【永禄八年(1565年)十二月下旬/一月上旬】


【永禄八年(1565年)十二月下旬】


 房総水軍がこちらについた以上、対里見戦で負けは考えづらい。北条の度重なる攻撃にも耐え抜いた里見領は、ついに陥落したのだった。


 千葉氏とは、ひとまずお互いに確保した城を安定させながら、必要に応じて受け渡しも考えようとの話になっている。


 太田の所領は総て制圧し、主力は関宿の攻囲を始めている。攻め掛かればすぐだろうが、実際は示威行動の意味合いが大きい。


 そんな中で、反新田連合軍が古河近くの新田本陣を夜襲する動きを見せたため、古河に入っていた新田は全軍を館林まで移動させた。


 そうなると、古河は上杉勢が単独で守っている形になる。まさか攻撃はできず、連合軍は撤兵した。帰るべき本領のなくなった里見、太田の兵力は、旧小田領に新たに獲得した土地に戻ったようだ。


 鹿島氏、大掾氏も引き上げた模様である。ここで交渉に訪れていれば、まだ運命も違ったろうが……。まあ、佐竹や里見、太田などから睨まれるわけにはいかないのかもしれない。


 いずれにしても、関東での敵勢は、小田原城に押し込めた北条を除けば、北東部に限定された形となる。太田と里見が敵に回らなければ、既にその状態だったのだが。




 そんな中で、ネーデルラント商人と新田家が共同で運営する交易会社による、第一回八丈島=マカオ商隊が出発した。今回の出発地は鎧島で、しばらくはその形になるかもしれない。


 銀を主力商材に、干しナマコ、干しアワビ、フカヒレなどの海鮮乾物、干し椎茸といった食材に、椿油、刀剣、漆器、蒔絵、硫黄あたりを持ち込む形となる。


 そして、ポルトガル商館向けには、真珠と紅茶を売り込むことになりそうだ。船団はリーフデが率いて、小舞木海彦が二隻の新田船を預かる、という体制となる。耕三と小桃と、新田直営商会の忍者上がりも含めた商人も参加している。


 リーフデのゼーラント号と比べると、新田式の外洋商船昴試作改型二隻の積載量は半分以下だが、大型化も検討しているし、同行隻数を増やすこともできる。新田が原価に近い価格で商材を用意しての利益の折半となれば、悪い話ではないはずだ。……そう思ってくれるとよいのだが。


 幾つかの事件の結果として、明で和人による通商ができなくなっている現状では、ネーデルラント商船だという立て付けは、どうしても必要となる。まあ、持ちつ持たれつでやっていきたいものだ。




 さて、今川家は、関東で反新田連合が活動している間も、北条が出戦した時機にも敵対行動を見せなかった。その余裕がなかったのかもしれないが、いずれにしても共存できるとしたら大歓迎である。


 お礼に赴いた俺は、内政に注力したいとの今川の方針を聞いて、清水湊の共同拡張を提案した。温暖な駿河では、良質な産品が多く生まれるだろう。


「ただ、武田の動きが不安でして」


 先日までは、武田を頼りに新田を退ける方向にも見えたが、現状では確かにあちらの方が脅威なのかもしれない。


「そうだなあ。武田とは上杉との三国での不可侵協約を結んでいるが、行動を掣肘できるわけではないんでな。最悪の場合は、見せかけの臣従をしてもらえれば、武田からは守れるが」


「その際は相談させてくだされ」


 喧嘩腰でなくなると、今川氏真の体躯を穏やかな空気が包む。若き当主の言葉に、寿桂尼はにこやかに頷いたのだった。



【永禄九年(1566年)一月上旬】


 今年の正月休みは返上扱いとし、前月の二十五日を期して旧小田、小山、結城領への攻勢を開始している。


 元日には水軍が外房から北上し、佐竹の本拠である太田城を襲撃した。その際には、事前に忍者、剣豪勢による強襲を実施している。目的の一つは、世継ぎながら謹慎させられているという佐竹義重の捕獲で、無事に確保することができた。


 そして、城下の住民に念のための退避を勧告した上で、火薬と大砲を使って無人の城を焼き払った。


 大砲の運用試験は小田原城攻めでも行ったが、包囲中と強襲時ではやはり勝手が異なる。持ち込めた大砲は数門に留まっており、バリスタや投石器によって放った、硫黄や石脳油を使った陶器製火炎弾の方が主力となった。


 この時の襲撃には雑賀衆も参加していた。鈴木重秀は鉄砲隊を率いており、その傍らには弓巫女出身の美滝の姿があったそうだ。まだ完全に口説き落としてはいないようだが、澪からはほぼ恋仲に近い状態まで至っていると聞いている。


 土橋守重は大砲指揮に熱中していて、こちらも弓巫女出身で、砲術スキル持ちの桔梗と気が合っているようだ。大砲では、他に九鬼澄隆も頭角を表している。


 攻撃は苛烈に行ないつつ、住民には炊き出しが実施された。偽善だと言われればそれまでだが、正月から騒がせているからには、埋め合わせは必要だろう。城を焼く前に運び出した財物はほとんどを放置したそうだが、どうなっただろうか。


 正月の三日に、吉江資堅に伴われた代表者たちが改めて和議を求めてきた。旧結城、小田、小山の領域からは撤兵するから、里見、太田も含めた本領安堵を、というのが要求だったので、言下に拒絶した。その間も、古河東方での攻勢は止めていない。




 その後の水軍衆の活動で、安房、上総の安定化は果たされた。水軍は再編され、江戸湾、駿河湾、相模湾が半ば内海化された。


 水軍、海賊衆の中にも、船での戦闘を得意とする者もいれば、村を襲撃するのをもっぱらとする者達もいる。商船の襲撃、新田領及び友好勢力の勢力圏にある集落の襲撃は厳禁である旨を申し渡すと、抵抗する者も、離反する勢力もあった。


 襲撃だけが生き甲斐だという者達は、味方であれば頼りになる存在なのだろうが、正直なところ共存できない。いや、したくない。それでも仕掛けてくるなら、撃滅するしかないが……。


 とりあえず、正木時忠と勝浦衆を通じて、新田の敵対勢力を襲う分には関知しない旨を伝えた。彼らの矛先は、佐竹領に向かうのか、あるいは鹿島氏や大掾氏が標的となるのかは、気にしないことにした。


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