【永禄十年(1567年)六月下旬】その二


【永禄十年(1567年)六月下旬】その二


 京の情勢は、新田家中において現状ではさほど重視されていない。まあ、実際問題として、あまり変化もないのだった。


 忍者からの報告は定期的に届いているが、足利義栄、義昭の継位争いを軸に、畿内で政争、戦闘が続く様子が記されている。このあたりの細かな史実は、正直なところ把握もしていないので、ずれているかどうかもわからないのだった。


 頭を悩ませていると、ふらりとやって来たのは、陸遜……、楠木信陸だった。いるかいないかわからない状況で来るほど暇ではなかろうから、帰着したとの連絡が行ったのかもしれない。


 交換派遣状態の職人もそうだが、手の者を送り込んできている可能性が高い。ステータスが把握できる同士では、忍者を潜ませてもすぐばれるので、そこはお互いに工夫しているだろう。


 新田に送り込まれている職人の陶磁器、ガラス作りに関する知識は確かなもので、工房の高度化が達成できている。その件についての礼を告げると、陸遜は小首を傾げた。


「こちらからすれば、料理人、菓子職人の魔法みたいな技量を提供してもらっているから、お釣りを渡したいくらいだよ。震電はあちらで料理をしてたのかい?」


「真似事程度だがな。ただ、色々な料理や菓子の調理法を確立してくれたのは、それぞれの分野のスキル持ちだぞ」


「スキル持ちを見つけられるのがすごいよ。……まあ、人数も違うのか」


「初期から、農村の少年らの集合教育や孤児院で有望な人材を探してたからな」


「村が幾つかじゃ、そもそも見つからないのも無理もないか。しかも、料理なんかしたことなかったから、見つけたとしても伝授もできなかっただろうし」


 そう考えると、元時代に家庭内厨房要員として活動していた経験が大きかったわけか。うろ覚えでも工程に触れたことがあるとないとではだいぶ違うだろう。バッター液が何たるかを知っている中学三年生は、少数派だったかもしれない。


 そんなこんなを話しているうちに、外で雷鳴が鳴り響き、天をひっくり返したような雨が降り出した。天守こそ備えていないが、三階建てに増築した厩橋城は、なかなかに見晴らしがよい。雨中に雷が煌めくさまは幻想的な印象だった。


「すごい雨だね。洪水になっちゃう?」


「いや、上州じゃこのくらいの時期から夏の終わり頃まで、激しい夕立はわりと日常なんだ。この調子で一晩降ったら、確かに危険だけれど」


 元時代ではかかあ天下とからっ風が群馬名物とされていたが、さらに挙げるなら雷と夏の夕立あたりが入ってきそうだ。


「それはそれとして、治水については上州に限らず、関東全域で進めていきたいと思っている」


「ちらっと話は聞いてるよ。深くて直線状の川を作るって理解でいいのかな?」


「今のうちなら、土地は確保できるからな。河川敷を広く取って、川筋を複数掘削し、定期的に流れていない方を浚渫できるといいな、と」


「なるべく早く、海に水を流してしまうって考え方か。スーパー堤防を組み合わせるのもありかもね」


「スーパー堤防ってどんなんだっけ?」


「高く設定した堤防の外側をなだらかな斜面にして、決壊時の水の勢いを弱める、って考え方でいいんだと思う。掘削を深くまですれば、その必要はないのかもしれないけど」


「いや、備えておいてやりすぎってことはないからな。掘った土の処置も課題だったから、併せて検討してみよう。それと、直線水路の方針が最適解かどうかはわからないから、遊水池なんかも設定しようとは思っているが」


「川幅がすごいことになりそうだけど、橋は作れそう?」


「コンクリートで作っても、大洪水の時には流れるかもしれないが、そこは架け直しでいい気もするからな。技術が進めば、蓋をして再開発するのもありだろうし」


「それは……、首都圏外郭放水路の大規模版みたいだな」


「ただ、浅間山の噴火による泥流も考えに入れる必要があるし、幾つか水路を作っておいてもいいかもしれない」


「そこまでやるなら、確かに今じゃなきゃできないねえ」


 苦笑気味の陸遜は、洪水が多発した土地の出身だそうで、多くの知見を伝えてくれた。慌てて呼び寄せた伊奈忠次や鎮龍姓を与えている治水系の者達にとっても実り多い時間になったようだ。


 また、川津波にも話が及び、地形から津波の発生しづらい江戸湾以外の、太平洋沿いの治水についても検討が進む形になった。


 江戸時代には、東北、東海で地震による津波が幾度か生じる。新規に開発した土地であれば、領主権限で人の住む場所を制御できるが、既にある街について立ち退かせるのはなかなかに難しい。まあ、神様ではないので、できるだけ被害を減らす方針を示していくまでが精一杯だろう。


