【永禄九年(1566年)八月】その三


【永禄九年(1566年)八月】承前


 翌日、近衛邸へと赴くことになった。


 帯刀はしていないにしても、次室に喪主である関白殿とこちらからの光秀だけが控えるだけで対面する羽目になったのは驚きだった。ここは無難に凌ぐことを目指すしかない。


 この時代の喪服は、白が中心となる。ただ、元時代の感覚が抜けきらない身としてはやや落ちつかないので、光秀と共に薄墨色の羽織を確保している。対して、喪主はより濃い色の衣服で身を包んでいた。


 喪服については、どうやら武家や庶民は白、公家は黒とまでは行かずとも着色されるのが主流となりつつあるらしい。光秀曰く、公家の筆頭的存在である近衛家への弔問だから、薄墨はあり、とのことだったが、朝廷への心理的な距離の近さを演出しようとの意があったのかもしれない。光秀の裏の思惑が見え隠れする感じは好ましいのだが、意識合わせはこまめにしていくべきだろう。


 供された白湯をすすっていると、部屋に入ってきた人物がいた。黒衣に身を包んだその人物は、どうやら主上であるようだった。平伏しようとすると、死者の前では同じ立場だからと止められた。ただ、さすがに対座はできず、拳を床について目線を落としていると、意外と堅苦しい人柄なのじゃなと笑みを漏らされた。どんな傍若無人ぶりを想定されていたのだろうか。


 待ちの姿勢でいると、大嘗祭への資金供出の件、それに蜜柑とのかつての対面についてもお言葉があった。


 かしこまって拝聴していたところ、しばらくの沈黙の後で、言葉が続けられた。


「お主を、従二位、権大納言、鎮守府将軍に任じるつもりであった」


「……この身を、北畠顕家卿になぞらえまするか」


「うむ。もちろん、義貞公でもよいのじゃが、顕家卿のように朝廷の剣になってくれたら心強いと思った」


 南北朝時代の北畠顕家は、若年の公家ながらも無類の強さを誇り、統治を任された奥州勢を引き連れて、後醍醐天皇と袂を分かった尊氏らの討伐に二度にわたって向かった人物である。最後には新田義貞との連携がうまくいかなかったのもあって敗死する形となったが、謀事に長けた印象の強い父親の北畠親房とは対極的な、清冽なイメージを持つ存在だった。


 とてもじゃないが、迂闊にあやかりたいとか言える相手ではない。


「朝廷秩序の枠外にはおりますが、安寧な世を作りたいとの想いは共有させていただいております」


「ふむ……。関東の戦さは収まったようじゃな」


「はっ。今のところ、落ちついております。そのせいか、よそから盗賊が入ってきているようで、追捕に苦労している面もございますが」


「蜜柑が先頭に立って討伐しているのであろう? あの者の快活な動きが目に浮かぶようじゃ」


 我が妻は、いったいどんな印象をこの京で振りまいたのであろうか。


 その流れの中で、褒美を取らせるが、希望はあるかとの問いがあった。事実関係についての問答は応じてよいとの話だったが、この展開は聞いていない。次室に視線をやったが、特に動きはなかったので、願い出てみることにした。


「お言葉に甘えまして、一点お願いをば。南蛮商人へ和人を奴隷として売り渡すことを禁ずる命令を出していただけないでしょうか」


「……和人が、南蛮に売られているというのか?」


 これまでの口調と明らかに異なっていたのは、よほど意外だったのだろうか。


「マカオで調査した者によると、西国……、特に九州の者が多いようです。できれば、関わった商人、南蛮船は討滅を許していただければ」


「よかろう。しかし、この国の者が売られているとは……」


 主上の声はやや震えている。奴隷は……、元時代の観念からすると絶対悪とされがちだが、実際にはありふれた事象である。この国にも古来から奴婢という存在はあったし、そもそもが戦乱の世なのだ。戦さに絡んだ虐殺や蹂躙もあるし、日常が荒んでいる状態では、力が総てだと考える相対的な強者が弱者を踏み躙るのは自然な展開である。人の命が軽やかな時代で、ひとまずの生存が保証される奴隷化だけを罪悪視する意味は、本来ならあまりないだろう。


 ただ……、それでもやはり、穢れ概念と絡んでくる中で、南蛮人が和人を奴隷として国外に連れ去るとなれば、重みが違う面は出てくる。実際に売っている者たちは、高値を出してくれる買い手がいるから、としか考えていない可能性もあるが。


