【永禄九年(1566年)四月/五月】
【永禄九年(1566年)四月】
青梅将高とリーフデ、岬、そして道真らと八丈島=マカオ船団の第二陣の方向性を詰めていく作業を進めている。
その中で、青梅将高からは、佐竹義重を連れていきたいとの要望があった。気分も変わるかも、とのことだったが、確かに佐竹攻めの状況を厩橋で漏れ聞いているよりはましだろう。本人はやや投げやり気味に承諾し、そのように話はまとまった。
今回は、ネーデルラントとして明との直接交易の許諾を得て、可能であれば商館的な施設を作らせてもらうのが理想的な展開となる。
商材としては、ポルトガル向けでは、真珠と売り込み中の紅茶が、明に対しては硫黄、銀が主力となる想定だが、有力者と交流する場面も見越して、酒と食材なども用意しておこう。陸遜……、楠木信陸が送ってくれたガラスの瓶と酒盃との合わせ技で、高級感を演出できるとよいのだけれど。
明の役人への贈り物としては、蒔絵装飾を施した刀剣や銃、飾り絵皿、櫛なども用意した。さらには上州産の絹織物と生糸も、市場価値を測るためにも持ち込んでみようとしている。
一方で入手を目指すのは、農作物の種苗や苗木、質のいい家畜に、養蚕や絹織物と工芸品の技術者と、武具のサンプルも欲しいところとなる。
和人が前面に立つと、朝貢貿易的な絡みでややこしくなるため、リーフデの存在は大きい。そして、ネーデルラントを国として認識させ、ポルトガルと同様の扱いをしてもらえたりすると、とても助かるのだが。
事前に対応できる準備は進めていたため、第二次船団の出航までにさほどの時間はかからなかった。
開発局の顧問的な存在になった北条幻庵は、剣豪の塚原卜伝、忍者の長老格である蝶四郎、鳩蔵と、同年代で交流しているようだ。そこには内政組の里見勝広も呼ばれたのだが、なにやら小僧扱いだったそうだ。俺からすれば四十代の勝広はだいぶ年長者なのだが、七十代の集まりからすれば、確かに若く映るのだろう。
塚原卜伝は、鹿島氏が討滅された件も、特に気にしていないようだ。忍者の二人は、引き続き若手教育に力を入れてくれている。四人とも、もう引退していい年代のはずだが……、って、幻庵に経験を活かせと求めた俺が言うべきセリフではないか。
治水計画としては洪水対策も大事だが、洪水が起こりづらい土地を開拓しておくのもまた有用に思える。関東で言えば、武蔵野台地……、中でも、武蔵国分寺や国府があった国分寺崖線の下の土地ではなく、その上の……、元時代での立川から小金井、三鷹、荻窪、新宿くらいまでの、中央線沿線となる。
この時代には水利の面からあまり利用されておらず、自由に開発できる状態となる。玉川上水の実現可能性の調査は進めており、工事に着手しようかとの話も出てきていた。地盤も比較的安定しているはずだ。
まあ、関東に人が溢れかえるのは、だいぶ先の話ではあるだろうが、基盤を整えておくのは悪いことでもないだろう。
ただ、実際には、利根川、荒川を含めた河川の治水の方が優先度は高い。確実なところは進めているが、全体計画を立てるとなると、奥州にいる雲林院松軒の<地形把握>スキルを活用したいところとなる。雪解け後の北方情勢によっては、配置換えも考えるとしよう。
治水については、溢れやすいところへの堤防作りと、その上流での農業用水兼用の放水路、遊水地などから始めているが、実際には流路を確定させ、堤防を築きつつ水を逃がす仕組みを作り、さらには川を掘削していくのがよいのだろう。
理想を言えば、通常の川筋の他にもう一本か二本流れるような余地を作って、そこを掘削して堤防の陸側に土を積み、決壊時の勢いを減らす形だろうか。
幸い、簡易水車とアルキメディアン・スクリューの合体技での、ある程度の高さまでの取水はうまく行きそうとの話になっている。そうなれば、堤防を高めに作っても農業用水向けの取水はできるわけで、それを前提に溜め池整備も含めて検討する必要がありそうだ。
そして、治水方面では、やはり伊奈忠次が早くも頭角を現していて、粘土箱や実験用の砂場を使った堤や堰の構造検証などでも、鋭い視点を提示しているとのことだった。
佐竹・宇都宮領への侵攻に先立ち、旧里見領、太田領、そして再復を果たした旧小田領、小山領、結城領について、今年の年貢免除を宣言した。旧里見領の一部を領有する千葉氏と、小山領を渡す話を進めている佐野氏とも歩調は合わせている。
一方で、種籾は提供し、麦、蕎麦の種に、甘芋の種芋も配布した上で、耕作支援については、近隣の駐在部隊を中心に実施するとも伝達する。困窮している地域を対象に実施している炊き出しの継続も表明した。
