【永禄十一年(1568年)正月/二月】


【永禄十一年(1568年)正月】


 神前仕合のために年末から集まってきた剣豪勢が、昨冬以上に寄ってたかって柚子に稽古をつけたがった。領主の娘が剣を振るっている姿が物珍しいのかもしれない。ただ、剣豪勢以外でも、今年も訪れていた軍神殿までなにやら絡んでいたのはなんだったのか。


 年末の連歌会には、傷が癒えた八柏道為と内政要員として研修中の二階堂盛義が新たに参加していた。阿南姫も入ればいいのにと言ってみたのだが、新田の連歌に女性が入るのは、なにやら純粋な世界を崩す感じがあるのだとか。それを言うなら、道真はどうなんだとも思うものの、男装していればいいのかもしれない。


 年越し蕎麦に絡む話として、鰻の蒲焼き、鰻丼については、前年の反応がいまいちだったために準備していなかった。だが、多くの参加者から、鰻はないのかとの質問が発せられた。


 話を総合すると、昨年の時点では、体験したことのない強い味付けに戸惑いながら食した状態だったのが、ふとした時に思い出して、また食べたくなっていたのだそうだ。


 慌てて川鳥屋の翡翠に相談すると、街でも同様に初回は低評価だった客が、しばらくしてまた注文して、そのまま病みつきになる場合が多かったらしい。お武家様でもそうなんですねえ、と笑いながら、確保していた鰻を提供してくれた。


 どうせなら、客を回そうかと問うてみたら、忙しい時期に厄介事はごめんですと、あっさりと断られた。お忍びの新田勢ならまだしも、軍神殿やら佐野や千葉の当主なんかに来られては、対処に困るのだろう。




 今年の正月の特筆事項は、鉄砲の守り神である矢宮神社の奉納射に大砲が登場したことだろうか。さすがに郊外へ向けての射撃とはなったが、ついに町中で試射できる精度まで達したわけだ。碓氷峠での信玄を仮想敵にした実弾演習の効果もあったのだろう。


 もう一点挙げるなら、摩利支天神社の芸能奉納で、劇団公演が行われた件か。今回は、猿楽や狂言のような、既に伝統として根付いているものではなく、流民出身の者達の手になるもう少し庶民的なものだったようだ。


 題目は女剣豪による盗賊追捕という、どこかで聞いた話である。初見でも楽しめる内容となっていて、なかなかの盛り上がりを見せていた。


 決めゼリフは見栄を切りながらの「召し捕ったり」というものらしい。蜜柑はそんなこと言ってないのに、とふくれていたが、複数の情報源からは実際には口にしているとの証言が得られた。どうやら考証はしっかりしているらしい。あるいは、内通者がいるのか。


 表立って褒美など渡して、こちらの意向に沿うような題目を並べられても困るので、翡翠屋と那波屋、茉莉屋に頼んで、食事と菓子をご馳走してもらった。家臣に気に入った場合は率先しておひねりを出すように頼んだこともあって、慣習として根付きつつあるようだ。まとまれば結構な額になるだろう。


 実際は、常設の劇場などを設置した方がよいのだろうか。そこはまあ、おいおい考えるとしよう。


 


 前年の十一月には、将軍の継位争いをしていたうちの、三好三人衆が推す足利義栄に証言宣下が行われたそうで、将軍後継問題は一応の決着を見ている。


 けれど、史実ではこの永禄十一年に、足利義昭を奉じて織田信長が上洛している。情勢が史実に沿って動く展開も大いに考えられた。


 それを踏まえると、奥州の方も決着を急ぐべきか。南部との手打ちはむずかしいかもしれないが、伊達の内部での対立を輝宗が制してくれれば、戦わずに済む可能性はある。


 戦国SLG的な思考をすると、この時代の奥羽は石高が少ないため、あまり重要視しなくてもよい地域となる。伊達と南部が存続するかどうかは、正直なところ天下の趨勢にはさほどの影響はない。