 治水の話に絡んで、今後の開発の方向性にも話が転がっていった。史実では、江戸城の周辺が首都となって栄えたわけだが、都心の半分ほどが埋立地で、洪水被害に弱い面があった。


 四谷や新宿から西の武蔵野と呼ばれていた辺りであれば、地盤が硬い上に、やや高くなっていることから洪水被害を受けにくい立地となる。重点的に開発していく想定として、その基盤となる玉川上水の工事が進められていた。


 陸遜との対話では、それに留まらない関東全体の開発も、やや突拍子もないアイデアも含めつつ検討が進められた。香取海を活かす形で、水運と治水を両立しつつ、関東全体での棲み分けも考えるとすると、なかなかの大事業になる。元時代での関東地方は、グランドデザインなく開発されていながらも、世界でもあまり類のない広範囲に開発された土地になったわけだが、もう少し住みよくできるかもしれない。……というのは、やや早まった考えではあろうが。


 陸遜はまた、食べる対象としての繊細な菓子の知識も多く持っていたので、菓子方面の拓郎、那波茉莉、遊びに来ていた大福御前らと交流して、刺激を与えてくれたようだ。その流れの中で、開発局を巻き込んでの大判焼き向け鉄板が開発された。庶民向けの甘味として、大判焼きの屋台を普及させられれば、和菓子の裾野も広がるだろう。


 一方で、こちら側の現状も、元時代から持ち込んだ知識も惜しみなく提供している。はっきり口に出してこそいないが、互いを万一の場合の避難場所的な存在として扱っている面がありそうだ。波長が合うというのも間違いのないところとなる。


 俺としては、自分と親しい者たちの生存が最優先で、戦国統一を目指す形になっているのは、目的を達成するための手段でしかない。天下を制すれば、殺される可能性が低くなるのは間違いないのだから。暗殺は警戒すべきだとしても。


 では、陸遜の目的はどこにあるのだろう? 飄々とした風情ながら、織田家で頭角を現しているからには、この時代の武将として本格的に取り組んでいるのだろう。オンラインゲーム大会に出場予定だった四人が、織田家に集うという想定も、狙いが大外れだったわけではない。俺も蜜柑と出会わなければ、その道を選んでいたかもしれない。


 上司としての信長への恐怖はあるが、浪人を雇い入れて実力で評価する在りようは、この時代では異質なこととされている。まあ、軍神殿も近江で見出だした者達を近習としたり、猟師出身らしい甘粕景持を取り立てたりと柔軟さは見受けられたので、大きくなっていく勢力にはどこも、そういう素地はあるのかもしれない。


 一方で、織田家は史実の流れに乗りさえすれば、天下に近づける勢力だと見てよいだろう。その視点からも、いわゆる神隠し勢が尾張に集う展開は想定できたわけだ。


 そう考えると、俺は新田として神隠し勢の保護を目指すべきなのだろうか。四人はオンラインゲーム大会で勝負しようとしていたわけだが、同時にゲームとしての「戦国統一・オンライン」を楽しみ、愛するタイトルが日の目を浴びる機会を活用する方向性では、同じ目的を共有できていたはずだ。


 この時代に来て、成り行きでモブ豪族からの成り上がり展開となってしまっているが、普通に考えれば生存を優先し、直接の家来でなくても信長の周囲にいようとしそうである。秀吉や家康だと、展開次第では途中退場もありえるわけだし。


 ただ……、俺のように豪族家に婿入りするなんて流れで戦国時代の領主になる形ではなく、意識して戦国統一に乗り出している可能性も捨てきれない。まだ見ぬソントウ、双樹はどんな人格なのだろうか。こうなってくると、生きていそうな気がしてくる。


 それもあっての畿内、西国の状況調査なのだが、これまでのところ気になる動きは検知できていない。まあ、気長に続けていくしかないか。


 陸遜の今回の訪問はお忍びで、長居はできないそうだ。引き続き連絡を取り合うとしよう。


 別れ際に、俺は問い掛けを投げつけた。


「ところで、元の時代に戻れると思うか?」


「どうだろうなあ。ボク一人だったら、夢オチも想定するところなんだけど、想像とはまったく違う震電も来てたわけだからなあ」


「……俺は、どんな風に想像されていたんだ?」


「もうちょっと奇矯で偏狭な感じかと思ってた。だって、瀬戸際の魔術師だよ? そう思う方が普通だよね?」


 同意を求められても困る。陸遜のキャラの方が、俺にとっては意外だったのだが、まあそれはお互いさまということか。


「それで……、織田が史実通りに上洛し、西国を制覇したら、震電はどうする?」


「んー、共存できるといいんだがな」


「この時代の戦国大名が、関東を手中にして、奥羽を制覇せんとする存在を許容するどうかはねえ……」


「東西決戦は避けたいが、まあ、織田との関ヶ原決戦でゲームクリア、というならそれもありかな」


「いや、「戦国統一」に関ヶ原モードは実装されてないって」


 戦国物のシミュレーションゲームでは、京を押さえて、その過程で近畿を手中に治めた勢力が、事実上の勝者となる場合が多い。戦国の世をうまく反映させていればいるほど、そうならざるを得ないわけで、特に東日本か西日本の制覇後に畿内を確保した場合は、全国を平定できるだけの実力を備えているのはほぼ確実となる。


