【永禄九年(1566年)八月】その一
【永禄九年(1566年)八月】
朝廷からの呼び出しを無視するわけにはいかない。一方で、既存の序列に当てはめられて、官位の高さで周囲の大名と互いの価値を測り合うような状況に陥るのも避けたい。
官位を謝絶しつつ、どうにか関係性を結べないかとの話は、さすがに簡単ではなかった。そんな中で、訃報が事態を動かしたのだった。
亡くなった人物とは、関白殿下の父親にして、近衛家の前当主となる近衛稙家だった。足利義輝の前の将軍である足利義晴に妹が嫁いだのを契機に、公家筆頭たる近衛家と足利将軍家との距離を一気に詰めた張本人となる。
義輝、義昭の父親である足利義晴もまた、衰亡しつつある室町幕府の十二代将軍として苦労を兼ねた人物だったそうだ。京から朽木に落ち延びながらも、堺を根拠地としたために堺公方とまで呼ばれた足利義維と対立したり、細川と三好の争いの中で坂本に拠点を移したりと、むしろ京で過ごした時期が少なかったとされている。義兄にあたる近衛稙家は、この将軍と行動を共にする場面が多く、それもあって近衛の家督は早期に前久に譲られたのだろう。
義晴の息子で、稙家にとっては甥である義輝……、当時の義藤に娘を嫁がせ、さらに縁が強化される形となった。この段階で、それまで緊密な間柄だった足利将軍家と日野家の関係は断たれたと見てよいのだろう。十三代将軍となる足利義藤、のちの義輝については、足利義晴と共に後見するような状態でもあったらしい。
その近衛稙家が死去して程なく、喪主である息子殿から弔問の招きが届いたのである。生前に面識がなく、半ば隠居状態だった人物が亡くなったからと、俺を京に呼び出すような関白殿ではない。弔問外交への招待なのだろう。
宮廷の中枢からの働きかけだと考えると、今上に近い人物と接触できるのだろうか。本来なら、関白当人こそ適任なのだろうが、関東下向の経緯から、中立性に疑問符がついたとしても無理のないところではある。
いずれにしても、官位の謝絶についての念押しの使者を送ってから、俺は京へと向かう運びとなった。留守中の体制を固め、北方への援軍も組み上げてからとはなったが、それでも四十九日までには間に合いそうではある。死去からそこまでの流れは、元時代と大差ないようだ。
同行者は、林崎甚助と諸岡一羽、疋田文五郎の剣豪勢に、明智光秀と里見勝広の周旋対応組、それに忍者の精鋭だった。
三国峠から越後へ抜けると、軍神殿は出兵中で留守だったので、素通りさせてもらった。そこから、呼び寄せていた奥州船団所属の昴九式螺旋改良型で敦賀に入り、陸路で琵琶湖……、いや、淡海へと向かう。
史実では、明治期にこの道筋……、琵琶湖と日本海の間に水路を通して、京と日本海を水運的につなげようという計画があったようだ。実現しなかったのは、鉄道輸送が活発化したためと、東京への遷都が行われたためだろうか。簡単な工事ではないだろうが、畿内を安定化させて、京が平穏を取り戻した状態でならば、意義は大きいかもしれない。
まあ、現状では新田家を畿内に進出させる決心はついていないのだが。
日本海から淡海へ向けて南下する道は、越前をかすめるような形になる。その辺りには、新田義貞公の終焉の地とされる藤島があるはずだが、特に感慨はない。そんなことを考えながら歩みを進めていると、立ち止まった疋田文五郎が西方を見やっていた。
「残してきた人物のことを考えているのか?」
特に誰と明言はしていないのだが、相手は正しく言いたいことを理解したようで、やや恥ずかしげな反応を返してきた。
「いえ、栞殿のことでは……、富田流について考えていました」
「ああ、越前が本拠なんだよな。蜜柑らと上京した時に、因縁があったんだったか」
「そうなのです。どちらかと言えば、北畠具教殿とのいざこざなので、流派同士の因縁とはしたくないのですが」
当時の新田は、ぽっと出の弱小勢力だったわけなので、軽んじられたのは無理もない話ではある。まあ、聞く限りでは、北畠具教の対応も大人げなかったのだろうが、神後宗治の対応もな……。
「宗治は、特に仲間が軽んじられたときに、きつくなりすぎるきらいがあります。剣術家の因縁は厄介なものになりますのでな」
「北畠家ともなあ……。浪岡北畠とは盟友と言ってよい状態だが」
南北朝時代に活躍した北畠親房、顕家の親子のうち、伊勢は北畠親房の別の息子からの流れで、浪岡は顕家の子孫だと伝えられている。二人の生き様はだいぶ違っていたわけだが、伊勢と浪岡の北畠の在りようも大きく異なる。
史実では、どちらも戦国末期に滅んだわけだが、さて、この世界ではどうなるだろう。浪岡北畠の力にはなりたいところではある。
「現状を踏まえると、文五郎としては、富田流と交流すべきだと思うのか?」
「視力を失った富田勢源殿を、師匠か蜜柑が見舞うというのは、ありかもしれませぬ」
蜜柑を送り込むのはきついので、剣聖殿の派遣が採りうる選択肢となろうか。
