【永禄九年(1566年)十二月】


【永禄九年(1566年)十二月】


 降雪による冬季休戦中に、小金井桜花に要請された北奥州の仕置の件を済ませておこうと、俺は海路を北へ向かった。途中での立ち寄りもいつも通りだが、久慈、九戸の当主はやや複雑な表情を浮かべていた。北畠・大浦・新田連合と関わっていたために、南部本家と隙間風……というにはややきつい冷気が立ち込めているので、無理もないだろう。南部家にも、使者として訪れた剣聖殿が鎮撫への協力を要請したものの、反応は冷ややかなものだったという。


 一方で、九戸家の世継ぎである伸びやかさが際立つ青年、九戸政実は肝が据わっているのか、まったく気にしていないようだ。同行している、北奥州の政務、軍略方面を任せる予定の本多正信を紹介したところ、いい面構えですなと笑っていた。こちらは、やや陰のある人物ではあるが、有能さは際立っている。


 一向一揆に参加する形で主家を離反した経緯のある正信だが、関東、奥州に一向宗の影はほぼない。それだけに純化してしまう可能性もゼロではないが、まあ、なるようになるだろう。


 雪が深いため、北畠、大浦、湊安東の面々には、海路で十三湊に参集してもらうことにした。


 北畠からは、若き当主の北畠顕村、その妻の倫、後見役の北畠顕範に、最初の訪問時に厩橋に来た一門衆の北畠泰房が来ていた。顕村殿と倫とがすっかり仲良しで微笑ましい。


 大浦為智……、かつて見坂智蔵と名乗っていた古馴染みの人物もまた、妻の戌姫と肩を寄せながら、年少の夫婦の様子に穏やかな視線を向けている。家宰である近沢知康が、その様子を見て柔和な表情を浮かべていた。


 その点、湊安東の月姫と佐野虎房は、まだ少し心理的距離があるようだ。婚姻を済ませたわけではないので、無理もないのかもしれない。まあ、それでもぴったりくっついているからには、関係性は良好なのだろう。


 土産に持ち込んだ新作のお菓子やジュースの類は、華やかな会話の中で消えていった。戌姫は倫の世話を焼き、倫の方もなついているようだ。月姫はその様子をどこか眩しげに眺めていた。


 為智と虎房は厩橋城で少年時代を共にした旧知の仲で、顕村殿と穏やかに話をしている。


 柔らかな空気感が示す通り、妻三人も、夫たちもいい関係が築けているようだ。……この機会に蜜柑を連れてくればよかったか。だが、海難の可能性はやはり考えておかなくてはならない。


 この場の差配は、全体の指揮役として神後宗治が、実務の取り仕切りを用土重連が担当している。この二人も、なかなかいいコンビのようだ。


 一方で、実戦部隊を率いる小金井護信は晴れがましい席が苦手とのことで、周辺警戒に当たっている。その妻の静月は、気配を消して内向きの警備を買って出てくれているようだ。


 湊安東の後見役的な存在である雲林院松軒は、小金井桜花を連れて、十三湊の二次開発計画の検討に出ているらしい。そちらもまた、自由人ではある。




 戌姫と倫から関東と南奥州の情勢を教えてほしいとせがまれ、聞かれるままに話していると、広間には穏やかな空気が流れていた。


 実際には北奥州の仕置の腹案は既に提示されていて、裏で大人たちの折衝が行われているのだろう。折り合わなければ仲裁はもちろんするが、現地の状況に明るい神後宗治らに任せるのが一番だと思われた。


 仕置案の大枠は、次のようなものとなる。 




 北畠については、これまでの統治領域だった浪岡から下北半島の内側の陸奥湾周辺域だけでなく、太平洋側にも領域を延ばして八戸まで


 大浦は南方に版図を広げ、安東領のうちの檜山安東が拠点としていた能代湊の辺りまでと、内陸の田子方面を


 湊安東は、旧安東領のうち、檜山安東の本拠地だった能代辺りが欠けた地域を


 新田は共同統治状態ながらも主導している十三湊に加えて、三戸周辺を確保して前衛を担当


 