 いずれにしても、戦時捕虜や人狩りの獲物を奴隷化する勢力だけでなく、奴隷交易の従事者を討滅する名分を得られたのは大きい。そして、これは人権が確立されていくに従って、我が新田の先進性を象徴する徴ともなるかもしれない。人は誰も、自分を取り巻く常識で過去の事象を断罪する。過去に自分の価値観と近しい存在を見い出せば、実力以上の評価を与えるのも自然なこととなる。


 しばらく黙考していた主上が、また視線をこちらに向けてきた。俺の方は、俯いた姿勢を維持している。


「……そなたには関東だけでなく、洛中にも安寧をもたらしてほしいものだが」


「不可侵の約定を結んでいる武田、上杉に畿内への行く手を塞がれております。双方に、上洛を促していただくというのもありかと」


「あの者達は、むしろ幕府との繋がりが強いのではないかな」


「新たな将軍宣下も間近と聞いております。我らとしては、その邪魔はしないようにしたいものです」


「ふむ。……足利家と言えば、古河公方はどうなったのかの?」


「足利藤氏殿は行方知れずです。義氏殿でしたら、奥州に入って、反攻の機会を窺っているようです」


「新田家は、奥州では、北畠と手を結んでおると聞くが」


「奥州の最北部に通商向けの根拠地を確保するだけのつもりだったのですが、いつの間にかそのようなことに。北畠顕村殿と、それに大浦氏と共に奮闘しております」


 なんだか普通の会話になってしまっているが、よいのだろうか。


「官位を固辞しておるのだな」


「尊皇の志は我が胸にございますが、足利将軍が空位で、公卿の方々の中に武家が入り乱れている状況で、割って入るとややこしくなりましょう」


「確かに、お主には別の枠組みが必要かもしれぬ」


 そういうつもりでもなかったのだけれど。


 主上が退席された後に、少し間を置いて席を立つと、関白殿がダッシュしてきて説教された。どうやら、褒美は具体的に何かを求めたりはせず、お任せすると応じるのが正解だったらしい。なんだよう、言っておいてくれよう。


 別室でなにごとかの話が行われた末に、俺のもとに勅定がもたらされた。奥州鎮撫と言われても……。そして、武家的には幕府の頭越し、という側面もありそうだ。幕府に明確に所属しているわけではないとは言っても。


 ただ、無位無官でいさせてもらえるからには、受け容れるべきなのだろう。お墨付きと首に縄のどちらの意味合いが強いかは、今後の展開次第ともなりそうだった。


 また、この場合の奥州には羽州……、出羽も入るから、との念押しもなされ、その旨が記された関白殿下の添え状までが発行された。都からすれば同じようなものとの認識なのかもしれない。


 奥州……、十三湊に手を出したのは、あくまでも北方通商路の確保が目的で、制圧しようと考えていたわけではない。南部氏との戦いと、関東から逃れたいわゆる自称古河公方勢との絡みで、深入りする可能性は出ていたが、なにやら大義名分を渡されてしまった。


 こうなった以上は、奥羽の諸侯に止戦を求めていくしかないだろうか。難儀なことではある。




 その晩は近衛邸に厄介になり、夜半過ぎまで関白殿と酒の席を共にする流れとなった。いとこに当たる亡き先代将軍の足利義輝と徹夜で酒を酌み交わすこともあったとされる人物だが、父親の亡骸の傍であるためか、派手な酒とはならなかった。俺の方は嗜む程度として、あとは緑茶にさせてもらったが。


 翌日の京は快晴で、なかなかの暑さだった。こうなると、小氷河期という説が信じがたくなるが、一日の暑さ寒さで気候を判断するべきではなかろう。全体を通して見ると……、やっぱり判断はつきそうになかった。住環境も違うし、服も異なっているので仕方ないだろうけれど。


 この日の午前には、堺の料理処組と対面することができた。耕三と小桃は不在で、弟子的な者達だっただけに話が通じづらい場面もあったが、それでも堺や瀬戸内経由での南蛮交易の話は刺激的なものだった。


 関心事のひとつとして、西国での本来の歴史の流れから大きく外れた動きの有無が挙げられるのだが、これは正直なところ、この時代生まれの者には判別が難しそうだ。


 料理処は、耕三に任せた経緯もあって、忍者の立ち寄り場所として使っているくらいで、商売にも手は出していない。料理処としてなら関わりも限定的だが、商家としてがっつり当地の社会に組み込まれるのは避けたいとの感覚は否めないところとなる。


