第八話 告白

 四季子は笑顔で季咲さんを拒絶した。 

 目はまったく笑っていない。

 まるで氷のように冷たい瞳だ。 

 俺は一瞬恐怖を覚え、身震いする。

 こんな四季子を見るのは初めてだ。

 四季子はこんなにも冷酷な表情ができるのか……。

 

 いや、今は感心している場合じゃない。

 俺が何とかしないと。

 でも、どうすればいいんだ……。


「し、四季子……?」

「ねえ、お姉ちゃん。どうして智輝にあんなことをしたの? 別れさせるだけなら、もっとほかの手段もあったはずでしょ?」

「そ、それは……」

「それに、お姉ちゃんは智輝だけじゃなく、ほかの人にもたくさん悪いことをしたよね? 私のためにいろいろしてくれたのは嬉しいけどさ、ちょっと度が過ぎてない? おかげで私は毎日つらい思いをしてしたんだよ?」

「ご、ごめんなさい……」


 季咲さんは再び頭を深く下げる。

 一方、四季子は腕組みをしながら、冷たい眼差しで季咲さんを見下ろしていた。

 俺は二人の間に割って入る勇気もなく、ただ見守るしかなかったのである。


「ねぇ、智輝。一応、確認するけど、もし私が帰って来なかったらどうしてたの? あのまま続きをするつもりだった?」


 四季子は突然俺に質問をしてきた。

 反射的に髪の毛をかきあげようとする。

 だけど、俺はすぐにそれを止めた。

 そして、四季子と真っ直ぐ向き合う。


 あのとき、俺は季咲さんの誘惑を完全に拒めなかった。

 それは事実だ。

 ここで嘘をついて事が収まったとしても、ばれたときにまた四季子を傷つけることになる。

 ならば、ここですべて吐き出してしまうほうがいい。


「四季子、俺は――」

「智輝くんは必死に抗ってたわ。だから、安心して。まだ智輝くんは純朴なままよ」

「ふーん……」


 四季子はゆっくりと俺の前まで歩いてくる。

 季咲さんの言ったこともまた事実だ。

 おそらく、俺をフォローしようとしたのだろう。

 冷静に考えてみると、正直に言っても、この場がもっと修羅場になるだけだ。


 それに、季咲さんからは俺が必死に抗っていた姿しか見えていない。

 ……このことは、墓場まで持っていくほうがいいかもな。


 そんなことを考えているうちに、四季子はいつの間にか俺の目の前まで来ていた。

 四季子はその冷たい瞳で、俺を捉える。


「ねぇ、智輝」

「な、何だよ……?」

「なんで智輝はお姉ちゃんを受け入れなかったの? もし私が智輝の立場なら喜んで受け入れるんだけど。というか、お姉ちゃんに迫られて何もしないとかありえないよ」

「……は?」


 ちょっと待て。

 今四季子は何て言った?


「少しくらいはいいかな、とか思わなかったの? あんな美人でスタイルのいい大人のお姉さんに迫られて、何もしないとか、本当にそれでも男の子なの?」

「お、おい、待て、四季子! いったい何の話をしてるんだ!?」

「だから! 私の自慢のお姉ちゃんに魅了されないのはおかしいって言ってるの! 智輝だけずるいよ! 私だって、お姉ちゃんに甘えたかったのに!」

「し、四季子……?」


 四季子は突然、意味不明なことを言い出した。

 俺と季咲さんはただ呆然とすることしかできない。

 いったいこれはどういう状況なんだ?


「智輝! これは命令! お姉ちゃんの魅力に抗えなかった、って言って! じゃなきゃ、智輝と別れるから」

「……はい?」

「ほら、早く!」

「キ、キサキサンノミリョクニハニアラガエナカッタ……デス」

「うん! それで、よろしい。ってなに浮気しようとしてるの!? 本当に別れるよ!?」

「え、ええ……」


 四季子は俺に怒りをぶちまけてから、今度は季咲さんのほうを振り返る。

 そして、ずかずかと季咲さんの目の前まで迫っていく。


「お姉ちゃんは思わなかったの? ちょっとだけ智輝を独占しようとか?」

「え、全然……」

「なんでよ!? 智輝は私の彼氏はかっこよくないって言うの!? ほら、お姉ちゃんも言って! 智輝がかっこよすぎるから、少しだけ味見しようとしました、って!」

「え、ええ……」


 季咲さんも俺と同じような反応をしている。

 俺たちはなんで怒られているんだ?