 できれば、湊安東には両安東の旧領を確保したかったところだが、大浦氏に湊を確保したいのと、旧檜山系の旧本拠を湊安東から切り離した方が安定するとの考えからのようだった。


 一方で、湊安東の東に位置する戸沢は、当主が病弱ということだが、家臣団が一致して小野寺と南部と向き合うつもりらしく、そのままとしておいた。自立心の高い勢力を、無理に従える必要はない。


 北畠、大浦、湊安東には、どこか同志的な絆が生じつつある。ただ、今川と北条ですら……、元々が今川に嫁いだ姉を助けるために、都から下向した伊勢新九郎盛時が興した後北条でも、代を経ると今川と敵対する場面も生じる関係性となってしまったわけで、世代を経るとどうなるかわからない。


 その展開を防ぐために互いに姻戚関係を結ぼうとする訳だが、ある家に養子に入った途端、その家を代表して実家の親兄弟と相争うのが当然とされているのが、この戦国時代である。婚姻が平和を招くとは限らないのが実情だった。


 新田の十三湊、湊安東の土崎湊、大浦の能代湊、北畠の野辺地湊、八戸湊とで水運を盛んにして、共存共栄の経済圏を作り、豊かになれば戦う理由もなくなるだろうか。ただ、腹っぺらしだけが戦さの理由ではないのもまた確かなのだった。




 翌日、蠣崎季広、慶広親子がやってきた。抜け目がなさそうで、同時に人好きもする当主の蠣崎季広と、どこかぽやんとしたところがありながらも理知的な雰囲気の慶広とは、中々にいい取り合わせである。


 平伏しようとするのを、どうにか床几で対座する形に持ち込んだものの、臣従を申し出られてしまった。同席する家臣二人に視線を向けると、揃って苦笑モードとなっていた。


「いいのか? これまでの交誼もあるし、ひとまずの従属状態でもよいんだが」


「お許しいただけるのなら、蝦夷地での働き以外に能がない我らですので、引き続き蝦夷地で活動させていただければ」


「そんなこともないと思うがな。……なら、今までの通り、蝦夷地の代官的な立場で独立して動いてくれるか。できれば、樺太や千島、その先のアイヌとも交流を持ちたい。具体的には、支配するのではなく、通商を行って仲良くしていきたい。どうかな?」


「千島の先……ですか?」


 話の流れを受けて、用土重連が粘土箱を持ってきてくれた。既に内政方向で力量を発揮しているのだが、こうして顔を合わせると近習的な関係性が復活してしまうから不思議である。


「正確でなくて悪いが。これが日本……、日の本だ。蝦夷地がここで、樺太はこんな感じだよな。その先は、大陸があって、明とつながるアムール川がある。で、北にはロシアという難敵が……、って、それはまだいいか。東は千島がこう連なっていて、ここに大陸と繋がる陸地がある。そこから東に向かうと、また別の大陸があってだな。この先には、だいぶ遠くまで強大な勢力はないが、人はそこそこに住んでいるはずだ。彼らを虐げるのではなく、共に生きるのを目指したい。そのためにも、まずは蝦夷地のアイヌと仲良くしたい」


「わくわくしますな」


「そう感じてくれるなら、新田をいいように使ってくれ」


「ははっ」


 平伏しようとする蠣崎季広を、息子の慶広と二人がかりで起き上がらせる。慶広は、厩橋に幾度か来ているので、新田家中の雰囲気を把握している。父親の行動に、やや気恥ずかしそうでもあった。