 とはいえ、堺での商いの概況は大いに今後の参考になりそうだ。現状で派手なのは、やはり瀬戸内航路で長崎と結んでの南蛮物交易となるという。


 堺を含めた各地の商家が参加する中で、三大商家を除いた大手的な存在は魚屋(ととや)と古麓屋(ころくや)になるそうだ。それぞれの出自を聞いたところ、すぐには判明しなかったが、供の者や忍者の情報と総合したところ、前者の魚屋は堺に拠点を置いており、主の名は田中与四郎。後者の古麓屋は肥後の商家らしい。


 田中与四郎については、かつての蜜柑との上洛行の際に接触があったのを疋田文五郎が覚えていた。新田風の緑茶に関心を示していたとの話から、元世界での記憶と繋がったのだが、どうやら後の千宗易……、千利休であるようだ。


 茶人として茶道の一類型を完成させるはずのこの人物も、この時期には、三好の御用商人だったはずだ。現地勢がその情報を得ていないからには、軸足を瀬戸内に置いているのだろうか。そうだとしても、三好の頽勢を察して足を抜き気味なのか、史実でも元々がその程度だったのかは不明である。


 肥後の商家であるという古麓屋も含めてだが、元時代での瀬戸内航路で活躍していた商家がどこであるかは把握できておらず、差異が生じていてもわからないのが正直なところとなる。


 千利休は晩年の暗い茶で知られているが、この時代には茶器を三好に大枚で売り払ったとの話が残るなど、感じは違っていそうである。史実では、無一文に近い状態から魚卸を営んでいた廃業状態の生家を立て直したものの、御用商人として食い込んでいた三好が滅びて、次に与した信長も横死する展開から、秀吉らに茶道でもてはやされる状態になったわけで、世の無常を痛切に感じても無理はない。改変されたこの世界で、彼はどのような茶を打ち立てるのだろうか。


 一方、大名家の勢力図という観点からは、元時代での史実との大きな差異は見つけられなかった。西国の総ての勢力変遷を把握しているわけではないが、それにしても違和感を覚える部分が見当たらない。


 東国や中央の動きもそうだが、バタフライ効果だのなんだのと言い出さずとも、本来なら乱数……、いや、偶然で決まる事柄が多そうであるからには、結果がガラッと変容してもよさそうなのだが、元の歴史に近づこうとする流れもあるように思える。


 ゲームとしての戦国統一シリーズでの観戦モードでも、序盤はともかく中盤以降は史実とかけ離れた展開になるケースの方が多い。ゲーム要素が盛り込まれている節があるとはいえ、より複雑なはずの現実世界なら、多くの要素が関わることで、結果はそのたびに変わりそうに思える。そう考えると……、やはり、歴史の復元力とでも称すべき作用が存在するのだろうか。


 とはいえ、史実に近い状態だと困るわけでもない。こうして歴史との差を探っているのは、陸遜と俺以外のこの世界に来ているかもしれないオンラインゲーム大会参加者の二人が、何らかの影響力を振るっているかどうかを把握したいからだった。


 陸遜は、織田家を目指せば四人が合流できると踏んでいたようだが、そもそもソントウと双樹が男性なのか女性なのか、またどんな人格なのかも把握できていない。二人とも、戦国SLGの腕こそ確かではあるが、コミュ力、生活力や個体戦闘力がどんなものかも不明である。あまり想像したくはないが、この世界に出現して早々に退場した可能性すらある。俺にしても、澪が助けてくれなければ、早々に熊の餌食になっていただろうし。


 ともあれ、継続して情報収集をしていくべきだろう。堺の面々にはアンテナを高くしてもらいつつ、忍者を厚めに配置する手配を整えた。


 


 さて、朝廷サイドとのあいさつを終えた以上は、長居は無用である。なにしろ、ここは他の大名家……、畿内の覇者である三好家の勢力圏である。


 付き従っている家臣らに早期帰還の要望を出したところで、なにやら様子が慌ただしくなってきた。なにごとかと、通りかかった今回の仕切り役に声をかけてみる。


「よう光秀。色々と画策していたみたいだけど、最後になにか仕掛けているのか?」


「なにも企んでなどおりませぬが、どうも三好の動きが怪しいらしいのです」


「捕縛に来るって感じか? 敵対する気はないんだがなあ」


「主上との接触やら、密勅降下やらの噂が漏れ聞こえたのかもしれませんな」


「ふむ……。一応、次の将軍を擁立しようとしているわけだから、幕府を中心とした武士的な秩序を乱す存在は目障りなのかな」


 史実通りなら、この後の三好氏は織田信長に押されて落ち目になるわけだが、今回はどうだろうか。古河公方とされていた足利義氏を放逐したためか、将軍後継候補のどちらからも新田には働きかけはない。いや、実際には家臣への打診的なものは届いているようなのだが、様子見をしている感じか。


