったコーヒーを飲み干した雄青が訊き返すと、秘翠は目を泳がせた。しかし一度深呼吸すると、碧たち四人を見回して口を開く。


「最初に、お礼を言わせて下さい。何も話さないで勝手に転がり込んだわたしを、何も聞かずにここに置いて下さってありがとうございます」

「何よ、水くさいことを」


 深々と頭を下げる秘翠に、和佐は肩を竦めて微笑む。そして、顔を上げた秘翠の頭を何度も撫でた。驚く秘翠に、和佐は「ねえ?」と雄青に同意を求める。


「そうだな。秘翠ちゃん、きみはもう僕たちの大切な家族の一員だ。お礼だなんて堅苦しいことは抜きにして、話したいことを話してごらん」

「和佐さん、雄青さん……」


 今にも泣きそうな顔で微笑んだ秘翠は、ふと自分を見詰める碧の視線に気付く。彼もまた自分を見る秘翠に気付き、優しい笑みを浮かべて頷いた。


(大丈夫だから、話してみろ)


 大丈夫だと背中を押され、秘翠も頷いた。そして、ようやく語り出す。昨夜の出来事と、自分がどのような立場にあってそもそも何処から来たのか。


「昨晩遅く、故郷の隠れ里からわたしへの追っ手がここに来ました。……碧くんがわたしを隠して戦ってくれたので無事にここにいられます。でも、彼に怪我を負わせてしまいました」

「これは、秘翠が気にすることじゃない。俺がやりたいことをやった結果だ」

「だとしても……。ううん、これ以上は碧くんを怒らせそう」

「わかってるなら良いけどな」


 腕を組み、碧は苦笑する。これ以上秘翠が自分自身を卑下するのなら、一言言ってやろうと思っていた。しかし、秘翠は碧の表情を見て察したらしい。

 続きを促され、秘翠は話を戻す。


「碧くんを傷付けた者たちは、『鬼』の一族の者たちです。そして、わたし自身も」

「鬼って、あの伝説とか絵本とかに出て来る?」


 全然似てないよ。未来が大きな目を更に大きくして言うと、秘翠は「そうだね」と頷いた。


「未来ちゃんが言ったのは、所謂誇張されて伝わった『怖いものの象徴』としての鬼の姿。対してわたしたちは、『大昔に人に忌避されて追われた人々の末裔』という意味での鬼なんです」

「つまり、他の人と何か違いがあったために爪弾きにされた人々の末裔、ということかな」

「その通りです」


 歴史好きでアマチュア歴史家を自称する雄青が言い換え、碧や未来も納得する。

 大昔、人々は自分たちと違うものを持つ存在を恐れた。それは今も変わらない人の性であり、悲しい性質だ。


「でも」


 秘翠を頭の先から爪先まで眺めた未来は、首を捻る。


「何処が違うの? 秘翠さんは、どう見てもあたしと違う所なんてないよ?」

「違う所は目に見えないんだ。碧くんは、見たよね?」


 秘翠に問われ、碧は昨夜の戦闘を振り返る。確かに鵺や茨と名乗った者たちは、碧がこれまでの人生で見たこともない力を持っていた。

 碧が見たことを簡単に話すと、未来は目を瞬かせた。雄青と和佐も驚きを隠せなかったが、碧には母が何処か納得しているようにも見えた。


「植物を自分の武器とする力に、幻影を創り出す力。本当に、何処かの小説の中に迷い込んだような話だ。あるいはアニメ、かな」

「でも、これは夢幻ではなく真実。きっと、そこにあなたが追われる理由もあるのでしょう? 秘翠ちゃん」


 感嘆の声を上げる夫の隣で、和佐は真っ直ぐに秘翠に問いかける。

 和佐に問われることによって、秘翠は本題へ入るための足掛かりを得た。それが和佐の誘導であることには気付かず、秘翠は真剣な顔で唇を引き結ぶ。


「それこそ、夢物語のように思われるかもしれません。わたしは、先程申し上げたように『鬼』の一族の者です。酒呑童子を祖先として崇めるわたしたち一族には、数百年に一度特別な力を持つ子供が生まれます。それ自体と持っている力を『秘匿』と呼び、『秘匿』は里の大社に封じられる定めにあります」

「封じられるって……。ん、そもそも酒呑童子って教科書に出て来るあれか? 源頼光たちに倒されたっていう」

「ええ。碧くんの言う通り」


 こくんと頷き、秘翠は「その酒呑童子が、わたしたちの祖先なの」と微笑む。


「酒呑童子は、強大な力を持った鬼でした。触れたものを破壊し、触れずとも興奮すれば何でも破壊することが出来ました。その大き過ぎる力を周りの者たちは恐れると同時に敬い、いつしか酒呑童子は鬼の長となりました。……『秘匿』とは、酒呑童子の力を強く受け継いだ者のことを指します。男かも知れないし、女が受け継ぐかもしれません」

「じゃあ、秘翠ちゃんが『秘匿』ってことは……」


 息を呑む未来。無意識に隣にいた和佐の腕にすがり、和佐は未来の肩を抱いた。


「秘翠ちゃんの力は、その酒呑童子の力を受け継いだもの。だから、故郷の人から追われているということね」

「はい……。本当は、ここにお世話になるという時に話さなければならなかったのですが、遅くなってしまい申し訳ありません」


 和佐の確認に、秘翠は頭を下げて非礼を詫びた。秘翠はいつ襲われてもおかしくはない。そんな危険な状況にある娘を、自分の子と一緒に居させたい親が何処にいるだろうか。きっと追い出される、という諦めに似た覚悟を持って頭を下げ続ける。


(……秘翠)


 秘翠の体が震えている。スカートを掴む指が、細い肩が、足もぷるぷると震えている。

 碧は彼女にかける言葉を見付けることが出来ず、手を伸ばしては引っ込める動作を繰り返した。

 碧だけではない。未来も、和佐も、雄青も、顔を見合わせて言葉を探しているようだった。何と声をかけたとしても、秘翠には辛いものになってしまう気がして。

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