【永禄九年(1566年)二月中旬】
【永禄九年(1566年)二月中旬】
どうやら関東の趨勢は決した。北条攻囲軍を率いていた明智光秀軍団は、そのまま香取海の東方の、外海と挟まれた土地へと向かって、同地の制圧と北の佐竹領への牽制を担ってもらう。
北条との諸々の対応を凌ぎ切った彼らからすれば、鹿島氏、大掾氏、さらには香取神宮の勢力は苦労する相手ではないだろう。佐竹が南下してくるようならば、西から仕掛ける好機ともなる。
両神宮を制圧したならば、つなぎとして厩橋鹿島神社、厩橋香取神社の宮司に任せて、明智光秀に世俗権力部分を解体させる、というのが既定方針となる。その流れには、関白殿も噛んでくれそうで、とても助かる。
厩橋の鹿島、香取の両神社は、関東西方の鹿島、香取系の神社を束ねるような立ち位置になりつつあり、神主一族が数人で運営していた状態からは、大所帯になりつつある。それでも、もちろん荷は重いだろうが。
古河公方を称する足利義氏は佐竹に奉じられたままで、関東の北東の一角に一派が押し込められる形となりつつある。
関東管領の軍神殿からは、安寧でさえあれば問題なく、介入はしないとの明言が行われた。そして、北条の討伐が完了したことを受けて、河越城域を明け渡したいと言ってきた。
さすがにそれでは、上杉の得るものが少な過ぎると抵抗したのだが、新田に絡んだために北信濃に所領を拡大し、武田を抑え込めたのだからと頑として拒絶された。
確かに北信濃では、深志城域、海ノ口城域、海津城域を直轄地として獲得し、葛尾城に村上義清を戻すことに成功している。川中島、善光寺を含む長野平と深志城付近の松本平を版図に収め、佐久平を新田と分け合うわけで、実入りは大きくなりそうだ。しかも、ある程度は上杉家の直轄領として、得られた収入を諸将に配分する方向らしい。
武田が制圧してから間があったために、戻すべき国人衆が排除されていたにせよ、河田長親経由で長尾藤景らの意見を採り入れた部分もあったのかもしれない。
古河にこそ吉江資堅を残しているが、足柄城の本庄繁長、河越城の長尾藤景は今回で撤兵となる。長期の協力に感謝を述べたら、通商で今後とも頼むと返された。それは、こちらからも頼りにしたいところとなる。特に本庄繁長の本庄城には、奥州からの船団を送り込む話もまとまった。
そんな中で、北条勢を厩橋に案内する話が実現する運びとなった。藤田氏邦にとっては、ひさしぶりの訪問となる。
北条氏規、藤田氏邦、北条宗哲の一門衆に加え、遠山景綱、松田憲秀、板部岡江雪斎らの生き残った重臣らも一緒である。
厩橋の城下を案内して、お茶会でもてなした後には、軍神殿、関白殿下との対面が行われた。
二人と面識があるのは藤田氏邦のみで、その思い出話によって硬かった空気もやや緩んだようだ。
軍神殿からは、北条早雲以降の拡大ぶりはある意味では見事なものだったとの言及があり、北条宗哲から父親の思い出話などもこぼれることになった。
食事は勢力ごとに食べる形として、そこからは酒宴組と連歌会組に分かれたようだ。
連歌会には、関白殿下と北条、上杉勢に、新田からも幾人かが参加し、関東の安寧についての発句から、歌が重ねられたらしい。目立つのを避けるべきかと考えた俺は、我が子との交流を楽しませてもらった。
そして、若年組では、氏邦と、同行してきた大福御前も参加して旧交が温められることになり、俺も蜜柑と澪に引きずられるように参加することになった。
北条との戦さで戦死した見坂武郎と、大福御前を救うために命を落とした侍女の千鶴を悼みつつも、ぎこちなかったのは最初のみで、やがて和やかな時間が流れ出した。厩橋から旅立った者も増えてきているが、新たな加入者も含めて、戦国の痛みは誰もが共有している。
籠城戦を生き残った侍女勢とは、厩橋の製菓職人勢とレシピ交換が行われ、小田原で独自に発展した食文化と、厩橋での新展開の受容に、それぞれてんてこ舞いとなっていた。食事処の多くは、すぐに小田原にも展開されると思われるが、それはそれとして交流は重要である。
小田原は海が近いだけに、海鮮の扱いには長けているようだった。そこから、やや需要が落ち気味らしい川魚の活用法などにも発展してくれるとよいのだけれど。
そう思って、かまぼこについて聞いてみたら、話が通じなかった。記憶では小田原名物だったはずなのだが、この時代にはまだ普及していないのかもしれない。魚肉に塩を足して練って蒸せばいいのだろうか。そうであるなら、川魚も原料になるかもしれない。試してみるとしよう。
