【永禄九年(1566年)七月下旬】その二
【永禄九年(1566年)七月下旬】その二
続けて行われたリーフデを交えた討議では、寄港地を設定したいとの話が出た。
八丈島からマカオまで直行は可能なのだが、嵐などの場合に、事前に寄港する場所を決めておきたいというのである。
「直線距離で向かうと、琉球、台湾……、いや、高砂があって、マカオへってとこかな。琉球には寄ったことあるか?」
応じたのは、青梅将高だった。
「実は、今回の帰りに寄ってきました。貢物にならないように気をつけながら贈り物を渡して、また寄らせてほしいと伝えてあります。……よろしかったでしょうか?」
「もちろんだ。よくやってくれた。やがて手を伸ばしてくるだろう島津は、まだ内輪揉め中かな?」
「今のところは、島津は動いていないようです。九州の古麓屋という商人が、定期的に来ているようですが」
「ほう……」
かつて琉球が担っていた明との間の中継貿易は、南蛮交易に押される形で減ってきているはずだ。その古麓屋という商人と同様に定期的に寄れば、歓迎してもらえるかもしれない。
「高砂も同様に、現地の勢力と仲良くできたらそれもあり。空白地があるようなら、十三湊でやったように湊を整備しちゃうのもありだな」
そこで、通訳から話を聞いていたリーフデが声を発した。同席している少年通詞はほぼ同時通訳状態である。
「今回参加したネーデルラント商人が、かつて南端付近で嵐避けをした際には、周囲に人の影はなかったそうです」
「なら、常に人を置くかどうかは別として、簡単な湊を作っちゃうか。……それにしても、万里夫といったか? 見事な通訳ぶりだな」
「いえいえ、ぼくなどは小桃様の足元にも及びません」
この少年も、奴隷としてポルトガル商人に使役されていた人物で、今回買い取られてきたのだった。頭上に▽印は浮かんでいない。
「万里夫くらいに言葉を習得しても、扱いは悪いままなのか?」
「南蛮人は、ほんのちょっと変わるだけですね。その点は、明の商人の方が、話が通じて気が合いさえすれば、だいぶ親しげになってくる感じです」
人種の違いが大きいのか、宗教観からか。特に南蛮人の方は、少なくともこの時代には、キリスト教者以外を人間扱いしない場合が多く見受けられる。
「万里夫は、故郷に戻るのか?」
「いえ、家族は皆殺しにされましたし、小桃様に恩返しをしたいのです。どうか、このまま使ってください」
「それはいいが、通訳となれば高給取りだぞ。なにか欲しい物があれば言ってくれ」
「給金は、同じ境遇の者達の買い戻しに使いたいです」
大真面目のようだが、買い戻し事業が順調に進めばまた考えも変わるだろう。
台湾南端への寄港のための施設を設置するとの方針を固めて、この場はお開きにした。万里夫には出発まで、新田学校で語学の教授役になってもらうとしよう。
上方の情勢は荒れているはずだが、雑賀衆の面々はずっと居着いている状態だった。鈴木重秀は引き続き、雑賀だけでなく鉄砲隊全体の指揮を執っているし、土橋守重は大砲に魅せられていて、新たに持ち込まれたポルトガルの大砲に頬ずりしていた。
佐武義昌は船での大砲運用に興味を示して、同じ方向性の九鬼澄隆と気が合っているようだ。
鉄砲指揮は、弓巫女の美滝と北方にいる小金井桜花が家中の第一人者で、現場指揮役も育ってきている。砲術では桔梗の他に甲賀忍者の大河原重久と芥川晴則、それに上泉秀胤が頭角を現している。現場を指揮するスキル持ちからも、隊長候補が幾人か現れていた。
ただ、雑賀の三人はやはり有能で、居てくれるのは大歓迎である。雑賀の束ね役的な惣次郎は、どうも雑賀側から彼らを戻すように求められて苦慮しているらしい。
金額の上乗せで解決できる問題ではなさそうなので、そこはもう、彼らの判断に任せるしかなかった。
北方では、南部氏に新たな動きがあったそうだ。北畠・大浦・新田連合と講和した上で、三戸を放棄して猛烈な南下を始めたという。
元々、現当主の南部晴政は三戸南部を継いではいるが、実際は南方の出身だったようなので、土地勘もあったのだろう。
斯波家を打倒し、阿曽沼氏、和賀氏、稗貫氏を従属させ、確保した不来方(こずかた)……、元時代での盛岡を新たな拠点に定めたようだ。
南部との交渉の際に、南部宗家から距離のある九戸、久慈が間に入ってくれたおかげで、北畠・大浦・新田連合は檜山安東に戦力を振り向けられるようになった。湊安東との挟撃は、相手を苦しめているようだ。
北畠・大浦・新田は、ここまで北畠が下北半島の内側を、大浦が大光寺から東の三戸方面へ、新田が下北の東岸から八戸まで、という配分がなされている。
陸奥湾一帯を北畠が治め、その南の内陸部を南東に向けて大浦が勢力を伸ばし、新田は、東の太平洋岸を、という位置関係となる。十三湊は、新田主導での共同経営のような状況だった。
そのため、檜山安東に対しては大浦だけが前面に立つ形となるが、実際には新田と北畠の軍勢が常駐していて、事実上の連合体としての活動ができていた。