 どちらの陣営からでも、普通にあいさつをされれば、友好的に返礼するつもりだったのだが、まあ、そこは相手次第と考えてよいだろう。


「囲んでしまって、有利に交渉しようということかもしれませぬ」


「義輝の暗殺も、強訴しようとして勢い余っただけだとの見方もあるみたいだな。対応は考えないと」


「ええ、逃げましょう」


「だな」


 そこで、光秀が声を低めた。


「実は、伊賀と甲賀が人数を出してくれています」


「ん? 依頼していたのか?」


「いや、それが、伊賀者の藤林文泰、甲賀者の高峰数信、多岐光茂らがそれぞれ故郷に働きかけたようでして」


「ほほう」


「さらには、長老組からも、脅しめいた文が届いたらしく……」


「蝶四郎と鳩蔵か」


 そう言えば、伊賀の蝶四郎は百地三太夫の父親らしいとの話もあった。


「では、従者らは別に逃しますので、殿は剣豪組と先行されてくだされ」


「承知した。甚助、頼むぞ」


「はっ」


 この口数の少ない居合道の創設者は、実に頼りになる警護役である。ただ、剣豪に張り付いてもらっていると、本人の武芸者としての活動ができないのではないかと心配になってしまう。


 もちろん、待機中などに修業はしているし、門人的存在に稽古は付けているようなのだが、道場を開かなくてよいものなのか。


 ただ、まあ、もうちょっと年齢を重ねてから考えるべき話なのかもしれない。けれど、警護役として居合の術を磨いている林崎甚助はともかく、軍師として活動している諸岡一羽などは、道場を開いても客層がだいぶ変わってきてしまいそうでもあった。




 関白殿下が囮的な動きで洛中を散策している間に、俺を含めた一行は無事に京を脱出した。


 脱出経路としては、俺は往路と同じく近江から北の海路を目指し、他に従者を幾つかの集団に分けて、堺方面、伊賀方面、甲賀方面、大和方面に向かわせたらしい。光秀からは、どれかをわざと捕らえさせたりはせず、総てを全力で逃がすとの言質は取っている。


 疑念をぶつけられた光秀は、殿を騙すのは危急の時だけです、と平然と言ってのけた。やはりなかなかの人物である。


 街道を急ぐ際に、同じ方向に動く人々の多くが忍者だったと知ったときには驚いた。伊賀、甲賀とも新田に移住している一族からの要請を受けて、依頼抜きで護衛を買って出てくれているとの話だったが、この規模だと一族総出の状態かもしれない。この恩はなにかで返さなくては。


 強行軍の中、道中の坂本で一息入れることになった。比叡山延暦寺の門前町として栄えている淡海の湖畔にある町となる。この段階ではもちろん、信長による延暦寺の焼き討ちは行われていない。


 徒党を組んだ僧兵が我が物顔で歩いている状態は、関東ではなかなかお目にかかれない。栄えている畿内では得られるものが多く、戦乱からそれを守るために力を得たというところだろうか。


 現状は延暦寺の他では、大和の興福寺、春日大社に、一向一揆を指揮する本願寺などが、大きな力を保持している。少し前には、日蓮宗の法華一揆も勢威を振るったらしい。


 自前の武力を保持しているところもあれば、豪族衆を傘下に従えている場合もあり、態様はさまざまとなる。そう考えれば、関東の鹿島と香取の両神宮も、小規模ながら同様な動きだったとも言える。


 力を得れば使いたくなるのが人情で、史実でも現実でも武装寺社はなかなかの傍若無人ぶりだった。弓巫女を意図的に悪用している俺が言うのもなんだが、神輿を押し立てて攻撃するのをためらわせ、要求を押し通すというのは、なかなかに悪質である。


 高利貸しとしての活動も活発で、かつて出された室町幕府による利率の制限など忘れ去られているようだ。追い込まれて自らや家族の身売りを余儀なくされ、奴隷となる農民も多いし、困窮公卿が一家離散する例も目立ってきているという。


 借金して破滅するのは自業自得だという考え方もあろうが……、借金が一年で倍になり、返せなければ複利的な借り換え約定で二年後には四倍になるという状況が正しいだろうか。もちろん、戦国の世なだけに取りはぐれもあり得るわけで、利率が高めになりがちなのはわからないでもないが、限度というものがある。