その話が佐竹・宇都宮領内に浸透するだろう頃合いを待って、侵攻は開始された。千葉、佐野に加え、再編された北条氏規が率いる軍団も参加している。
そんな折り、佐竹領にいる里見勢の一部から降伏の打診が入ったそうだ。早馬、早船で対応の相談が来たので、里見の当主の首を持ってこいと応じさせた。
下向してきていた関白殿下がそろそろ京へ戻ると言うので、朝廷への献金を託した。関係者へのばらまき資金も含めると、結構な額となったが、最近は上方でも銀での取り引きが増えてきているそうで、輸送はだいぶ楽になった。まあ、実際は海里屋が堺で売却した明の生糸、絹織物の対価でも賄えそうなのだが、きっと関白殿下が持ち帰ることに価値があるのだろう。
【永禄九年(1566年)五月】
持ち込まれたのは、里見義弘の首だった。父親の方の里見義堯が目立っていたが、当主は既に義弘だったわけだ。
首を持ってこいというのは、半ば挑発のつもりだったのだが……。提示した条件が果たされた以上は手厚く受け容れた。隊を率いてきた部将以下、だいぶ憔悴していたそうで、悪いことをしてしまった。
ただ、好機であるのは間違いないので、特に里見、太田の将兵宛てに、降伏を促す印刷の文書を配布した。バリスタや投石機で打ち込むとなると、やや滑稽なのだが。
里見義弘を討った協力に感謝し、旧里見領の年貢免除をもう一年増やして、来年までとする。故郷では食料も供給され、穏やかに暮らしている。確実に送り届けるから、安心して降伏するように、というのがその主旨となる。
それはそれとして、侵攻は粛々と行われた。田植えの時期ではあるが、特に邪魔をするつもりはない。近づくと逃げ去る集落も見受けられたものの、手を振りながら余裕で農作業を進めるところもあったそうで、頼もしい限りである。
北方船団からの帰り船が鎧島に着いたとの知らせが入った。今回は、足漕ぎスクリュー……、螺旋推進機構を盛り込んだ昴八式螺旋型が導入されているのもあって、笹葉と一緒に検分がてら鎧島へ赴いた。
今回のまとめ役としては、用土重連がやってきていた。こちらからの指定がなければ、戻してくる人の選択は神後宗治が決めている。
「重連、ひさしぶりだな。情勢はどうだな」
出会った頃には十代の少年だった、藤田氏出身のこの人物も、すっかり青年武将といった風情となっている。ただ、目のくりっとしたどこか小動物風の印象は変わらない。
「はい。北方では、湊安東が勢力を確保し、檜山安東と抗争中です。拮抗するくらいまでに、湊安東は体制を固めています」
「雲林院松軒は、どんな感じかな?」
「活躍されています。それに加えて、行動を共にされている小金井桜花殿が、月姫様と相性がいいようで、連携がうまく取れています。湊安東の快進撃は、二人のお力によるところが大きいかと」
そうなると、雲林院松軒を<地形把握>スキル目当てに関東に戻すのは避けておいた方がよいか……。
「虎房は?」
「上杉輝虎様の養子との肩書は効いているかと。ただ、それを除いても、湊安東の方々に評判が良いようですよ」
大浦為智と同様に受け容れられるとよいのだけれど。
「そして、檜山安東がそちらに気を取られているので、北畠・大浦・新田連合は、南部に集中できました。小金井護信殿の縦横無尽振りもそうですが、神後宗治殿の采配もまた苛烈でして……」
大浦も北畠も、ここが勝負どころだからと、所領を空にする勢いで攻めかかり、南部の重鎮八戸氏が治める八戸城を攻め落とし、南部本家の主城、三戸城を攻囲中だそうだ。
その段階で、九戸、久慈が講和の話に動いているというから、彼らは本気で南部の主流から離れているのだろう。
「ところで、螺旋推進船についてなんだが」
俺の言葉に反応して、横からぬっと顔を出したのは正木時忠だった。髭面も慣れると、愛嬌しか感じられなくなってきている。
「その件は、それがしから。潮流に乗っている際には、差は感じませんでしたなあ」
「そうか……」
控えてきた笹葉も、がっくりと肩を落としている。と、時忠はにやりと笑った。
「けれど、潮流を横切る時、湊に出入りする際、そして演習の中では明らかに効果が見られました。いいですぞ、あれは」
聞けば漕手への負担も、全力でなければきついものではないらしい。これには、笹葉も安堵の息を吐いていた。
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