「し、四季子、ちょっといい?」

「何、お姉ちゃん?」

「あ、あたしのことは嫌いなんじゃなかったの?」

「許さないって言っただけで、別に嫌いとは言ってないけど……」

「は、はぁ……?」


 季咲さんはわけがわからない、といった様子だ。

 というより、俺も同じ気持ちだよ。

 さっきまで険悪な雰囲気だったはずなのに、今はなぜか姉妹喧嘩になっている。

 しかも、内容が完全に支離滅裂だし……。


「今までお姉ちゃんのしたことは許さないよ。これは本当。でもね、私はお姉ちゃんが好きなの。これも本当だよ。だって、お姉ちゃんは唯一の家族だから。いつも私の味方でいてくれて、ありがとう。本当に感謝してるんだよ。だから、嫌いになる……なんて……ありえないよ……」

「四季子……」


 四季子は自分を抱きしめながら、今にも泣きそうな声で季咲さんへの想いを語る。

 きっと、四季子は葛藤しているのだろう。


 これまで季咲さんは善行も悪行も重ねてきた。

 しかし、それらを追求すると根っこの部分は全部「四季子のため」であるのだ。 

 だからこそ、四季子はどちらに身を委ねればいいのか迷っている。

 たぶん、四季子はずっとこの矛盾を抱えて生きていくのだろう。

 ならば、せめて俺は――。

 

 俺は四季子の肩にそっと手を置いた。

 すると、四季子はゆっくりと顔を上げる。

 その瞳には大粒の涙が浮かんでいた。


「季咲さん、四季子を抱きしめてあげてください。それから、もう一度心からの謝罪を。そして、あなた自身の手で四季子を過去の呪縛から解放させてあげるんです」

「……わかったわ」


 季咲さんは四季子と向き合う。

 それから、ゆっくりと四季子に腕を伸ばし、その華奢な身体を包み込んだ。


「ごめんなさい、四季子。あたしが間違ってた。あなたの幸せのためにやってきたことが逆に不幸を招いてしまったわ。もうあなたを過保護に扱ったり、勝手な介入をしたりはしない。これからは、あなた自身の意見を最優先に考えるようにするわ」

「お姉ちゃん……」

「こんな姉でごめんなさい。だけど、これだけは信じてほしい。あたしはあなたのことを愛してるの。世界中の誰よりも」

「……お姉ちゃん。……私もお姉ちゃんのことが世界で一番好き……だよ」

 

 四季子は嗚咽を漏らす。

 そんな四季子を季咲さんは優しく撫で続ける。

 季咲さんの表情は、まるで聖母のように慈愛に満ちたものだった。






 

「ありがとう、智輝くん。あなたのおかげで、四季子と無事仲直りできたわ」


 帰りの車内で、季咲さんは俺に感謝の言葉を述べてきた。

 現在四季子は俺の肩に頭を乗せながら、すやすやと寝息を立てている。

 なので、俺は声のボリュームを抑えて季咲さんに返答した。


「俺は何もしてないですよ。ただ、季咲さんと四季子を見守っていただけです」

「そうかもしれないけど、智輝くんがいなかったらこうはならなかったと思うの。だから、やっぱりもう一度お礼を言わせてちょうだい。……ありがとう」

「……なら、素直に受け取っておきます」


 その一言を最後に、会話が途切れる。

 だがしかし、気まずくなったわけではなく、心地よい沈黙が車内を満たす。

 

 それから、車は俺の住む団地の駐車場に到着する。

 俺は四季子を起こさないように、ゆっくりと外に出た。

 しかし、なぜか季咲さんも車から降りる。

 そして、俺に近づいてきた。


「どうしたんですか?」

「智輝くんは、これからも四季子の彼氏でいてくれるの?」

「当たり前じゃないですか。どうしてそんなことを訊くんです?」

「その……あなたはまだ四季子の本当の姿が見えていないのよね……? だから、また春から、見た目や性格が変わって、四季子が迷惑をかけるかもしれないわ」


 季咲さんが心配していることはわかる。

 おそらく、彼女は自分の妹が俺の重荷になるのではないかと不安なのだろう。

 確かに俺はまだ四季子のすべてを知っているわけではない。

 それは重々承知していることだ。

 でも、俺の気持ちは変わらない。

 

「俺は待ちますよ。いつまでも」

「智輝くん……」

「もしかしたら、俺は本当の四季子を見ることができないかもしれない。だけど、俺はずっと四季子と一緒にいたいんです。四季子が嫌いにならないかぎり、俺はずっとそばにいますよ。だから、心配しないでください」

「……ありがとう。これからも四季子をよろしくね、智輝くん」

「はい!」


 これからどうなるかはわからない。

 しかしどんな形であれ、俺は四季子とずっと一緒にいることを決めた。

 それが俺の選んだ道なのだから。

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