【永禄十年(1567年)十一月上旬/中旬】


【永禄十年(1567年)十一月上旬】


 今年最後の八丈島=マカオ船団が無事に戻ってきた。年間を通しても、通商は順調すぎるくらいに順調だった。


 蝦夷地と関東での交易も、流通過程を大幅に省略した状態なわけだが、八丈島=マカオ交易はもう、端折り方がものすごいことになっている。


 関東からの荷なら、本来は堺までの海運を交易商人が担い、堺商人が仲介し、堺から長崎方面への海路はまた別の商人で、長崎からマカオまでは南蛮船が運ぶ形となる。その総てに手間賃が乗ると考えれば、最終的な売価は元値の何倍になっているかわからない。


 それでも全員が儲かるのが南蛮交易だったわけで、直結させてしまえば利幅はだいぶ大きい。船の建造費はもちろんかかるが、荒天による船団全滅や、スペイン艦隊によって撃滅されるといった事態がなければ、このまま回していけるだろう。いや、そういった被害も金銭的には回復できそうなのだが、人的損害はどうにか回避したい。


 荒天による被害を減らすためにも、台湾南端……、高砂での拠点確保は重要となる。湊としての整備はひとまず完了し、入植も進んでいた。琉球との通商関係構築も、避難港としての利用を視野に入れた話となる。


 今回の帰り便では、耕三と小桃も戻ってきていた。もう、彼らには一軍の将のようだなどと言わずとも、自分たちの重要性はわかってくれているだろう。休養を取ってもらうために、伊豆の下田、伊東でのんびりするように伝えたのだが、春には蝦夷地を巡る予定だとの答えが返ってきた。物見遊山ならいいのだが、食材調査やら、通商絡みでの視察も兼ねている可能性が高そうだ。




 内政としては、武蔵野台地……、元時代でいえば、中央線が東西にまっすぐに走る辺りの地域に水を供給する玉川上水の工事が進んでいる。寺社や集落は点在するが、事実上新田が占有する形で開発の準備を整えている。


 台地の南側の低地を流れる多摩川の治水計画も準備段階に入り、そうなれば水運もより便利になりそうだった。


 関東を流れる川の治水全般としては、利根川、荒川、鬼怒川などで付け替え工事や掘削、堤防づくりが動き出している。


 洪水対策は、陸遜との話でも出た通り、増水時にできるだけ早く江戸湾、香取海に流し込むのを大方針として設定してみた。


 それを実現するため、各河川の本流は蛇行部をショートカットし、直線の多い流路にするよう計画している。


 流域を広く取り、その中に複数の川筋を深めに掘削するための具体的なプランも設定中である。掘削で出た土砂を積みつつ、コンクリートも使って堤防を高くし、決壊時もゆったりと流れ出す、スーパー堤防的な状態を目指してもいる。


 一方で、平時は農業用水として使用し、緊急時には堤防の中で低めに設定したところからの放水路ともなる水路と、溜め池の整備も計画している。それも、アルキメディアン・スクリューと簡易水車を併用して、やや高い位置まで水を汲み上げられる目処が立ったからこそ採れる方針となっている。


 一連の計画でややネックとなるのが、河川を使った物流に支障が出かねない点だろうか。水車を使ったベルトコンベヤーは試作していて、一応は形になったのだが、耐久性に難がある状態だった。そう考えると、農業用と水運向けの水路を別に整備するのがよいだろうか。大雨となりそうなときには、そちらへの流入を止める形の対応も考えられる。治水はインフラ整備とその保守だけで回るかと思っていたが、運用を担当する治水・水利奉行のような者を置く必要がありそうだ。


 そして、どれだけ川を整備したとしても、洪水はどうやっても起こると思われる。その前提からすると、かつて川が流れていたと思われる低地も利用しつつ、海まで繋がる空堀的な放水路も設置しておきたい。


 これらは、開発が進んでいない今の時点だからこそ可能となる。奥羽の二正面作戦を抱えている状況ではあるが、できれば国力を注ぎ込みたい分野だった。



【永禄十年(1567年)十一月中旬】


 南奥州では、冬季休戦が近づく中で動きがあった。最上家内部の対立は深刻で、ついに最上義光が謹慎させられたそうだ。当主には、先代の最上義守が復権する運びとなっている。