 その後は往々にして、残る地域大名を各個撃破していくだけの作業に陥ってしまう。それを防ぐために、覇者的な存在が現れた場合に、強制的に他の大名による連合体を形成して、一大決戦をしよう、との発想で幾つかの戦国SLGに準備された仕掛けが、いわゆる「関ヶ原モード」となる。


 ゲームの最後を盛り上げる仕組みとしてはありだろうが、現実路線の「戦国統一」シリーズでは採用された実績はない。


 現状から、義昭を奉じた織田が畿内を制圧すれば……。上杉、武田が敵に回らない限り、西国大名を各個撃破していく展開となるだろう。その先には、織田を主座として東国勢が参加した大名連合が形成されるのか、決戦が行われるのか。


 武田が巨大化した織田に従属するのなら、残るは上杉と新田、そして奥州勢のみとなる。そう考えると、上杉には越中、能登、加賀辺りまでは進んでおいてほしいのだが……。


 思考を巡らせていた俺の耳朶に、物騒なつぶやきが届いた。


「問題は、光秀が織田家にいないってことなんだよねえ」


「おい、陸遜。お前、まさか……」


「いやいや、本能寺の変をやるつもりはないって。幕府、朝廷対応とかがややこしいよね、って話」


「なら、いいけどな」


 ともあれ、今後も連携していくことを約して、楠木信陸は織田家へと戻っていった。




 相変わらず遊軍として活動している三日月から、探索結果がもたらされた。


「……というわけで、東海はひとまず落ちついているわ」


「義信は意外と足元を固めているのか」


「上杉と新田に北信濃を奪われて、家中にだいぶ不満が渦巻いていたみたいだから」


「これまでの信玄は、勝っていたからこそ支持されていたってことか。……で、義信はどう動く?」


「海への道を得ているのは、大きいみたいね。通商に期待がかかっている」


「ふむ……、なら、船を回すとするか」


「武田を富ませるつもり?」


「生活を豊かにして、新田の商品のお得意様になってもらいつつ、一蓮托生状態に持っていきたいものだな」


 迂遠ねえ、と肩を竦めた三日月は、態度ほど不機嫌なわけではないようだ。


「今川と松平はどんな様子かな」


「それぞれの傘下豪族に争いの種はないでもないけど、武田も含めてやり合うつもりはなさそうね」


「……なんか、残念そうだな」


「そりゃあ、忍者は戦さに絡んでこそなんぼでしょうよ」


「奥州で充分だろうに」


「まあ、あちらも動きそうだけどね」


 奥州でも、探索は続いている。ニヤリと笑った三日月に、俺は別角度の問いを投げた。


「今回の東海道の探索は、伊賀者か?」


「ううん、あたしが行ってきた。軒猿との絡みもあったからね」


「そうなのか、三日月はてっきり厩橋で……」


「それ以上を口にするなら、覚悟しておくことね」


 俺は首をすくめて、そこまでにしておいた。ただ、どこか雰囲気が和らいだようでもある。多岐光茂との関係はうまくいっているのだろう。


「ところで、駿府で桜えびってのを託されたんだけど」


 持ち出されたのは、きれいな桜色をした干しえびだった。


「獲れたか、よかった。生では食べてきたか?」


「ええ。経験したことのない味と食感だった。でも、干した方がもっと味が深いのよね」


 三日月が食事について反応するのはめずらしい気がする。


 アジ向けの漁網を深いところまで沈めてみたら、未知のエビが大量に取れたというのが駿河湾での桜えび漁の始まりだ、との話は元時代で耳にしていた。そのため、地域の漁民らに試してみてもらったのだが、この時代から生態は変わらなかったようだ。


「生でも干したものでも、そのままでもおいしいし、かき揚げにするのもありだな。鍋に入れるのもいいし」


「かき揚げ……」


 三日月の目が輝いている。よほど気に入ったのだろう。


 食材としても貴重だが、乾物にすれば明にも売れそうなので、人を派遣して干し桜えびの量産体制を構築するとしよう。それこそ、今川家を巻き込んで商材化を目指すのがよさそうだ。




 この年の奥羽夏至連歌会は、状況が状況だけに休止することになった。厩橋にやってきていた岩城親隆の妻である梅姫は鈴のような声で残念がった。


 そして、梅姫にたまたま厩橋に揃っていた青梅将高と芦原道真を引き合わせたところ、しばし絶句した後に、それもまたありです、と呟いていた。


 岩城親隆に視線を向けると、理解をあきらめた様子で首を振られてしまった。まあ、あまり気にする必要もなさそうだけれど。


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