【H+1h27m~H+2h22m】


◆◆◇永禄十六年(1573年) H+1h27m◇◆◆◆◆◆


 新田としては、敵対勢力の大将を生きて捕縛することを至上命題と捉えていた。であるからには、目標の容姿を知る者が多ければ多いほどよい。その観点から、太宰府天満宮で将軍と顔を合わせた剣豪勢の多くがこの地に投入されていた。


 作りが雑であるにしても、蒸気船投入の効果は大きかった。一部の侵攻側部隊が九頭竜川を遡上して内陸部へ到達したことは、そもそもが襲撃を予想していなかった一向一揆勢を混乱に陥れた。


 目標とされている足利尊棟本人にも、自らの安否が今後の展開を大きく左右するとの自覚はあった。大黒丸城に滞在していた足利将軍は、伴を最低限にして退転を図った。さすがの剣術者的な動きだったと言えるだろう。


 最初に遭遇したのは、剣神こと塚原卜伝だった。こちらの嗅覚もまた、長らく当代一の剣豪と呼ばれ続けてきた人物だけのことはある。


 ただ、加齢による影響からは、いかにこの剣豪でも免れ得ない。彼我の実力差を正確に推し量った卜伝は、相討ち狙いで斬り込むも、あっさりと回避されて蹴りで距離を取られた。


「おのれ、この老剣士には仕留める価値もないと申すかっ」


 発した怒気に、冷ややかな声が浴びせられる


「時間稼ぎには付き合っておられん。……そんなタマでもないだろう」


 バレたかと言いたげな剣神と呼ばれる人物は、手首を捻りつつ刀を投げつけた。回転した卜伝の愛刀は将軍をかすめて地面へと突き刺さる。その頃には、退路を探る将軍は足早にその場を離れていた。


「師匠、ご無事で」


 駆け寄ってきたのは、金棒を携えた剣術家……、真壁氏幹だった。


「鬼さん、あちらだ。追いついてくれ」


「お任せくだされ」


「一撃でも与えればよい。他の者の手傷と合わせて仕留めればよい」


「立ち切りに追い込むのですな」


 鬼真壁と通称される武者はニッと笑うと、装備の重みを感じさせない足取りで指し示された方向へと突進していった。


 見送った老剣士は、どさりと腰を下ろした。


「やれ、ここで華々しく散れれば、物語として綺麗だったんじゃがな。せめて、道標役でも務めるとするか」


 首を回した剣神は、弟子の向かった方向に視線を向けた。その眼光は、往年の武者振りに近い鋭さだった。




 上泉信綱が行方を聞き終えたとき、追いついてきたのは林崎甚助だった。


「お主まで来たのか。親分のところが空っぽになるではないか。……まあ、蜜柑と澪がおれば、大事はないか」


「いえ、奥方お二人もこちらに向かっております。護邦様が、ここが勝負どころだ、雑兵相手なら自分の身くらい守れるとおっしゃって。ただ、さすがに義親は置いてきましたが」


「あやつは、膂力はともかく、技も搦め手もなあ……。だが、確かに、こちらが勝負どころか。どうも、あの公方は化け物のようじゃ」


「ふむ……、護邦のところには、忍びを向かわせるか」


「ああ、段蔵と佐助あたりか。三日月は、おそらく近くにおるじゃろうて」


 剣豪二人の間で、差配は整えられていった。彼らの視界では、雲林院松軒と諸岡一羽が駆けていた。


◆◇◆◇◆◇◆



【永禄十六年(1573年)急襲作戦当日 H+1h49m 小黒丸城の西】


 乱戦の中で旗を立てているわけではないが、忍者による伝達網は構築済みとなっている。本庄繁長が束ねる突撃隊は、大小の黒丸城をほぼ制圧し、海岸からの上陸部隊を待つことなく一向一揆勢の掃討を続けている。本来は九戸政実とのツートップ状態としていたのだが、戦況が安定していると見るや、政実は将軍捕縛に向かったらしい。


 全般としては東軍側の急襲状態で、味方の孤立も考えられるからには、いつもよりもやや手荒な動きとなっている。そこは気にしないようにするしかない。


 俺は、やや位置取りに迷っていた。周囲の手練れの大半はソントウ……、足利尊棟の捕縛のために送り出している。


 手練れが集まるソントウ追捕の現場に向かった方が、むしろ安全なのかもしれない。ただ……、未来世界の剣道、剣術の使い手が、この地でどれだけの力量かは正直わからない。けれど、上泉秀綱が無刀取りを繰り出してまで敗北したというから、凄腕なのは間違いなさそうだ。