 こうなると、最上とその従属国人衆は、一致して伊達に与するのだろう。まあ、はっきりしてよいのかもしれない。


 北奥州も南奥州も、冬季にいきなり開戦となる気配は皆無となっている。出羽も含めた奥州では、ある程度以上の規模の戦さには農兵の招集が必須であるようで、よほどの小勢で仕掛けるのでない限り、前兆は豊富に見られる。


 対して新田側は、動員なしで即応できることもあって、わりとのんびりした雰囲気が漂っていた。それぞれの主将に任せて、俺は厩橋で過ごしている。


 そこでは、ある意味では深刻だが、別の意味では馬鹿らしい事態が展開されていた。


「で、どうしてこうなったんだ」


「いいから、干し桜えびを茹でてくれって」


 たすき掛けをして小皿で味を見ているのは、剣聖殿である。ここは、厩橋城の厨房だった。


「塩ダレと干し桜えびだけってのは、さすがにさびしいんじゃないかな。鶏ガラとか、豚骨とか……、魚介系でまとめたいなら、魚の背骨を煮込んだスープとか」


「さっぱりとした味にまとめたいんだ」


 上泉秀綱が目指す味は、だいぶシンプルであるようだ。


「ラーメンの麺はどうするんだ。さっぱり目のスープなら、細麺が向きそうだが」


「ああ、そうしよう。汁を邪魔せず、引き立てる感じが望ましいな」


 剣聖が作るラーメンは、どんな味になるのだろうか。




 ことの発端は、開発局を束ねる笹葉と一緒に、剣聖殿がラーメンを食べに行ったときの会話だったらしい。


 もう少しあっさりしたラーメンを食べたい、と口にした上泉秀綱に、笹葉は作ってみたら、と応じたそうだ。


 おそらく、特に深い意味はない言葉だったと思うのだが、普段から笹葉のモノづくりに関心を持っていた剣聖殿は、挑発と捉えてしまったらしい。その結果が、厨房にこもってのラーメン作りなのだった。付き合わされるこちらの身になってほしいものである。


 プロデュースするだけで、実際の試作は調理人にやらせればいいんじゃないかと問うてみたのだが、それで作ったと言えるのかと、真顔で返されてしまった。まあ、それはそうなんだがなあ。


 酒を飲み過ぎた状態でなければ、剣聖殿の味覚は鋭敏である。まずいものを食べられないわけではないが、うまいものには目がないのも確かなのだった。


 タレの準備を進めていると、話を聞きつけたらしい笹葉が戸の陰からそっと顔を覗かせた。そして、はっきりと呆れてもいる。


「秀綱殿が、ラーメンを作っているの? なんで、そんなことに……」


「笹葉が、自分で作ってみたら、って言ったんだろう? 本人、何も生み出していないと気にしてたらしいぞ」


 応じる俺の声音には、やや恨みがましい響きが含まれてしまっていそうだ。


「いや、言いましたけど……。だって、剣技とか編み出してるんでしょ?」


「それは別って考え方なのかもな。ちょっと手伝ってやってくれないか」


「本人が嫌がるでしょう。それに、あたしも家での料理はともかく、ラーメンとなると……」


「そっか。畑違いだけど、拓郎にでも頼むかな」


 菓子職人の拓郎だが、最近は絵の方にも関心を示していて、なかなかの腕を示しているそうだ。料理は専門外だとの話だったが、ラーメンを食べるのは好きなようだから、興味は示すかもしれない。




 拓郎を巻き込んだことでさらに錯綜したラーメン作りは、救い主として現れた耕三によって一気に仕上げられた。これまで、だれがどうやってもばらばらな味わいのスープだったのが、あっさりと調和するから不思議である。


「うまいな、これ。俺にもこんな才能があったとは!」


 ご満悦な剣聖殿に対して、巻き込まれた面々はややげんなりしている。ただ、完成品の味見をしてみたら、確かにうまかった。


 こうして、からっ風の吹く冬の厩橋に、新たな名物として剣聖ラーメンが誕生したのだった。




 この年の特筆事項は剣聖ラーメンが締めかと思ったところに、利根川遡上の船便での訪客がやってきた。陸遜こと楠木信陸と同行者……、松平家康だった。


「偽りの臣従をするってことでいいのか?」


「まあ、ありていに言えばそうだね。偽りになるか、本当になるかどうかは、今後の展開次第かなあ」


「いえ、我が松平は新田の傘下で生きていこうと決めております」


 その声は、先日に駿河で席を同じくした頭巾姿の人物と同じ響きだが、初対面ということになっている。


「えー、それは織田の家臣としては聞き逃せないなあ。そういうのは、ボクのいないところでやってくれないかなあ」


「まあ、そう言うなって。……家康殿の心情はどうあれ、現状では織田と新田に両属するような形で、織田と新田、武田との緩衝材的な存在になってもらうしかなかろう。その先のことは、情勢を見て考えられてはどうか」


