土手と煙草とキス

笹 慎

第1話

「藤田先生が昨日亡くなった」




 小泉政権が郵政民営化を掲げ選挙で圧勝した、2005年。


 仕事から帰ってきて、部屋でゴロゴロしているところに、携帯電話に着信があった。ディスプレイには非常に懐かしい名前が表示されている。


 あまりの懐かしさに逆に不安を覚え、電話に出るのをためらうレベルだった。


 ブーブーブー


 バイブの音が部屋に響き渡り、切れないので、観念して通話ボタンを押した。


「はい。もしもし…」


「おー。渋谷、元気にやってるか?」


 野球部の監督。鳥山先生。高校を卒業して以来会ってない。かれこれ7年ぶりか?


「はぁ。まぁテキトーに生きてます……」

「いやー。お前も高校からケータイの番号変えてないだなんて律儀な奴だなぁ」


 律儀。違います。みんなに番号変えたとか連絡メール送るのが面倒くさいだけです。


「はぁ。変える機会もないので…」

「そうか。そうか。いや急に何やってるか気になってなぁ」

「ちゃんと働いてますよ」


 思わず笑ってしまった。確かに私はやる気のない生徒だった。生きることにも少し投げやりで、かといってグレる元気もなく、俗に言う「冷めた子ども」だった。教師に反抗することさえ面倒くさかった。


「ほー。そりゃ意外だ。で、どんな仕事してるんだ?」

「市役所で事務職員しています。まぁ恵まれた仕事です」


 本当に恵まれている。お役所仕事。それは書類作りと言い換えてもいい。というか、それ以外の仕事はほとんどない。期日までに書類を作成し、起案し、決裁をもらう。その繰り返し。また、幸福なことにいまの部署は大して処理する量もなく、毎日穏やかな生活をさせてもらっている。


 やる気のない生徒だった私は、やる気のない大人に進化を遂げた。


「ところでお前、体育だれに習ってた?」

「はい? ……そうですね。バレーボールの塩谷先生とハンドボールの斉藤先生ですかね。ああ、あとテニスを藤田先生に習ってました」


 それで、最初のセリフ。


 鳥山先生はこれを伝えたかったわけね。

 藤田先生……。意外と覚えている。


 外見はドラえもんのジャイアンそっくり。専門はラグビー。

 花園ってゆーの? 国体とかでちゃったり、日本代表とかにも選ばれたりしていた人らしい。


 そんなすごい人も私の母校である進学校に来ちゃったのが運のつき。生徒も体育なんて熱心にやらないし、学校自体も進学実績に関係のないスポーツなんて興味なし。自然と体育の授業も部活もお遊びの雰囲気がでてくる。


 体育教師のモチベーションはダダ下がり。そんなこんなで、ラグビー専門のはずの藤田先生は女子生徒相手にテニスを教えていたわけです。しかも私みたいなやる気のない生徒の相手しながらね。


 運動神経のかけらもない私は体育の時間が憂鬱だった。特にテニスなんて、ラリーはおろかまともにラケットにボールを当てられないし、たとえ当たってもコートの外に場外ホームラン。


 だから、コートの隅に友達を座って、友達と喋ってばかりいた。


 藤田先生はそんな私に単位をくれた。


「こんなことでお前の人生に足止め食らわせてもな。テニスなんか出来なくても生きていくのに支障ないし」


 最後の授業の日そう言われた。進学校が体育で赤点なんて出すわけがないから、気にもしてなかったのだが、コートの隅で座っていた私の横にきて藤田先生はわざわざそう言った。


 それは嫌味な感じはなく、なんだか先生は自分に言い聞かせているようにそう呟いた。


 五十少しすぎで死んだ藤田先生。肝臓壊して死んだ藤田先生。でも孫の顔は見られた藤田先生。華々しい学生時代と生活のためにやる気のない生徒を相手にした教師生活。


 私は急に高校生のときのことをいろいろ思い出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る