 近づいた結果、逆に猛襲されて俺が人質にされてしまっては……。離れた場所でそれぞれ人質になるのと、捕らえるべき敵将に確保されるのでは意味が異なる。捕縛完了の連絡が来るまで、この地でおとなしくしているのが賢明だろうか。


 幸い、周囲には雑兵程度で、身近な警護隊の面々で対抗できている。剣豪勢からは結城義親が残って剛剣を振るっていた。


 と、俺の視線がやや遠いところにいる子どもに吸い寄せられた。戦場にはそぐわない容姿だが、逃げ遅れたのだろうか。と、ニヤリと笑ったその少年が、なにやら印を結んでいく。


 いきなり、周囲の空気が変わった気がした。先ほどまでの陽射しが薄まってもいる。そして……、周囲から音が消えていた。


 右前方で身構えていた結城義親がこちらを向いたが、半目を閉ざして身体をぐらつかせた。


 護衛の者たちも、気を逸らしているように見える。そんな中で、一直線に向かってくる者がいた。反射的にステータスに目をやると、聖哉と表示されていた。その名前には、聞き覚えがあるような……。


 そちらに思考が向いている状態に疑念を覚えながらも、大きく振りかぶられた刀が打ち下ろされるのを弾きにかかる。思うように体が動かないが、どうにか間に合いそうだ。刀剣が衝突したタイミングで、飛んできた手裏剣を右手で払い落とす。手甲が金属音を発したが、完全に斬撃を弾き切れぬままに、刀を取り落としてしまった。


 そのまま、猛襲してきた人物の剣先が俺の脇腹を食い破った。


 剣先の血を確かめた対手の顔が歪む。


「くははっ、討ち果たしたぞ。仏敵を討ち取ったっ! 憎き新田のこわっぱを仕留めたぞっ」


 哄笑を発した頬傷のある襲撃者が誰であるか、俺は理解した。かつて討滅した厩橋の安照寺で稚児だった人物で、反新田運動の首謀者としても活動していた。


 本来は、そんなことを考えている場合ではないのだが……。


「いや、まだだ。だが、入った」


 満足げな声が、先ほどの子どもから発せられた。


「これで帰っては来れまいて。あとは、殿が逃げ切ってくだされば」


 少年がいきなり飛び退ったのは、どこからか手裏剣が飛んできたのか。思考の優先順位が定まらぬまま、俺の意識はさらに低下していった。



【20XX年 夏 秋葉原「戦国統一・オンライン」イベント二日目 ジュニア部門会場】


 ヘッドセットが外れると、くっきりとした視界が戻ってきた。そこそこの観客、動画配信向けカメラ、それに二日間のプレイを共にした同年代の少年少女の姿がある。


「震電、惜しかったな。あのまま押し切っていれば、完勝だったのに」


 覗き込んできたのは、陸遜だった。あどけなさが際立つのは、幼いからには無理もない。……幼い? ともあれ、この会話はマイクで拾われている。俺は、戸惑いを押し殺して答えを返した。


「なに、正面からぶつかってしまえば、勢いは削られるさ。ソントウ、さすがの打ち込みだったな。全国三連覇の剣術家だと知ったら、より強力に感じられたぞ」


「いや、お前が瀬戸際認識をしなかったから、詰めが甘かっただけだろう。実際、こちらが優勢になってからの抵抗ぶりで、トップから引きずり降ろされたようなもんだったしな」


