【永禄九年(1566年)三月上旬/三月中旬】
【永禄九年(1566年)三月上旬】
小田友治が菅谷勝貞、政貞親子を連れて戻ってきたのとほぼ同時期に、旧小田、小山、結城領の制圧が完了したとの報告が入った。
国人衆ながら、小田家の中心として知られる菅谷親子は、新田に臣従した小田友治を主君として仕えるとの決心を固めており、陪臣としての加入を望んだ。もちろん、それで問題ない。
三人で相談させたところ、引き続き香取海北岸・西岸諸将の旧臣の離反活動をしつつ、表の忍者の活動を助ける形で、盗賊討伐に携わりたいとのことだった。菅谷親子も治安維持であれば、遺憾なく実力を発揮できるだろう。
旧小田領の制圧に際しては、旗幟を鮮明にした鬼真壁こと真壁久幹が大活躍を見せてくれた。臣従の約束を交わしてはいるが、真田のように事実上の代官的な配置となりそうだ。
太田勢、里見勢は佐竹領に逃げ込んでいるし、そもそも反新田決起の首謀者は佐竹義昭である。このまま常陸攻めという流れと見込まれた。
明智光秀も香取神宮、鹿島神宮の仕置きをひとまず終えて、北上を始めている。まずは、大掾氏を討ってから、佐竹領付近まで進軍することになるだろう。
そんな中で、千葉胤富が自ら厩橋へとやってきた。佐竹領近辺以外の関東は安定してきているとは言え、大胆な行動ではある。
「これは、護邦殿。直接となると上杉輝虎殿の関東管領就任式以来じゃな」
「ですな。この度は、里見攻めへの協力、感謝致します」
「なんの、それはこちらが口にすべき言葉じゃ。遂に、仇敵たる里見を滅ぼすことができた。北条と組んでいた我らを共に戦う相手に選ぶとは、驚かされました」
「北条との同盟を貫き通されたのは、見事な振る舞いだったと存じます。北条に加わってもらった我ら新田とも、同様に末永く手を携えていただきたいものです」
「それも、こちらの……。まあ、新田にとっては、盟約は守るべきものなのでしょうな」
「一時凌ぎの同盟が横行していたにしても、それに倣う必要はありませんのでな。因縁をつけて攻撃したりは致しませぬ。独自の統治を行っていただきたい。……このまま西方をまとめる勢力が現れて、仲良くできるようなら平和になりましょうが、その点での予断は許されません」
「護邦殿が自ら西へ向かうことはされぬのですかな?」
「軍神殿がその気になれば、あるいは。足利将軍家の後継争いの決着にもよりますな」
「三好との間で揉めているのでしたか」
そこから、話は香取神宮との諍いについてに及んだ。元時代の知識から、千葉氏が香取神宮の社領を押領していたものかと思っていたが、どうも鹿島神宮の鹿島氏が豪族として力をつけていくのに対抗して、香取神宮が勢力拡大を図ったのを抑止しようとした状態だったようだ。
「香取神宮には、新田から禄を出す替わりに、香取海絡みの権益を放棄させます。それに絡んで、相談があるのですが……」
俺は、利根川の一部を東へ流し、香取海につなげる計画を伝えてみた。
「しかし、それでは香取海が溢れませぬか?」
「いや、逆に川が運ぶ土砂が積もって浅くなるのですが、それは百年単位の話ですな。やがて日本全体が平和になれば、関東に人が増えましょう。その際に、洪水が減るようにしたいのです」
実際には、利根川を東遷したからといって、洪水が無くなるわけではない。流路を選びつつ、増水時に水を逃がす仕組みを考えるべきか。
あるいは、香取海の度量の大きさに期待して、鬼怒川、渡良瀬川を北部に、利根川を南部に流入させ、荒川を分水させて関東の水を賄う、という方向性がよいのだろうか。ただ、水不足の場合に、融通できるようにしておきたいところとなる。いずれにしても、細かく検討していかなくては。
「そのついでとなりますが、香取海の外海への出口と、厩橋、江戸が水路でつながることになるでしょう」
「関銭が得られるわけですか?」
「いや、できれば関銭は無しでお願いしたい。それよりも、家中の商いに通じていそうな者に、産業を興させ、商売をやらせてみてはどうでしょう」
「産業と商売……ですか?」
「新田は普通に商売を行っていますし、臣従した武家でも、養蚕や茶作りに励んでいるものもおります。越後での上杉氏の青苧栽培も、広い意味では商売でしょうし」
「ほほう」
「なんでしたら、商家の者を移住させ、儲けから一定額を上納させるようにするのもよいかと。担当の役人に礼金を渡すのではなく、千葉氏の倉に収めて、その代わりに彼らを保護していただければ」
「それなら、どうにか対応できそうですな」
「よそが欲しがる産品などあれば確実ですし、酒や茶などお好みの方向性があれば、そこから始めるのでも。栽培や製品化はお手伝い致しますぞ」
「それはまた……」
「甘芋やその他の果樹や茶の木なども、種芋や苗木をお分けします。春には、栽培経験が豊富な者を派遣しましょう」
「……どうして、我らにそこまで」
「領内が豊かになれば、無理に戦う必要もなくなりましょう。里見相手に苦労して来られたと思うが、佐竹らの仕置きが済めば、平和な時を過ごしていただきたい。その中で、互いに得意な産品を融通し合えれば、よいことですからな」
「なんと……」
「これは申し訳ない。いきなり話題を詰め込みすぎましたな。歓迎の食事会と、ご滞在中に厩橋や近隣を案内させていただこう。それを踏まえて、家臣の方々と相談の上で、ご要望を聞かせていただければ」
【永禄九年(1566年)三月中旬】
千葉胤富が滞在を終えて厩橋を離れる前日に、佐竹攻めへの参戦を申し出てきた。どうしてそうなった。
「千葉殿のご家中は、里見との長年の抗争で疲弊しておられるはず。無理に戦う必要はないのでは? 先日もお話ししましたように、産業を起こして豊かになる手もありますし」
「戦いが絶えた世には、そうしましょう。ご安心召されよ、領地獲得は求めません」
「でしたら……、従軍人数に応じて、新田領内の豪族と同様に金子を払わせていただこう、そこは譲れませぬ」
「承知致した。存分に使ってくだされ」
満足気な表情を見ると、やはり自分には武家の気質がわかっていないんだな、とも思えた。
相前後して、佐野昌綱もやってきて、臣従したいとの要望が出た。
「昌綱殿とは、明確に約定こそ交わしていなかったにしても、盟友のつもりでおりました。臣従とはひどい」
「いや、しかし、護邦殿が関東の覇者となられた以上は、きっちりしませんと」
「佐竹、宇都宮を押しやったら、小山領を受け取っていただこうとしていたのです。小田原攻めに加勢いただいた礼がまだできていませんでしたのでな」
「なんと……」
「小山領を受け取っていただいた状態で、改めて盟約を結ぶのではいかがか」
「真壁殿の臣従は受けたと聞きますぞ」
「いや、彼らは周囲との兼ね合いがあったにせよ、一度は反新田陣営に与したからで……」
押し問答の末、千葉氏と同様の扱いで納得してもらえた。その結果、佐野氏からも佐竹攻めの参加表明が行われた。
現状では、このまま佐竹、宇都宮の討伐が済めば、関東で独立した勢力として生き残りそうなのは、千葉氏と佐野氏だけとなりそうだ。北条氏、真壁氏は臣従しているので、やや話が違う。
佐野氏、千葉氏は軍勢を供出してくれつつ、独自に領地経営を行っていく形となる。できるだけ、支援していくとしよう。
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