【永禄九年(1566年)三月下旬】


【永禄九年(1566年)三月下旬】


 知多半島の美浜から戻ってきた海里屋の船は、新田の産品に使うと映えそうだからとの伝言とともに、美しいガラスの瓶や酒盃、磁器の皿などを持ち帰った。


 添えられていた書状には、色々手広くやってるのに、土いじり系は専門外かな? と書かれた上で、ガラス、磁器、そしてセメントの詳細な製法が記されていた。自分の所領の生産力からしても大量生産はできないから、大いに作って、ちょっとだけ分け前をちょうだい、とも。


 さっそく開発局に渡して、開発を依頼した。これは正直なところ、たいへん助かる。中でもセメントで作れるコンクリートは、治水でも建築方面でも非常に有用な素材となりそうだ。




 そして、ネーデルラント・新田交易会社による八丈島=マカオ商船隊の第一陣が戻ってきた。


 交易については、ポルトガル商館に委託する形で無事に行うことができたそうだ。乾物は明の商人に飛ぶように売れ、中でも干し椎茸は歓迎されたらしい。国峯や松井田の裏山で採れた椎茸が、明で大人気だと思うとなにやら感慨深い。


 椿油は、長崎の五島列島のものが有名なようだが、伊豆大島や関東で採れたものも品質が評価され、高値で捌けたというから、増産をしていくとしよう。


 硫黄も日本の相場からすると五倍程度の価格で買い取られ、刀剣、漆器、蒔絵なども試し買いといった風情にしても捌けたそうだ。


 ただ、小規模船団なために、物量はさほどでもない。また、ポルトガル商人からすれば、明の商人向けに持ち込まれたのはありふれた商材でもある。対して、真珠と紅茶は、やはり彼らの興味を惹いたようだ。


 真珠については、明への委託販売に混ぜてもよいのだが、との話をしたところ、全量を買い取りたいと求められたそうだ。


 今後も同様に粒の揃ったものを供給できる見込みだと伝えたところ、便宜を図るからぜひ、との話だった。


 その流れから真珠は総てをポルトガル商館に卸すから、明の商人との直接交渉をさせてほしいと要望を出すと、明の役人が許諾を出せばかまわない、との返事だったという。それくらいに真珠が欲しいのか、あるいは小船団だからか、はたまた後ろ盾がないからと侮られているのかもしれない。


 紅茶についても茶菓と一緒に好感触だったので、本国戻りの船に積んで反応を見るようにと依頼した。


 ただ、その話が通った頃には、贈り物にできそうな商材は売り払ってしまっていたので、明との交渉は次回の来航時に、との話になったという。もっとも、窓口の役人には、耕三と小桃による軽食の差し入れなどはして、地均しは済ませたそうだ。


 そして、和人奴隷の調査も行われた。街に溢れる状態ではないが、やはり見受けられたようだ。まあ、明の奴隷についての感覚は、南蛮人の犬を棒で叩くような扱いとは違って、職分を持った存在でもあるらしい。そのため、例外なくひどい境遇なわけではなさそう、との話もあって、やや安心である。


 一方で、ポルトガル商人に使役される中には、きつい扱いをされている者もいるようだ。そこも、第二陣の対応に任される形となる。


 今回の交易の概況としては、銀は当然ながら歓迎され、購入したのは高級品の生糸、絹織物に薬や書籍、そして永楽通宝などの明銭と、金となる。金は上方で需要があるために、日本で銀に交換すれば、それだけでも利益が出る形となる。


 明では銅銭の価値が下がっているそうで、その流れが銀を求める一因ともなっているようだ。日本の交換比率よりもだいぶお買い得だそうなので、大量に購入してきた状態だった。


 世間へ出す量を制御すれば、一気の信用低下は起こらないだろう。もしかすると元の世界では、上方に明銭が大量に流入したために、価値がないものとされてしまったのかもしれない。そうだとしても、今後の関東の購買力増加を考えれば、確保しておくのがよさそうだ。


 こちらからの品物の売却益と、これから生糸や絹織物を売りさばく利益を考えれば、リーフデと折半にしても、充分な額となりそうだ。もちろん、難破や私掠の獲物となって全滅する危険も考える必要はあるのだが。


