第一章 1話 幼少期の話(0歳から3歳くらいまで)

小さい頃のエピソード記憶は殆どない。

幼稚園頃からはものすごいシャイで、内向的で、自分からお友達に声をかけるのも苦手で、オドオドしていたが、幼稚園に入るまでの記憶は殆どないので、この頃はどうだったか定かではない。


ただ、親からのエピソードを聞くと、発語は早く、2語文話せれば良いところ、3語文話せるような、超早熟ちゃんだった。

3歳の頃にはひらがなの読み書きができていて、発達に遅れがあるどころか、天才なのかも?と親は思っていただろう。

特に下の弟の発語が遅かったので、余計に私はできる子だと思われていた。


乳児の頃に話を戻すと、食が細くすぐお腹いっぱいになり、そしてお腹がすいてしょっちゅう夜泣きをするタイプだったらしい。睡眠が下手なのは昔からみたいだ。

でも、親は全く気付かなかったし、保育士さんにも見過ごされていた。発語も多いし、その頃はむしろ早熟な子という印象で終わっていたんだと思う。


ただ私は、色んなところに行くのにワクワクよりも緊張が多く、人に質問されるとなんて答えていいか分からず、とりあえず親に教えられた事をお行儀良くこなして、なんとかいつもその場を乗り切っていた。


とにかく「何も分からなかった」そして「お行儀良くしていないといけなかった」


あと、ひとり遊びが好きだった。3歳で1人でお留守番ができた。

母親が「お外に行かないといけないから準備して」というと「○○ちゃんは今遊んでるの、行ってらっしゃい」と言ってお留守番していたそうだ。それが親の自慢話の一つだ。

けれども、自分で歌をつくり踊ったりもしていたし、英語教室も楽しく参加していた。サンタさんが来てくれたのを覚えているし、幼稚園に通うことになったからやめなきゃいけなくて、すごく悲しかったのを覚えている。


3歳からはピアノ(エレクトーン)を始めて、体操にも通っていた気がする。

とにかく教育ママだったので、自分の意思とかは関係ない。

運動は苦手だったので楽しくなかったし、ピアノは親たちの前で弾かなきゃいけないのが嫌だった。


ピアノは10年やるまで辞めさせて貰えず、絶対音感がついたのと大学生時代キーボードを少しやった以外特に役に立ってないし、体操は全くの意味をなしていない。


習い事は親のエゴじゃなくて、子どものやりたいことをやらせた方がいいのかなぁと思う。

お金がかかる習い事もあるけど、弟はピアノは直ぐにやめてOKだったし、意味分からなかったな。ジェンダーのせいかな。

あと私が「10年はやりなさい」という言葉を、きちんと守らなきゃと思っていた節もある。今は「10年やったから何?」という気持ち。1年くらいやれれば十分だと思う。

お金の余裕さえあれば、私は何でもやらせたいな。「石の上にも3年」みたいにしたくない。プロにさせたいなら別だけど、子供を何かのプロにさせたいという気持ち自体がエゴだから。

本人がなにかに熱中できるものを見つけてあげたい。というか10年ピアノやったけど、私は飽きやすいし忍耐力がないので、10年苦痛のままピアノをやらせても忍耐力はつかないんだと思う。


ただ、私みたいに「発語はあるけど自分の意思が伝えられない、自分の気持ちが分からない」場合は、親はそのことに気付きにくい。

自分の気持ちを言葉にする練習をしていれば、もう少し生きやすくなったのかなと思う。

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