 まあ、本来ならそちらが普通なんだろうが。




 蠣崎親子との対話に同席していたうちの神後宗治の方は、もう一人の同席者にやや険のある視線を残して去っていった。首をすくめて立ち上がったのは、本多正信である。


「だいぶ警戒されているようですな」


「ああ。理由はわかっているんだろう?」


「宗治殿は、かつて寺社討滅の先頭に立ったそうですな。一向一揆に参加した経験のあるそれがしを胡散臭くお感じのようで」


「まあ……、そりゃあなあ」


「お、殿も同様のようですな。一向一揆は、あれはあれでなかなか楽しい宴ですのに」


「念仏を唱えれば極楽に行けると信じ込ませた、死を恐れぬ信徒達を利用した国盗りがかぁ?」


「現世で楽土を作り、それを守るためなら死ぬ意味があると思い込ませた常備兵で東国を制覇せんとされている殿になら、わかっていただけるかと思っておりましたが」


 にたりと笑う表情の不敵さは、好感が持てる。そして、相手を見て踏み込み方を変えてくるところも。


「まあ、この北の地に浄土真宗……というより、それを捻じ曲げた本願寺の教えは伝来していないが、楽土づくりならば同じことだ。協力してもらおうか」


「承知致しました。一向宗の一の字もほのめかさず務めましょうぞ」


「その方が無難だな。宗治は俺以上に容赦がないからな」


 口許を歪めた新任軍師は、足をかすかに引きずりながら去っていった。まずは能力を示してもらうとしよう。




 出立の準備をしていると、日本海方面の警護から戻ってきた水軍から、気になる情報がもたらされた。


 越後沖で海賊働きが多発して、日本海が荒れる前にと南下していた沿海商船が何隻か被害に遭ったそうなのだ。


「佐渡の本間氏の仕業だというのは間違いないのか」


「襲われかけた商人が一様に、佐渡に寄らない商船には罰を与えると言われたと申しております。間違いないかと」


 まあ、誰かが本間氏を罠にかけるために仕組んだとは正直考えづらい。越後の上杉は国策として海運の振興を掲げているわけだし。


「これは名分になるのかな」


「はっ?」


 不思議顔で応じてくる警護艦隊の司令官に、俺は首を振った。


「独り言だ」


 今回の件を、佐渡を奪取する理由付けにしようというあたり、俺も人が悪いのだろう。まあ、今に始まったことではないが。


 


 奥州訪問によって、もろもろの調整を済ませることができた。実際は、神後宗治に任せて問題なさそうなのだが、連携勢力の一門衆や家臣らのことまで考えれば、来た意味はありそうだ。


 主将格の人材としていい意味で誤算だったのがこの宗治である。ある程度はステータスも伸びているのだが、それ以上の働きぶりなのは、人をまとめる能力に秀でているからだろうか。ステータスお化けで性格もいい青梅将高と、史実でも実績のある明智光秀と並ぶ三本目の柱になりつつある。北奥州は寄り合い所帯で決して簡単な舵取りではないはずなのだが、安定感は光っていた。


 ただ、本人は水軍志望を変えておらず、事実上の夫婦となっている勝浦水軍の亜弓姐さんとも、密に連携しているようだ。結果として、通商船団は鎧島で、水軍の総本山は十三湊の十三湖、という棲み分けになりつつあった。


 本多正信の件も、見極めろということですなとあっさりと見抜かれてしまった。本来なら貴重な謀将タイプが北奥州に偏る状態となったため、感じるところがあったのだろう。


 ともあれ、久しぶりの宗治との対話は、知らぬ間に生じていたずれを埋める意味でも有意義だった。やはり、油断せずに家臣団との対話を行うべきなのだろう。上杉を筆頭に、佐野や千葉、勝浦水軍といった外部勢力もとも同様と考えるべきか。


 そんなことを考えながら、新田の船の間近まで見送りに来てくれた倫を手招きで呼び寄せる。


「両親になにか言伝てはあるかい?」


 一瞬だけ、遥か遠くを見る目になった。そして、すぐに笑みが戻ってくる。


「お母様に、倫は幸せですとお伝えください」


「光秀にはいいのか?」


「父様に同じことを伝えると、それはそれで複雑な想いを抱かれそうで……。元気にしていたと仰っていただければ」


 この娘は、北畠で大事にされているのだろう。それは、新田との関係性からだけでなく、倫が自身で招き寄せた状況に思える。この縁を、どうにかして長く続ける方策を考えるとしよう。


 

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