「なれど、それではあまりにも……」


 史実では決して強大な勢力ではなかったのに、見事な立ち回りを見せ、最終的には天下を手中にしたため、狸親父呼ばわりされる人物なのだが、後天的なものだったのだろうか。まあ、戦国の世を生き抜くためには、自らの人格を作り変えていくしかないのかもしれない。


「ただ、向かう先がなくなる武田義信がどう反応するかはわからん。仕掛けて来れば、共闘することになるだろうが、それはよいのか?」


「ええ、共に戦わせていただきます」


 そう口にする三河の統治者は、今年で二十四歳となるそうだ。俺の肉体年齢は二十二歳なので、二個上ということになるが、ほぼ同年代と考えてよいだろう。


 ただ、幼少期から今川、織田の人質になって、若くして弱小勢力の家督を継いでと、厳しい状況を乗り越えてきたにしては擦れていないようにも見える。外から見たら、俺は似たような境遇からのし上がったと見えるのかもしれないが、元時代から持ち込んだ進んだ文物と史実についての知識があるため、だいぶ話は違っている。


 そして、大名的な立場の家よりは、臣従に抵抗感がないのかもしれない。


「……それで、信長殿は、東を固めつつ、武田と新田との関係性を保留したままで西へ向かうつもりなのかな」


「あはは、お見通しだね。東への備えを軽くできれば、話はだいぶ変わってくるんだ。西進を始めたところを、後ろから攻め込む策も考えられるけど、護邦にその気はないだろ?」


 単純に新田が全国を制覇するためならば、それが最善手なのかもしれない。上洛前の、あるいは直後の織田を討ってしまえば、残るは西国の史実勢力のみが相手となりそうだ。


 ただ、信長が本能寺の変で命を落とさなければ、どんな世界を作ったのかには、正直なところ興味はある。東国を制圧した状態で、織田に従属するとの展開は、やや歪な状態だろうか。


 信長の後を引き継ぐ形になった秀吉が、実際に全国を制覇していく展開となったのには、生粋の武士ではなかった彼の出自が影響していた面もあるだろう。諸大名が軽んじた面と、軽んじられるのを恐れた秀吉側の心理的な部分もあったろうし、幕府的な支配が立ち行かないことを感覚的に嗅ぎ付けていたのかもしれない。


 一方で、信長が本能寺の変を回避していたなら、秀吉の制覇よりも強力に各大名を無力化させた可能性もある。そのあたりは、どうにも予測がつかないところだった。


「新田殿は、上洛は目指されないのですか?」


 家康の質問に、俺はやや言葉に詰まる。俺が「戦国統一・オンライン」のプレイヤーとして新田を操っているのなら、武田、上杉との三角不可侵の約定を結んだ時点で西進を目指したように、機会を捉えて畿内へ近づいていただろう。ゲーム内では、畿内は石高で表現される収益面で、高い値の国々が並んでいて、制することで優位に進められるのだった。同時に、山城の制圧が勝利条件の一つともなっていた。


 ただ、この世界が現実であるからには、畿内……、特に京は他の土地と同じではありえない。朝廷があり、公卿がいて、幕府が置かれ、有力寺社が多くある。産業も関東の比ではなく盛んで、高利貸しの規模も大きいと聞く。魑魅魍魎の含有度合いは、おそらく関東とはまるで違うだろう。


 それだからと洛中へ進出するのを忌避するわけではないが……、気後れは正直なところ存在している。


「道が開けば、だな。無理にこじ開けるかどうかは、考えていくとしよう」


 迷いも、信長への想いも、陸遜には見透かされているのかもしれない。まあ、東海地方での突発的な開戦の可能性が低下するのは、歓迎すべきなのだろう。後は、武田と話をつける必要があるが。



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