【永禄十年(1567年)正月】
【永禄十年(1567年)正月】
十一月に顔を合わせたばかりなのだが、軍神殿が厩橋で年越しをしようとやってきていた。今回は、本庄繁長も一緒である。この二人の関係性も、よくなっているのだろうか。
特に用があるわけでもなさそうで、連歌のために来てるんじゃないかとの疑惑すらある。まあ、息抜きは大切だけれども。
今年の年越し天ぷら蕎麦は、香取海で採れたキス、スズキ、牡蠣などを具材としている。併せて、蒲焼きにしたウナギを使った鰻丼も供してみたのだが、意外にも受けはいまいちだった。味の濃厚さは、江戸期以降向きなのだろうか。
おせちも引き続き豪華版としているが、独自に食事処に向かう客人も多いようだ。料理屋も、正月くらい休んだ方がよいように思うのだが、居酒屋を経営する川鳥屋翡翠も、和洋菓子を商う菓子処の那和茉莉も、稼ぎ時だから禁令なんかは勘弁してほしいとの立場だった。まあ、そういうことなら仕方がない。
軍神殿とのお茶会を終えると、あちらから話が持ちかけられてきた。
「護邦殿、佐渡の話はよいのか?」
「よいのか、とは? なにかありましたかな」
「海賊働きの話は把握しているんだろう?」
「耳に入っておられましたか。正月から生臭い話はどうかと思いまして」
「蘆名の話をしておるのに、いまさら何を言うか」
文句を言いながら、表情は微苦笑といったところだろうか。近くには、お茶会からの流れで、河田長親と青梅将高が控えている。
「越後勢が海賊の跋扈を許すとは思えませぬ。佐渡の者たちで間違いはないでしょうな」
「だが、本間が関わっているとの確証はないが」
「海賊働きを許しているだけでも、討伐の理由になりましょうに。……佐渡に海賊が凱旋してきて、把握していないとは考えづらいでしょう」
俺の言葉に、軍神殿がやや表情を引き締めた。
「ふむ。……ならば、討伐するがよかろう」
「上杉がやれば服従に留まり、新田がやれば討滅となるでしょう。そこは、いかがお考えか。……佐渡まで取っては、新田が拡大し過ぎな気もしますがな」
「奥州鎮撫に乗り出しておるのに、それもいまさらだろう。……ただ、実際は、海路とはいえ距離の関係で、微妙に思う家中の者もおるかもしれぬ」
「でしょうなあ。水軍は新田から出すのが良いにしても」
そこで、軍神殿が提案を投げ込んできた。
「ならば、本庄繁長にでもやらせるか?」
河田長親の眉がぴくんと跳ねたようだが、口を挟んではこなかった。
「佐渡は土地の広さのわりに、影響力が大きくなるかと。一気に事実上の大名的な実力を持ちそうですが、よいのですかな?」
「現状でも、もはや新田と両属的な状態だからな。できれば直臣衆にやらせたいとの思いはあるが、攻め取ったならば、守るだけの力がないことには話にならん。水軍と水運に興味を示しているのは、あやつくらいでな。……ただ、暴れ馬的な素養がある。そこは新田で制御してくれ」
「努力しましょう。領内からの収入は、上杉、本庄、新田の三等分でよろしいか?」
「上杉は不要だ。折半するがよかろう。その替わり、船を継続して直江津にも回してくれ」
「そこはもちろん」
鉱山開発を進めて金銀が大量に出てくれば、話も変わってくるかもしれないが、まあ、なにかで埋め合わせをするとしよう。あるいは、その段階で、改めて上納の話をしてもよいかもしれない。
軍神殿の随員の一人として、蔵田清左がやってきていた。岩松親純と十矢の、絵師方向の素養を持つ二人に引き合わせたところ、あっという間に意気投合していた。
どちらかと言えば、十矢が純然たる芸術家肌で、親純は商品向けの絵も楽しんで描いているようだ。話を聞いたところ、清左も絵を嗜むが、同時に商品の意匠……、デザインを得意とするらしい。
新田学校の美術教室には、スキル持ちも含めた希望者が幾人も放り込まれているので、影響しあってくれそうだ。
とはいえ、清左が美術に傾倒しすぎると、代替わりを控えた蔵田五郎左衛門にどやされそうなので、そこは制御していくとしよう。
晩秋から開始された稀代の剣豪二人による奥羽諸侯へのあいさつ回り的な訪問は、海路を中心にしたことと、白河に近い勢力が事前に接触してきたのもあって、年内にあっさりと完了していた。南部が南方の小勢力を飲み込んだために、対象が減っていたというのもある。
ほとんどの諸侯が、剣豪二人の来訪は歓迎しつつも、新田の奥州鎮撫への協力については苦笑して黙殺、といった状況だったようだ。
まあ、今回の使節派遣で奥州が鎮まるなんて期待は最初から抱いていない。人的損害を出さずに通告を済ませた点に意義があるのだった。同時に、鎮撫への協力を求めて、それを断る形になるわけで、相手が心理的優位に立ちそうな面もあるが……、これは正直良し悪しとなりそうだ。面従腹背でいられるよりは、公然と反抗してくれた方が楽だとも言える。
その点で、訪問直後に攻めてきた蘆名の動きは、一つの先例となるのかもしれない。伊達を筆頭に伊達系の諸侯が軒並み苦笑対応だったようなのは、まだ深刻に受け止めていないためもあろう。
なんにしても、年明けの奉納試合には、旅を終えて戻ってきていた剣豪二人は参加できる運びとなった。
その奉納試合の前後に、集まった剣豪が柚子と手合わせをしたがる場面が頻発した。まだ六歳の女の子なのだが、なにやら雰囲気があるらしい。
もちろん本気の手合わせとなるはずもないが、様々なタイプの剣豪と剣を合わせるだけでも、いい経験になるだろう。
今回の奉納仕合には、佐野昌綱の弟二人である天徳寺宝衍、祐願寺了伯に、佐野家臣である剣術家の山上氏秀、さらには結城義親といった面々も初参加となっていた。
結城家の実質的当主である結城義親は、膂力自慢だそうで腕試しに来たとのことだったが、塚原卜伝によって相手に指名され、こてんぱんにやられてしまった。
ただ、老剣豪にそうされても苛立たずに、その場に平伏して弟子入りを志願できるからには、心根がまっすぐなのだろう。卜伝殿もまた、その資質を見込んでの指名だったと思われる。
大名や将軍相手にはある程度の稽古をつけて「一之太刀」を伝授する場合もあるようだが、今回はどうやら本気のようである。蜜柑もまた、「一之太刀」伝授後も稽古を受け続けていた。
前年は関東での戦さが激しくなっていたため、新田家としてはほぼ正月返上状態で、軍事系の催しは軒並み中止となっていた。それだけに、今年の正月の穏やかさが際立っている。
そんな中で、摩利支天神社の芸事については、前年も途切れずに進展を続けていた。大道芸、手品的な演目が多いようで、踊りを披露する者達もいた。
猿楽を演じた一座もいたのだが、観衆の反応はいまいちだったらしい。理解するのに前提知識が必要となりそうなだけに、初見では楽しめない面もあるのだろう。継続すれば理解も進むわけだが、一座の代表が質の悪い客には付き合っていられないと怒気を発していたそうなので、望みは薄そうだ。
ともあれ、活況を示してくれたのはなによりと言えるだろう。やはり、平和が一番である。
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