第2話
高校2年生の初夏、とあるミスを私は犯した。
学校の近くの土手で煙草を吸っているのを鳥山先生に見つかったのだ。
喫煙は無期停学。下手をすれば退学もありえる。さすがに焦った。
「学年、クラス、名前」
怒気の含んだ、しかし冷静な声で鳥山先生は私に言った。
「……2年5組の
クラスを聞いて鳥山先生は一瞬目を見開く。
うちの担任、木村先生は厳しくて有名で、4月から3ヶ月の間に煙草とケンカで、すでに2人を自主退学に追い込んでいた。
鳥山先生はしばらく黙っていたが、やがてこう切り出してくれた。
「……俺は正直、退学をさせてもなんの解決にならないと思っている。今回は報告しないでやる。お前も肝が冷えただろ。反省して、もうやるなよ」
冷えた。十分、冷えた。反省します。もう見つかるようなヘマしません。
先生、ありがとう! 頭の中で盛大に教会の祝福の鐘が鳴り響いた。
人生最大の危機を運で回避した私はその日スキップして帰った。
だが後日、「恩師」の鳥山先生からきっちりカリを返させられる羽目になる。
◇◇◇
夏休み前の終業式の日、昇降口で鳥山先生に呼び止められた。
「おい! 渋谷。お前、夏休み何してんだ?」
ギクッとして、振り返る。恩師に曖昧な笑みを浮かべて答えた。
「ええっとですね。夏休みは苦手な英文法と数学の数列を克服するために予備校に通う予定です」
「おお。そうか。偉いな。でもそれじゃ予備校に缶詰ってわけじゃなさそうだな。悪いけど野球部のマネージャーやってくれないか? 3年のマネージャーが夏休み目前にして勉強を理由に退部することになったんだ。2年のマネージャーの藤吉、友達だろ?」
冗談じゃない。なぜ暑いときに炎天下で野球部のお世話なんてしなきゃいけないんだ。
それに藤吉さんと友達じゃないし。藤吉さん。
藤吉佳代子。明るく華やかで、いかにも「女の子」。とりあえず毎日メイクばっちり。男と女で声のトーンが違う。喋ったことさえ、ほとんどない関係だった。
私は、じっと先生を睨みつけた。
「あ。木村先生に何か報告忘れてたような……」
この狸親父め……。煙草の件で脅されるとは……。
「わかりました。やります」
鳥山先生は満面の笑みを浮かべると、頷いて十五分後に野球グラウンドに来るようにと指示をした。
それから夏休みの間、マネージャーをした。
野球のルールもよくわからない私の主な仕事は洗濯と部室の掃除だったが、炎天下でひたすら洗濯機を回し続けるのは、結構堪える。
その間、藤吉さんは笑顔で部員に水やスポーツドリンクを配り、タオルを渡し、タイムを計り、励まし……まぁ率直にいえばウザイほど献身的に部活につくしていた。
確か藤吉さんの成績はパッとしない感じだったので、部活をがんばって大学は指定校推薦でそこそこの私立に行く予定なのだろう。
うがった見方に聞こえるが、別にこの考え方を見下しているわけじゃない。媚びるということは、他人に気を遣えなければできない。そして、面倒臭がりな私のような人間とっては恐るべき才能だった。
彼女は常にこうすれば人によく思われるとか、そういった点に非常に頭を使っており、その努力はほとんどの局面において成功を修めていた。
「里香ちゃんが入部してくれて、ホント助かったよ!」
初仕事の日、そう私に明るく言った彼女の目にはアイラインが黒できっちりと描かれており、一本一本のまつ毛がマスカラをたっぷりとまとっていたのをよく覚えている。
当時の私はといえば、しきりに私の顔を見ては「目が大きくていいなぁ」と繰り返す彼女のすっぴんについて、きっとアッサリした顔立ちなのだろう、と失礼なことを推測していた。
結局、夏が終わるまで私は部員と係わり合いを極力持とうとしなかったので、どんな部員がいたのかあまり記憶にない。
ただ、一人の子だけは覚えている。
ポジションは忘れたが、武田くんという人物だ。
同じ学年だが話したことはなかったし、部活に入るまで野球部だということさえ知らなかった。
私が洗濯機の前で座り込んで無駄に清々しい空を見あげていると、よく話しかけてきた。練習中だから内容は「暑いね」とか短いものだったけれど。
夏休み最後の練習の日、彼は私のそばにきて「付き合ってほしい」と顔を真っ赤にして、ボソッと言った。
不謹慎だが、私も好きだとか、そんなことの前に「部内恋愛禁止⇒武田くんと付き合う⇒部活を辞める口実になる」という式が頭にはじき出されてしまい、私は赤べこのように頷いて、交際に承諾した。
そして、すぐに鳥山先生に言って、私は、無事に野球部を円満退部することができた。
武田くんとはそれから3,4ヶ月付き合ったと思う。純朴ないい青年だった。
ただ、私のいい加減な態度に嫌気がさしたのか、このお付き合いは特に別れをお互いに切り出すこともなく自然消滅した。
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この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません
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