 陸遜が応じる声音には、やや軽躁な調子がある。


「まさに漁夫の利が得られそうになったもんね。ただ、最後には双樹にうっちゃりをかまされたけどね」


「狙っていたのは確かだけど……」


 双樹がそこで、声を低めた。


「花を持たせたんじゃないでしょうね」


「そんな失礼なことはしないって。でも、ジュニア部門の勝者が女子だったのはいい流れだね」


 マイクを意識したのか、そこで声を張ったのはソントウだった。


「まあ、いい勝負だったのは間違いないな。一般組はどうなったかな?」


「世代対抗戦なんかも楽しそうね」


 陸遜と双樹は、まだプレイし足りなさそうである。


「でも、二日はきつかったわ。少し家でのんびりしたいな」


「ああ、それがいいだろう」


 ソントウの声とともに、俺の胸で郷愁とでも呼ぶべき感情が爆発的に燃え上がった。


 次の瞬間、俺は自宅の扉の前にいた。手を伸ばし、力を込める。


「護邦、帰ったの? おじいちゃんが、菜園を手伝えってうるさいのよ。みーたんが駆り出されて、ぶーたれてるわよ。一息ついたら、替わってあげて」


「お兄ちゃん、帰ってきたの? もう、惜しいところで負けちゃうんだもんな。まあ、美形の足利の末裔相手じゃ、元シンデンの新田が勝てるわけないけどさ」


「これ、美紗。苗字の話題は、じいちゃんが不貞腐れるからやめたまえと言ってるだろうに」


「父さんだって、こないだ言ってたじゃない。お兄ちゃん? どうしたの、早く入りなよ」


 懐かしい空気が、この扉の向こうには広がっている。……懐かしい? 前日にこの家を出たばかりのはずなのに。


 と、頭の奥の方から、囁くような女性の声が聞こえてきた。もりくにさま? 俺を、様付けして呼ぶような殊勝な存在は、羽衣路くらいしか……。ハイジ? はて?


 何をのんきに寝てるのよ。自覚が足りないんじゃないの。……そんな罵倒もまた、すっかり馴染んでしまった。


 俺の脳裏に、粘土箱が浮かんできた。そう、俺の帰るべきところは、この家ではない。


 ここにいる家族は幻影なのだと、俺には体感できていた。それでも、せめてこの扉を開けて、別れのあいさつをしていきたい。けれど、それをしてしまえば戻れなくなるのだとも、なんとなくわかった。


 ありがとう。さようなら。


 強く念じた俺は、ドアノブから手を離し、踵を返した。その瞬間、世界がぐにゃりと変容した。



【永禄十六年(1573年)急襲作戦当日 H+2h22m 小黒丸城の東】


「護邦さま、目を覚ましてくださいっ」


「ここで幻術に捕らわれるとか、自覚不足も甚だしいわ。領主失格ね。剥奪されたくなかったら、さっさと戻ってきなさい」


 両側からの、太陽と北風のような呼びかけは、どちらも涙混じりであるようだ。そして、右半身がぽかぽかと殴られてもいる。


「羽衣路……、痛いって。そして、三日月の罵倒は、やっぱり落ちつくなあ」


「目を覚まされたのですね」


 抱きついてくる羽衣路の頭を撫でると、三日月の唇が歪められた。


「ニヤついてんじゃないわよ。そんな場合じゃないってわかってるでしょうに」


「ああ、そうだな。どれくらい寝ていた」


「四半刻も経ってないけど、狩りは難航してるみたいよ」


「そうか。すぐ向かおう」


 ふるふると羽衣路が首を振っているが、従うわけにはいかない。


「おっかしいなあ、しっかり入って、二度と目覚めないはずだったのに」


 幼さの残る少年の声に、段蔵の怒声が被せられる。


「我が殿が、お主の幻術などで仕留められるものか」


「こわっぱが偉そうに」


 段蔵をこわっぱ呼ばわりするとは、何者なのだろう。俺の疑問を察したのか、二対一で戦っていたらしい佐助が声をかけてきた。


「こいつは、果心居士っていう幻術使いさ。不老不死なんだと」


「ソントウは、そんなビッグネームも従えていたのか。いやあ、危なかったよ。おそらく戻れなくなる扉を、開きそうになった。それにしても、本当に不老不死なのか?」


「魂移しやらなにやら言っておりますが、代替わりして口伝えしているのでしょう」


「お主の物差しでは、その程度の把握が関の山じゃろうて」


 少年の口調でドスの利いた声というのは、だいぶ違和感が強い。


 俺に斬りかかってきた、今では骸になった人物の素性は、ステータスがちらりと見えたので把握できている。安照寺で稚児だった人物が俺を付け狙うのは、特に不自然なことではない。