 領主による統治がほぼ存在しない状態では、野盗がやりたい放題に暴れられるわけで、高利貸しもそれと同じだとも言える。室町幕府は、多少の利率制限は設けたものの、むしろ高利貸しから税的に金を集め、お墨付きを与えた面もある。寺社については、宗教的な威圧も兼ね備えるから、さらに微妙な話となるのだった。


 世俗勢力としての振る舞いも、高利貸しとしての動きからも、関東に同様の寺社が存在していたら、早々に討滅対象にしていただろう。史実の織田信長は、我慢した方だとも思える。


 我が新田の畿内への進出は……。単純に近畿に勢力を伸ばすだけなら、軍神殿を説き伏せて、共に西進する手も考えられる。将軍位がどうなるかの話にもよるが、現状であれば朝倉と組んで義昭を擁立する選択肢もある。


 ただ、そうして近畿に飛び地的な所領を得たところで、中央政界の論理に巻き込まれるだけとも言える。


 そして、京で新田流を貫き通したら……、軍神殿も朝廷も、俺に対する態度は一変しかねない。


 総てを覆すだけの覚悟がないままでは、迂闊に足を踏み入れていい土地ではないのだろう。まずは、奥州のことを考えるのがよさそうだった。




 坂本を出立する支度を整えて、船着き場に向かう。俺は、淡海の水面を眺めながら、ふと呟いた。


「勅命による鎮撫って言っても、奥州勢からすれば大きなお世話なんだろうなあ」


 関東制圧については、生き残ることを目指してただ走ってきたために、相手の立場を考えたことなどほぼなかった。あまり意識はしていなかったが、息切れしてしまっているのだろうか。


 隣で同じく水面にきらめく光に目線を向けていた光秀が、ゆったりとした口調で応じてきた。


「関東では、人が穏やかに過ごせるようになりました。その平和を広げる意味はありましょう」


 伊達や蘆名が勢力を持つ地域が平和ならばともかく、現状は争乱が続いている。確かに、意義はあるのだろう。


「俺にできるのかな」


「殿以外のどなたにできるでしょうか」


「そういう物言いはやめてくれ。俺は、ただ神隠し前の知識を利用しているだけの、ただの人間だ。盲信されては困る」


「はい、心します。……実は、かつて殿が今川の海岸部を得て、西への道を確保しようとされていたとき、お止めするべきではないかと思いながらも、殿が未来を見通しておられるのかもと考え、躊躇してしまいました」


「あの西進からの流れで、多くの者を死なせた。あそこで滅びなかったのは、たまたまでしかない」


 関東での諸侯の反新田での一斉蜂起は、その後の調査で安照寺……、高利貸しを営んでいて、指示に従わなかったために討滅した寺院の関係者が、新田の西進方針を見極めた上で、時期だけを指定する形で一斉挙兵を促したと判明している。


 互いの抗争であるように偽装するようにとの指示もあったようで、我が新田の忍びもまったく察知できなかった。自らは謀略を駆使しつつも、相手方に使われるのには慣れていなかった、との面がある。それ以来の新田忍びの動きは、三日月主導で一変している。


「はい。あれから、将高殿や道真殿と議論を重ね、臣下としてどうあるべきかを改めて考えました。怠慢でありました」


「いや、よくやってくれている」


「殿も……、より慎重になられたと存じます」


 俺は変わったのだろうか。単に史実の通じない局面が続いたから、手探りになっていただけで、本質は変わっていないのかもしれない。蜜柑などにこんな話をしたら、護邦は護邦じゃ、と笑い飛ばされそうだが。


「……ただ、裏で手を回すのは勘弁してほしいんだがな」


「なるべく控えるとしましょう」


 この光秀は、やはり頼るべき存在なのだろう。たまにイラッとするが、それもまた必要なのだと思う。


 史実でのこの人物は、なにを思って本能寺で主君を討ったのだろうか。信長を殺したところで、天下が取れたはずもない。その後のあがきは、なにかを隠すためだったのか。


 ただ、目の前にいる光秀にどう訊いても、その答えが得られようはずもない。


 そう、史実は既に大きく塗り替えられている。もう、完全に復元することはありえないほどに。


 この世界で、俺は自分の道を歩いて行こう。多くの信頼する人々と一緒に。


「北へ……。そして、軍神殿とも相談するとしよう」


 奥州と所領が隣接する上杉とは、色々と調整が必要になりそうだ。


「まずは、無事に厩橋まで戻りましょう」


「ああ。京は刺激的だったが、やはり厩橋が恋しいな」


 目線を上げた俺の視界には、蒼さが濃い東の空が収まっていた。


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