 もっとも、それは数字だけの話で、奥州がひとまず穏やかな状態に……、つまり鎮撫されているかどうかは、特に新田からすれば非常に大きい。また、八丈島=マカオ船団が続くと考えれば、奥州の産品も貴重な交易品となりうる。


 鎮撫状態さえ整えられればいいので、伊達が折れてくれれば大歓迎だった。ただ、特に抗戦を主張する晴宗らからすれば、それは屈服でしかないであろう。まあ、そこは成り行きに任せるとしようか。



【永禄十一年(1568年)二月上旬】


 冬の間は、戦さ方面では一息つける期間となる。そのため、内政面では諸事を進めやすい大事な時期なのだった。


 常備軍には交替で十日単位の休暇を与えつつ、土木工事に投入していた。また、領民からも報酬付きで、期間限定の土木作業員を募集している。専門の人足が主体となって、それぞれの仕事が進められていった。


 俺の子供達の年長組のうち、柚子は剣術に夢中で、柑太郎も姉の背を追っているようだ。対して、渚は物語が好きなようで、母親の澪からの語りだけでは物足りなくなって、箕輪繁朝らに読み聞かせをせがむようになっていた。同時に、侍女と共に関東の地形を再現した粘土箱に強い興味を示しているという。


 いい機会なので、渚との対話を試みると、四歳とは思えぬ理解力で、たじろがされる場面も多かった。地図の上には人々に生活があると既に理解していて、過去からの流れも含めて貪欲に聞きたがってくる。


 また、当初は遠慮して控えていたらしい侍女の凛……、鹿島神社の娘で弓巫女の端緒となった人物も、途中からはかぶりつきで聞き入る状態となっていた。スキルに<地形把握>が生えていたので、元々素養があったのだろう。


 元時代知識をどこまで伝えるかは、やや迷うところではあるが、ひとまず自然体で向き合ってみるとしよう。


 そして、来夢と汐次郎はとてとてと歩く状態で、澪や初音と一緒に遊び相手を務めてみた。初音は幼子をあやすのがうまく、とても頼りになるお姉さん状態だった。リーフデの息子、リヒトも彼女には打ち解けているようである。


 子供達との交流と、内政に関する諸事をこなしつつ、厩橋での時間は過ぎていった。




 準備が整ったとの報せを受けて、俺は三河へと向かった。


 新田からは、芦原道真に加えて北条氏規と今川氏真が。そこに、松平家康と、初対面の武田義信が席を同じくする形となった。


 武田義信はこの年に二十九歳で、史実で自害したのは確か前年だった。今川氏真とは同い年で、北条氏規は二十二歳とやや年若である。前年に初顔合わせを済ませた松平家康は二十五歳、俺は二十三歳という計算になる。


 織田信長は、武田義信、今川氏真の四つ上で三十三歳となるので、それを含めても東海地方を囲む領主層は若い世代へと切り替わっているわけだ。


 ちなみに軍神殿は、信長の四つ上の三十七歳、将軍位を争っていたうちの足利義栄は二十九歳、足利義昭の方は三十歳となっている。


 浅井長政は氏規と同い年の二十二歳で、三好の家督を継いでいる三好善継はその四つ下の十八歳なので、だいぶ若い当主が多くなった印象である。


 他では、六角家の実権を握る六角承禎は四十八歳、傀儡的な当主の六角義治が氏規、長政世代の二十二歳。朝倉義景は三十五歳、本願寺顕如は二十四歳と、史実で時代を動かしていく側はだいぶ若い世代だと言えそうだ。