「なあ、果心居士よ。俺を仕留めても、尊棟が討たれたら新田の勝ちだと思うんだが、主君の元に向かわなくていいのか?」


「主にまとわりついておる剣術家どもは始末が悪くてな。反射だけで生きている連中には、幻術は効きづらいんだ」


 まあ、そういうもんか。そして、この幻術師は必ずしもソントウに心服しているわけではないのかもしれない。


「段蔵、佐助。任せていいか?」


「無力化はできます」


「うん。あちらのジリ貧さ」


 歌うような佐助の調子からして、信じてしまってよさそうだ。俺は、三日月の誘導でソントウのいる方へと向かった。




 俺の姿を認めた蜜柑が、軽い所作で手を上げた。


「おう、護邦。やっと戻ったのじゃな」 


「いやあ、神隠しの世界に閉じ込められそうになった。危ないところだった」


「でも、必ず戻るとわかってたから」


 澪の言葉に、剣術使いの方の妻もうんうんと頷いている。信じてもらえていたのは、ありがたいことである。


「状況はどうだ?」


「さすがの強者じゃな。かすり傷を負わせる間に、こちらは誰かしらが深傷を二つ三つ、ってところでなあ」


「打開はできるか?」


「剣術では無理かも」


「じゃなあ」


「なら、どうする」


「任せてはおられんから、手勢を集めたところじゃ」


「こっちもようやく、手数が揃った」


 澪の周囲には若年の弓巫女らの姿がある。蜜柑は、忍者や若い剣士を連れている。


「そういうことか。一枚噛ませてもらうわよ」


 三日月の宣言に、我が妻たちがにこやかに頷いた。


「師匠、隙を作って欲しいのじゃ」


「おう。秘技、無刀取りっ」


 大音声で叫びながら、宣言と合っていない渾身の斬り込みをする辺り、上泉秀綱にも余裕はないようだ。林崎甚助がその背後から斬りかかり、九戸政実が捨て身の突撃を仕掛ける。


 そこに、蜜柑が容赦なく爆裂玉を投げつけた。


「おい、蜜柑。それはいくらなんでも」


「いや、これはなかなか」


 無言で構え直した甚助に対して、二人はどこか楽しげである。戦いが長引いてハイになっているのだろうか。


「弓矢を。手足は射抜いてかまわない」


 そう叫んだ澪が、引き絞った弓をひょうと放った。剛弓から解放された矢は、一直線に足利将軍の胸に向かっていく。そのまま突き立とうとしたが、すんでのところで斬り払われた。


「おい、澪。手足を狙うって弓じゃないだろ、それ」


 剣聖からの問い掛けに、澪は平然と応じる。


「ああ言えば、油断するかと思って」


 そのやり取りの裏で、蜜柑に従う忍者の夜霧と六郎太が鈎付きの網を投げつけた。同時に、長槍が将軍の身体を狙う。そのやり口は、かつての国峯城での、長野業正を仕留めたときと近しいものだった。


「母さまたちのやりようは、風情がないって言うか、なんて言うか」


「何を言うのじゃ。これは剣術の仕合ではなく、天下をかけた戦さなのじゃぞ。綺麗な戦いをする必要など欠片もない。生き残るために死力を尽くすのが我らが流儀じゃ」


「ええ、その通り。手段を選ばぬぎりぎりの戦さが、新田のやり方。三人が初めて会ったあの日から、ずっとこうしてきたんだから。今回は口が動いて、失血死さえ防げば、手足はどうなってても問題ないし」


 澪の口調には迷いがない。いや、それはちょっと勘弁してやってくれないだろうか。


「ふむ……、剣術大会に影響されすぎたか。確かに、綺麗な剣を気取っている場合じゃないな」


 そう口にした剣聖殿は、抜き放った小刀を投げつけた。近づいた蜜柑は、上段に構えつつ足で土を蹴り上げた。蜜柑の側近らは、隙を捉えて網を投げつけており、ついに夜霧の放った網が足利将軍の右手を捉えた。


「今よ。放って」


 弓巫女の放った矢が飛び、また爆裂玉が投じられた。


 それでもなお抵抗を続けた足利尊棟だったが、ついに網に絡まって身動きが取れなくなり、地に倒れた。


 獲物に真っ先に近づいたのは、小柄な少女だった。


「召し捕ったり~」


 その場に適合しているとも、相応しくないとも言えそうな柚子の宣言で、捕物は幕を下ろしたのだった。


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