内政系の臣下が確保できず、上泉秀綱に外交交渉を任せきりだったのは、一年目の冬頃のこととなる。その後も、塚原卜伝と手分けする形で奥州各勢力へ向かってもらったこともあるし、朝倉へのあいさつを兼ねてというのはありなのかもしれない。戻ったら相談してみるとしよう。
淡海から水路で向かった京の荒れっぷりは、聞きしに勝るひどいものだった。応仁の乱以降の戦乱による被害の蓄積が激しいにしても、さすがに荒れ過ぎなのではないだろうか。ここ最近、厩橋がすっかりにぎやかになってきているのもあって、よりひどく感じられているのかもしれない。
ただ、一方で被害の少ない地域もあるようで、寺社などはなかなかに華美な施設を擁している。この時代の寺社は寺領からの収入もあれば、祠堂銭で荒稼ぎもしているのだろう。高利貸しの発展度合いでは、この上方は関東などとはまったく比べ物にならなかったはずだ。
一方で、信徒の救済に力を注いでいる寺社もあるようだ。関東でも、厩橋に勧請した鹿島神社や香取神社と、討滅した安照寺とでは、同じ寺社でもまったく在りようは違っていたわけだし、どこでも同様なのだろう。
そうそう、この時代が神仏習合状態だったとは知識では知っていたけれど、京においては聞きしに勝る融合状態だった。渾然一体としている寺社もあれば、付け足し的に別系統が組み込まれている場合もあるにしても、話を聞く限りでは、大きな寺社になればなるほど、溶け合う度合いが高そうに思える。
俺らの宿舎として用意されたのは、近衛前久の弟で、関東にも来ていた道澄が神職を務める聖護院だった。修験道の元締めのような寺社で、不動明王をご本尊とするだけにやや武骨な気配が漂い、それもあっての手配だったのかもしれない。そして、ちょっとだけ期待した聖護院八つ橋は、影も形もなかった。残念である。
聖護院入りしてくつろいでいると、喪に服しているはずなのにあっさりとやってきた関白殿下は、やや苦笑を浮かべていた。
「官位はどうしても受けたくないのでおじゃるか」
「低ければ侮られて、高ければ目の敵にされるだろうからな。ここまで無位無官で来たんだから、そのままでいいさ」
「朝廷の秩序に取り込まれたくはないということか」
「主上を尊ぶつもりはある。だが、公家と武家が混在して組織のていを成していない中に巻き込まれるのは避けたいところだ」
「武家への官位、官職は名誉職としてのものだとはわかっておじゃろうに。……まあ、だからこそ、公卿扱いで取り込もうとしておったのじゃが」
「やっぱりか。回避できてよかった」
「従二位を用意しておった」
「それは……、固辞してよかった。ひどくややこしくなるところだった」
「帝の剣となってくれたら、心強かったのでおじゃるがな」
口惜しそうではあるが、さほど真剣でもなさそうにも見える。
「それにしても、従二位はないだろう。昨今の足利将軍より高位じゃないか」
「大内義隆や阿蘇惟豊が従二位に任官された先例があるので、それに倣ったまででおじゃる」
いや、しかし、豪族に婿入りしたとはいえ、一般人の出なわけだしなあ。
「武家は、結構な下位から徐々に上がっていくもんなんじゃないのか」
「古河公方を放逐して関東の束ねとなった護邦殿に、従五位下やら左京大夫なんかを与えるわけにもいかない、という話になっていたでおじゃるよ」
「公方を放逐したとは人聞きの悪い。古河公方は足利藤氏殿で、行方不明になっておられるだけだ」
「なるほどのお。関東管領が輝虎殿なのだから、古河公方は義氏殿ではなく、藤氏殿とするのが確かに筋でおじゃるな」
「なんにしても、官位は改めてお断りする。それはよいよな?」
「宮中に反発する声はあろうが、主上は受け容れておられる」
「じゃあ、京まで来たけど用件は終わりかな?」
「そんなわけがないでおじゃろうに。……明日の晩、主上が拙宅にお運びになる。その際に言葉を交わす機会が設けられようぞ」
やはり、弔問外交ということになりそうだ。単に近衛の前当主の弔いに招かれたとは思っていなかったが、帝と直接対面することになろうとは。だれか、朝廷の重鎮的な存在とのやりとりまでの可能性が高いと見ていたのだが。
「拝謁したら、無理やり任官するとかはなかろうな」
「主上はそのようなお方ではないでおじゃるよ。……まあ、改めてお求めになることはあるかもしれぬが、断ればよし。そこから無理強いは考えられぬ」
だといいのだが。……まあ、蜜柑から聞いた話からも、無体な要求をしてくるお方ではなさそうにも思える。
弔問の日取りは二日後と決まったために、我らが新田家一行は京で滞在することになった。明智光秀や里見勝広らは、主上との内密での対峙に向けての調整で緊張状態にあるようだが、任せてしまってよさそうで、他の要員は京の状況視察に時間を使える形となった。
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