そんな話をしている中で、氏邦が真剣な瞳を向けてきていた。首を傾げて促すと、座り直して口を開いた。
「こうなったからには、新田の家臣として関東の静謐のために力を尽く……」
「氏邦殿」
ぴしゃりと遮ったのは、大福御前だった。はてな? という表情で、夫が彼女の顔を覗き込む。
「この場は、かつての囚われの身だった頃の再現です。公式な話は、公式な場でなさいませ。……そして、無理をする必要はないのです。新田の方々なのですから。そうでしょう? 護邦殿」
「ああ。その後の経緯があるから、元の通りとはならないにしても、かつての友誼をなかったことにするつもりもない。立場はどうあれ、共に進んでいきたい」
「はっ」
「だから、かしこまるなと言っておるのじゃ。それぞれが、立場の違いには筋を通したはずじゃ。胸を張って歩んでいけばよいではないか」
蜜柑の言葉を受けて、氏邦はふにゃっとした、泣き笑いに近い表情を浮かべていた。
北条方から新田で使ってくれと推薦されてきたのは、内政能力が高い安藤良整だった。北条でも必要な人材だろうにと応じたのだが、大きな舞台の方が活躍できそうとの話で、そういうことならありがたく重用させてもらおう。他では、板部岡江雪斎は外交面で役立ちそうな際には呼び出してくれ、との申し入れもあった。
一方で、北条宗哲はいつの間にか開発局に入り浸っているようだ。物品の開発に興味があるらしい。
そして、翌日には太田城から拉致してきた佐竹義重と対面した。史実では佐竹義昭の跡を継いで、関東最大の鉄砲隊を築き上げ、常陸を統一した人物である。そして、この時点では既に当主になっていたはずで、さらに言えば父親の佐竹義昭も亡くなっているはずなのだが、いろいろとずれが出てきているようだ。
「虜囚の身で言うべきことではありませんが、家が危急の際にあのような形で捕縛するのはあんまりではないですか」
顔を合わせたのは、かつての第一次小田原攻めの際に、高麗山近くの陣所で言葉を交わして以来となる。あのときと同様のやや冷たく真摯な視線が向けられてきている。
当時の義重は、元服仕立ての十四歳の少年だった。現状では、俺も二十一歳となり、相手も十九歳の若武者となっている。
「謹慎中だと聞いて、確保させてもらったんだがな。どうして謹慎させられてたんだ? そして、どうしてまだ当主に立っていなかったんだ?」
「それは……」
口ごもってしまうからには、父親とうまく行っていなかったのだろうか。史実での佐竹は、上杉と北条の争いの中で、基本的には上杉方に立って周辺を……、特に小田領を切り取って勢力を高め、北条に対抗する力を持っていく流れだったはずだ。
この世界でのここまでは、史実比でやや加速気味で、新田という余計な因子まで入ってきていた。
さらには、あの高麗山近くでの対話も、なにか影響を与えてしまったかもしれない。
「まあ、連れてきたのは俺のわがままだ。義重を殺したくなかった。迷惑だったなら、謝るが……」
「そうですな。城と共に焼かれていれば、まだ佐竹の者としての整合性はあったのでしょうが」
暗い表情で応じた義重は、そのまま退出を求めた。
放逐してもいいのだが、反新田挙兵に反対したことで謹慎させられたらしい人物がどう扱われるかは微妙なところとなる。ただ、このまま佐竹家が滅びるとなると、殉死しかねないとの懸念もあった。
息を吐いたところで、執務室の扉から顔を覗かせたのは、九鬼初音だった。九鬼澄隆の妹で、合流時には兄に抱えられていた少女も既に八歳となる。
「初音、どうした?」
「義重はだいじょうぶだった? だいぶ苦しそうなの」
「そうだなあ。佐竹家が攻められていて、攻める側の新田に囚われているからなあ」
「兄さまも、故郷を追われた頃には苦しそうだったの」
「澄隆は、今はどうだ?」
「とっても楽しそう。大砲の話とかしていると、止まらないの。義重も、いつかはそうなれるかな」
「どうだろうな。……初音は優しいな」
頭を撫でると、少女はえへへと笑った。この初音は、幼少期に両親を失い、故郷を追われたからか、他者の痛みに敏感なところがある。その彼女が、城で暮らす子どもたちの年長者としていてくれるのは、得難い状態なのだろう。
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