 まあ、生まれた時から戦国の沸騰期だったとなれば、視点もいろいろと変わってくるのは無理もない。


 父親を追放した武田義信もまた、ある意味で戦国の申し子と言えるだろう。ただ、どこか人懐っこい笑みを浮かべている様は、いまいち武将らしくない。


「初めてお目にかかる。新田護邦と申す」


「武田義信と申します。継位をしていながら、あいさつができておらずに失礼いたした」


「お気になされるな。代替わりの経緯を考えれば、難しかったでしょうから」


「恐縮です。……輝虎殿にも、まだお目にかかれていないのです」


「軍神殿も、気にされることはあるまい。……不可侵の約定は、引き継がれるとの理解でよいのかな?」


「そのつもりでおります。いずれ、三者で会談させていただければ」


「そうしよう。……松平殿から、新田の傘下に入りたいとの要望が出ていてな。尾張方面に向かって織田を攻めるつもりがあったのなら、蓋をする形になってしまうが」


「武田も揺らいだ状態からの地盤固めの時期が必要ですので、むしろよいことなのかもしれません」


「よいのかな?」


「我らも、前当主の時代に、新田殿の西進の道を塞いだことがありましたのでな。抗議できる筋合いではありますまい」


 思うところはあったのかもしれないが、少なくとも交渉の場に到着する前に整理は済ませているようだ。


「氏真殿、氏規殿とは親戚付き合いがあるんだったか? 家康殿はさすがに初対面だよな」


「実は松平殿だけでなく、今川、北条のご当主とも初顔合わせとなります。お三方とも、どうぞよしなに」


 北条氏規と今川氏真はやや気楽そうに、松平家康は緊張気味にあいさつを返していた。三国同盟を結んでいる若い世代同士でも、交流はあまりなかったようだ。まあ、氏規については、兄の死で家督が回ってきた状態ではあるのだが。


 今回のところは、なごやかムードで行こうとの暗黙の合意が形成されたようだ。あまり羽目を外さない程度に親睦を深めるとしよう。


 懇親の会食の席では、武田の若き当主に新田に転じている飫富昌景と春日虎綱の近況を伝えた。北奥州で南部と向き合っていると聞いて、義信殿はだいぶ驚いていたようだった。


 いずれ手切れになる場面もあろうが、それでも交流しておいて損はない。俺の感覚はこの戦国の世の常識とはずれているのかもしれないが、無理に合わせる必要もないと思われた。


「それで、護邦殿。武田としては、落ちついたらどこに向かうべきでしょうか」


 緑茶を啜りながら、武田の若き当主が問いを投げてきた。


「そうだなあ。飛騨を制して越中や加賀へ進むというのは、さすがに無理筋でしょうかな。湊を得たのだから、交易に乗り出すのはいかがか」


「飛騨攻めですか……。遠いのは間違いござらんなあ。そして、浜野浦に船を回してもらっているようですな」


 浜野浦とは、遠州灘の掛川城近くにある湊である。


「武田領の産物も、大いに買い取らせていただこう。葡萄や桃などもぜひ」


「金銀の取引について、商人が新田勢のやり方に驚いておりました。明や上方の相場を示して、額を提示してくるとか」


「まあ、これまでの互いの言い値から歩み寄る方が、満足感が高くなるとの見方もできましょうが、いずれ船を仕立ててよそに向かった時に、話が違うとなるのも健全ではありませんからな。よほど敵対的な勢力であれば、攻撃的な値付けもあり得ますが」


「それは恐ろしい話ですな」


 戦国期は、それ以前からの米本位制と呼ばれる環境下にあり、強く通商に興味を持たない限り、米を作って消費して、余った米を売って銭にしてから欲しいものを手に入れる、という流れが本筋となっている。武田が周辺諸国によって塩の不売を仕掛けられた際に、上杉謙信が分け与えたなんて話はあるにしても、通商を武器にするとの発想は出てきづらいのだろう。


 あるとすれば、関所を作って課税するくらいで、それはやや話が異なってくる。米の価格については変動が激しいため、相場を読んで高値安値で取り引きをする者はいそうだが、そこから先に進むことはあまりないようだ。


 武田が現状の三国不可侵を継続する限りにおいては、必要な物資を供給しつつ、産品を他国に紹介していく動きは進めるとしよう。


 今回の会談で、東海方面の動きは概ね定まる形となった。視線は、自然と北へ向かうことになりそうだ。


 と、今川氏真と松平家康が盛り上がっている方に視線を投げた武田の当主が、間合いを測りつつ顔を寄せてきた。低められた声で告げられたのは、なかなかに驚くべき内容だった。


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