ただ、この状況だと、いよいよ<地形把握>スキル持ちの雲林院松軒を北方から呼び戻しづらい。治水の大方針の策定をどうしようかと思い悩んでいたところ、そちらの検討会議に出てきた伊奈忠次と、<治水>スキル持ちの鎮龍氏の長、鎮龍辰巳もいつの間にか<地形把握>を取得していた。
それならばと、治水計画の策定を本格的に進めることになった。
治水・土木系で士分へと取り立てた<治水>の鎮龍氏、<掘削>の開世氏、<築城>の築邦氏は、当主の能力面でも、組織としてもそれぞれ順調に育ってくれている。頼もしい限りである。
執務の合間に、俺は子供部屋の初音を訪ねた。
「どーしたの、護邦さま」
「義重を気遣っていてくれただろ? どうやら、元気になったようだから、お礼を言いたくてな」
まだ八歳のこの子は、自らが両親を亡くして逃亡生活を体験したためか、不安げな人物が気になるらしい。
「船旅から帰ってきて、なんか考え込んでたけど、元気になったならよかった」
ほにゃらと笑う表情は、まだ幼さが残る。けれど、はっきりとした美少女だった。
「他は、誰か気になるのはいるか?」
「んーとね、りひと」
「理人……? って、だれだったか」
「わかんない。言葉が通じないの」
「ああ、リーフデの息子か」
そう言えば、体調の関係で次の航海は息子を同行せずに厩橋に滞在させたいとの話だった。
「すぐ、話が通じる人を呼び寄せる。万里夫っていうお兄ちゃんだから、話してみてな」
「わかった。でも、いろんなお絵描きしたり、工作したりしてるのよ」
なら、どうやらだいじょうぶだろうか。まあ、家中に世話焼きが多いのは以前からだから、あまり心配する必要はないだろう。
子供部屋から戻ろうとしたところで、諜報方面を束ねている多岐光茂がすっと近寄ってきた。
折り入って相談があると囁かれたから何かと思えば、三日月との結婚についてだった。
「申し込んでよろしいでしょうか」
「もちろんだ。人員配置については気にせず、存分にやってくれ」
「はい」
やや強張っていた表情が緩むと、穏やかさが戻ってきた。これは、相手方から外堀が埋められた結果なのだろうか。
この話があったからか、蜜柑主導でお茶会が招集された。指定された縁側に向かうと、蜜柑、澪、岬、三日月、道真が勢揃いしていた。話題は、当然のように三日月と多岐光茂の婚姻についてだった。
「無事にまとまってよかったけど、結構時間がかかったよね」
岬の言葉を受けて思い直すと、最初に澪から話が出て、ひさびさに寝所に侵入されたのは一年ほど前だったような。
「あのねえ。その間に何があったと思ってるのよ」
「えーと?」
澪が小首を傾げる。正直なところ、彼女は子育てと料理系、弓巫女としての役割を主に担当していて、政事向きのことには明るくない。答えたのは、道真だった。
「護邦殿の無謀な西進、反新田連合の挙兵、北条の最後の抵抗、里見、太田領攻め、鹿島、香取両神宮への強硬な圧迫に、鹿島、大掾氏領攻略、旧小田・小山・結城領奪回、佐竹・宇都宮攻め……くらいでしたか」
「なんか、手厳しい表現が混ざっているような気がするんだがなあ」
「気のせいでしょう」
俺のやんわりとした抗議は、新田の宰相によってさらっとはねのけられた。
と、口を開いたのは蜜柑だった。
「三日月は、てっきり護邦に気があるのかと思っていたのじゃがな。最初に会ったときには、腹の上に乗っていたわけだし」
「え、そうだったの? いきなりそれは、過激だね」
岬が目を見開くが、どこか楽しんでいる口調でもある。
「脅しただけだっての。……その話を漏らしたら殺すから」
「光茂殿にだけは、決して言わないからだいじょうぶよ」
殺気を放ってみせた三日月だったが、澪に軽く返されて頬を赤らめている。その様子は、戦場にいる彼女とは別人である。
と、澪が商会を束ねる女性当主に視線を向けた。
「岬も、護邦のことを好いていたのかと思ってたんだけど、よかったの?」
いや、俺も同席してるんだが。ただ、二人の間では、それは障害にはならないようだ。
「うーん、いつか子を持つなら護邦と、とは思ってたけど、南蛮との共同交易会社を代表する立場になったからねえ」
「代表者は、結婚できないの?」
「事実上の新田の持ち物とは言え、その代表者が新田の当主の側妻ってのも微妙じゃない?」
「そんなもんかのぉ」
蜜柑は首を傾げている。
「ボクの中では、そんなもんなの。だから、会社を我が子だと思って育てていこうかと。……道真は?」
話を向けられた女性宰相は、あっさりと応じた。
「新田家という生き物は、岬の会社以上に育てるのが厄介でしてな。厄介なことに、どこまで成長するのかも見通せず……」
男装の宰相は、遠い目をしている。まあ、当主の俺からして、どこに行き着くのかはわからないしな。
「子育ては大変よね」
「いや、それは確かじゃ。……あー、三日月。でも、その前にはきっと楽しい時間が待っているのじゃぞ」
生暖かい視線が向けられても、女忍者は澄ました顔で紅茶をすすっていた。
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