 地均しが済んだからには、第二陣が勝負となる。俺自身が行くことも考えたが、ここは<人たらし>スキル持ちの青梅将高に頼るとしよう。




 佐竹・宇都宮攻めの総大将は青梅将高に任せるつもりだったのだが、マカオ行きの絡みで急遽明智光秀に変更することにした。正式表明前だったので、混乱は小さめに収まりそうだ。


 彼の地の領民には悪いが、田植え時期を狙って一斉侵攻を仕掛ける計画である。無事に収穫期までに制圧が済めば、新田領から食料を供給するし、もしも秋まで凌がれたら……。どれだけ高利貸し勢力が援助していても、食糧不足は危機的な状態に陥るだろう。


 そんな中で、開発局で騒ぎが起こったとの一報が入った。林崎甚助を連れて駆けつけると、北条宗哲から名乗りを変えた北条幻庵が、笹葉と言い合いをしている状態だった。


「で、なにごとだ」


「この者たちに、せっかくの才能なのだから、民に寄り添った物を作るべきだと申しておったのだ」


 幻庵の禿頭からは、湯気が見えそうである。


「そんなこと言われたって、優先順位ってもんがあるんだよ。船の改良や簡易水車だけでも手一杯なのに、硝子やら磁器やらせめんとやら持ち込まれてるんだから」


 じろりとこちらに視線が送られてきた。簡易水車というのは、アルキメディアン・スクリューと併せて、堤を越えての取水を容易にする仕組みとして要望されているものだろう。確かに、開発案件が山積みになってしまっていそうだ。


「笹葉、現状だと優先順位はどんな感じなんだっけか」


「第一は蒸気機関、続いて簡易水車、それから交易品ってとこね。民の暮らしが便利になるものよりも、根幹となる技術を確立すべきでしょ」


「いや、せっかく関東が安定してきているのだから、まずは民を安んじるべきだろう」


「その先があるから言ってるのよ」


 臣従したばかりの北条幻庵と、新田の幹部の一員である笹葉とでは、視点がだいぶ違っているのだろう。それに加えて、開発局の位置づけについてもズレがありそうだ。


「二人の話は、今すぐに民の助けになるべきか、新田の力を増して、それを通じて領民を豊かにするべきか、との方向性の違いなんじゃないのか。ちょっと前提が整理できていない気もするが」


 そこを説明しようとしたところで、幻庵がやや疲れたようにつぶやいた。


「武家が富んでも、民の助けにはならない」


 そのさみしげな表情は、父親である北条早雲こと伊勢新九郎盛時が始めた事業が中途に終わり、さらにはその過程で民が苦しむのを見てきたからだろうか。


 元時代では、北条の統治は民に寄り添った万全なものだったと断言する書物も見受けられたが、飢饉のせいなのか、周囲からの外来勢力扱いに起因する反感のせいなのか、初回の軍神殿による小田原攻め前に出た代替わり徳政令の項目を見ても、苦境が窺えていた。改変されたこの時代では、その後も改善せず降伏に至っている。


 元時代でも、上杉を押し戻しても武田と手切れになったりと安定せぬうちに、最終的には豊臣に攻められて滅亡に至った。


 ただ、北条の生き字引的存在の老将にそう結論付けられてしまうのは、ちと悲しい。


「新田は、他の武家とは違うわ」


 笹葉の断言を受けて、幻庵はこちらに問い掛けの視線を投げてきた。


「違うように努めてはいるが、滅びてしまえばそこまでだ。そう考えれば、笹葉を傘下に招いた時にも言ったが、新田が滅びても民を楽にできる遺産となるべきものをどう作っていくかだと思う。……幻庵殿、笹葉にそう求めるのなら、手伝ってはくれないか」


「儂がか。見ての通りの老体じゃが」


「老体に至るまでの経験は、色々なことに活かせるだろう? 新田を強くするためではなく、民生品の開発なら、抵抗がないんじゃないかな」


「ふむ……」


 こうして、開発局は新たに顧問的存在を迎え入れることになったのだった。


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