第一章

 嵌め込まれたすりガラスからオレンジ色の光が漏れ、雲に覆われて月の光もない夜闇の中に菱形に浮かんで見える。そのガラスの向こうに人影がチラリと見え、玄関の黒い扉がきいっと微かに軋み開かれる。

「お待ちしておりました。藤谷様ですね」

 艶のあるストレートな黒髪を顎の高さで切り揃え、ともすれば病的なまでに色白な顔をしたメイドがそう言って僕を迎える。

 黒いロングスカートに白いエプロンという制服姿はいかにも古風な館のメイドという感じだった。

「はい、藤谷宗介です。お邪魔します」

 挨拶をして、中に入る。メイドは静かに頭を下げ、玄関の扉を閉じると、

「お荷物とお召し物をお預かりします」

 と言って僕のカバンと手土産に持ってきた菓子、それから上着のジャケットを受け取る。

「ああ、ありがとうございます」

 何となく気恥ずかしく、ぎこちなくなってしまうのを悟られぬようにした。

 館は入ってすぐに広い吹き抜けの玄関ホールがあり、その床の全面には緑色の絨毯が引かれ、壁や扉、調度品に至るまでほとんど黒で統一されている。玄関を入って正面には両開きの扉が、左右の側に片開きの扉がある。正面の扉の両側には弧を描くようにして二階に伸びる階段があり、天井にはシャンデリアが吊り下がっていた。

 なるほど噂通りまるで城の広間だ。

「正面が食堂、左側がサロン、右側が廊下につながる扉でございます。旦那様は左側の扉のサロンでお待ちです」

 後ろから先ほどのメイドの声が聞こえる。会釈をで反応を返し、僕はサロンの扉を開いた。


「やあよく来てくださいました。どうぞお好きなところにお掛けください」

 そう言ってこの館の主人、三橋菊道は迎えてくれた。年齢は還暦を超えていたはずだが、精悍な様子で、仕立ての良さそうなスーツを着ている。

 ちらほら白髪の混じった顎髭を生やしていて、若い頃はいかにも仕事ができる男だったんだろうなといった印象だ。

 ドアから右側に長く伸びた長方形部屋の奥、暖炉の前のソファに三橋さんが座り、その前に長方形のテーブルが据えてある。

 テーブルの両側に据えられた六つの黒いソファのうち、三つが埋まっていた。僕が最後の到着だったようだ。

 他の客人たちの傍を通り、三橋さんに近づく。

「本日はお招きいただいてありがとうございます。大したものではないんですが手土産に菓子を持ってきたので召し上がってください。メイドさんに預けてあります」

「やあ、すまないね。ありがとう」

 挨拶を済ませ、端のソファに向かう。と、そこでその部屋にじっとうずくまっていた異常に僕はようやく気がついたのである。

 黒いソファの形をしたものは艶のある黒い体と無数の足、毒々しい朱色の頭と尻をした蜈蚣だったのだ。正確には手のひらほどの大きさの無数の蜈蚣が寄り集まり、ソファの形を成しているデザインなのである。ソファの足の一部には塊から抜け出し、床に這い出している個体もいる。

 作り物だとわかっていても、絡み合う蜈蚣は今にもギチギチと音を立ててその形を崩し、僕のズボンの裾から、上着の袖から、靴下から入り込み、全身を這い回りその朱色の顎を突き立てるのではないかという想像をつい広げてしまう。

 うっ、と声を漏らすと僕と同じ側の、空席を一つ隔てた位置に座る男がくすくすと笑っていた。

「初めてはそうなるよね。僕もそうだった。この通りそれは本物じゃないから安心するといいよ」

 長く伸ばした髪にパーマをかけた男がソファの肘掛けをポンポンと叩く。彼は南正一郎、僕が通っているバーを経営している男で、僕をこの『コレクションのお披露目会』に誘った人物だ。

「今晩はそういう強烈なやつがたくさんあるからダウンしないようにね、藤谷くん」

 引き攣った笑いを浮かべて頷きを返すのが精一杯のだった。恐る恐るソファにかけると、ミチミチと音が鳴り、それにまたゾッとさせられた。

 その様子に三橋さんは苦笑を浮かべ、自分の頭をひと撫でして言う。

「いやあ刺激が強すぎましたかな。せっかくご覧いただくので最初はインパクトのある物の方が良いかと思ったんですが」

 穏やかな笑顔だった。僕はこの後の数時間、こんなものをいくつも見ることになるのかと思うと、気を失いそうだった。


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