第12話 青い光
その鋭い声に突き飛ばされるように碧から離れた茨は、持っていたはずの刃物が両断されているのを見た。切り口は鮮やかで、しかもいくら力を籠めても動かない。手の中にあるものがただの植物の切れ端と化していることを理解し、茨は信じられないという顔で斬った者を見た。
「……お前、何者だ?」
「何の、ことだよ」
青白い顔をして、肩で息をする少年。碧は中腰から立ち上がると、木刀を正眼に構えた。
今自分が何をしたのか、何故そんなことが出来たのかを考えるのは後回しにする。やるべきは、茨と鵺を追い返すことだけだ。碧は荒れた呼吸を整える間もないまま、愛用だった木刀を振りかざす。
「はあっ!」
「ちっ。何だそれはっ……何故、木刀が光っている?」
碧の木刀を躱した茨は、前髪の先を斬られて拳を握り締めた。
「……え?」
茨に問われ、碧は初めて木刀の変化に気付く。木刀はそれにあるまじき淡い青色に輝いていた。そこに太刀の幻を見た気がして、碧は目を瞬かせる。
「何だ、これ……」
呆然と自分の手元を見詰める碧と対照的に、鵺は珍しく慌てた表情で茨の肩を引く。驚く茨に、声だけは冷静に口を開いた。
「茨、一度退却だ」
「は? 何でだよ、今が好機……」
「あの色は、駄目だ」
「……わかった」
鵺の判断に従った茨は、一度だけ碧を振り返った。未だに仄かに輝く木刀に、彼は見覚えがあった。正しくは、昔話に訊いた程度だが。
「あれは、もしかして」
「行くぞ、茨。詳しくは後で」
「……おう」
茨と鵺が闇夜に消えた後、碧はようやく緊張から解き放たれた。徐々に木刀の光も薄くなり、消えてしまう。
木刀を月にかざして見るが、どう見てもただの木刀だ。
「何だったんだ、あれ。……あれ?」
ほっとしたのも束の間、碧は視界がぐらつくのを自覚した。自分が倒れようとしているのだと理解した直後、何かが背中を支えてくれる。
「碧くんっ」
「秘翠……? どうして」
「どうしても何もないから! あいつらいなくなったから、心配過ぎて出て来たの!」
「未来も、か。すまない、ありがとな」
体の力が抜け、自分の力では立ち上がれそうにない。仰向けの背中を秘翠に支えられ、碧は彼女の膝の柔らかさとあたたかさに戸惑う。不整脈を起こしたのではないかと思いつつも、それを上回る痛みに呻いた。
「ぐっ」
「無理に動いたら駄目。……酷い怪我してる。わたしがここにいるから……ごめんなさ」
「秘翠を連れて来たのは俺だ。だから……頼むからそんなこと言わないでくれ」
今にも泣きだしそうな秘翠を制し、碧は脂汗をかきながらも無理矢理笑みを浮かべた。それに対して秘翠が頷き、未来が人の悪い笑みを浮かべて兄の背中に触れる。
「こんな怪我して、ほんとに大丈夫なわけ?」
「おまっ。痛いだろ、止めろ!」
「それだけ
「未来、お前な」
未来の手荒い激励にため息をつき、碧は秘翠の手を借りて立ち上がる。よろけそうになりながらも、何とか自室のベッドに辿り着いた。
ふわふわの敷布団の上にバスタオルを敷いてから腰を下ろし、戦いの汚れが布団につかないようにする。碧の着ていた寝間着代わりのパーカーは所々切れてボロボロになっており、もう着ることは出来そうにない。ごみ箱に捨てては両親に知られる危険があったため、未来がゴミ袋を用意して他の者に隠して捨てることにした。
「――ッ」
「じっとしてて」
消毒薬が傷に沁みて、碧は悲鳴を噛み殺す。それでもビクッと体は跳ね、手当てをしている秘翠が注意した。
「わかってる。けど、これは痛いな」
「……わたしの力じゃ、誰かを癒すことは出来ないから」
「何か言ったか?」
上半身裸になっている碧は、背中を秘翠に向けて消毒薬を塗ってもらっている。怪我は背中が一番酷いが、腕や首、顔にも点在していた。傷に何かが触れる度に我慢を強いられる碧は、秘翠が背後で呟いた言葉が聞き取れずに問い返す。
碧の問いに対し、秘翠は「え?」と驚いた。
「いや、何か言わなかったか?」
「ううん、何も。ただ、早く治りますようにって言っただけ」
「そっか」
秘翠の誤魔化しをそのまま受け取り、碧は再び前を向く。
碧の背中や腕に薬を塗って絆創膏や包帯を巻きながら、秘翠は自分の無力さを痛感していた。鬼ではないただの人であるはずの碧の背中は、決して鍛えられているわけではない。それにもかかわらず、秘翠には大きく強く見えた。
(この人は、きっと何があっても約束を守ろうとする。わたしを守ってくれようとする。でも、傷付く姿を見たくないよ……)
包帯を巻き終わり、端を縛る。小さく呻いた碧は、秘翠が終わったことを告げると振り向いて微笑んだ。
「助かった。ありがとな、秘翠」
「わたしの方こそ、お礼言わないと。ありがと、碧くん」
普通に暮らしていれば、負うことなどあり得ない程の傷。それらを身に受けながらも、碧は決して秘翠を遠ざけない。それどころか、秘翠を案じて笑ってくれる。
秘翠が感謝を伝えると、碧はこそばゆそうに照れ笑いを浮かべた。わずかに視線が交わらなくなる。
「まだ、何も出来てないよ。――今夜はもう来ないだろ。未来と一緒に寝て来いよ」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
ぱたんとドアが閉じ、碧は軽く息をついた。傷の痛みは時間が経ったことである程度軽減し、横向きに寝ればそのまま寝落ち出来るだろう。碧はそっと秘翠が手当てしてくれた上腕の包帯に手をやり、口元を緩ませた。
同じ頃、秘翠は碧の部屋の戸に背中をつけ、しゃがみ込んでいた。膝の上に組んだ腕に顔を埋め、微動だにしない。
「わっ。秘翠さん、何を……」
「あ、未来ちゃん」
のろのろと顔を上げた秘翠は、ゴミをまとめて来た未来の顔を見た。秘翠の顔が赤くなっていることに気付き、未来は熱でもあるのかと駆け寄って額に手を当てる。少し熱い気がして、未来は秘翠の顔を覗き込んだ。
「体調、悪いんですか?」
「そうじゃない、そうじゃないの。ただ」
「ただ?」
未来が首を傾げると、秘翠は目を伏せた。
「……明日、きちんと全部話す。そうじゃないと、こんなに守ってもらっているお返しの一つも出来ない」
「……兄さんは、お返しが欲しくてあんなにボロボロになったんじゃないと思いますよ」
秘翠を慰めたのではなくただ事実を告げた未来だが、秘翠にはそう捉えられない。未来の言葉に「お返しは関係ないかもしれないけど」と続ける。
「わたしが誠実じゃない。明日、未来ちゃんも聞いてくれる?」
「勿論です。さ、とりあえず寝ましょ」
「うん」
未来に背中を押され、秘翠は未来の部屋に戻る。そして互いの手を握り合い、体温を感じながら眠りについた。
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