【永禄八年(1565年)十二月上旬/十二月中旬】


【永禄八年(1565年)十二月上旬】


 古河に到達するまで二十日近くを要したのは、情勢を察したらしい北条勢が出戦してきたためだった。


 小田原城の攻囲は、猫の子一匹通さない域ではまったくなく、チャンスだと捉えて仕掛けてきたのだろう。


 ただ、どうやら反新田で決起した諸将と事前に示し合わせたものではなかったようだ。時機を合わせての攻勢だったら、よりきつい状態に陥っていたものと思われる。


 けれど、小田原城対応を任せていた春日虎綱、飫富昌景にも情勢はもちろん伝わっている。警戒していた彼らが北条勢をいなしている間に、西方から戻った新田の主力が到達したのだった。


 結果として、小田原城から離れた軍勢を挟撃する形となり、全滅とこそならなかったが、痛撃を加える流れが生じた。


 事後処理は青梅将高、明智光秀らに任せて、俺は少数の側近、精鋭と古河へ先行したのだった。




 保科正俊の首と対面した際には、最期を看取ったという真壁久幹と常備軍の年若い主将が同席した。


 春次という名のその主将は、孤児からの登用組の出世頭で、早くから隊長を務めてきた期待の人物である。正俊殿を死なせてしまったと詫びられたのだが、よく生き残ってくれたとの思いが強い。そう伝えると、悄然とうなだれていた。


 替わって、真壁久幹が口を開いた。塚原卜伝門下のこの人物とは、小田原攻めの際に苦言を呈されて以来、付き合いが長い。


「護邦殿……。保科殿の遺言をお伝え申す」


「ああ、頼む」


「復讐は易き道なり。理想への道を進まれよ、と。さらに小声で、武威と矜持を示す機会とされよ、とも」


「そうか……、復讐は許してくれないか」


 俺の口からこぼれ出たのは、我ながら寂しげな声だった。


 鬼真壁に対しては、保科正俊の首と遺言を届けてくれたことと、それに加えて捕虜という名目で多くの新田兵を保護してくれた件への感謝を伝えた。


「礼をしたいが、なにか希望はあるかな」


「臣従させていただきたい」


 今回、開戦前にこの人物が新田方についていたら、真っ先に血祭りに上げられていたのは間違いない。恨みの感情は、俺の胸中にはなかった。


「従属ではなく、臣従か? 領地はどうする」


「進上しましょう」


「そうか……。わかった。この戦役が一段落ついたらでいいか?」


「もちろんです。むしろ、時機を見て仕掛けましょう」


 にやりと笑った真壁久幹は、覚悟を固めているようだった。


 


 宇都宮が旧小山領を、佐竹が旧小田領の半分ほどを、里見が旧小田領の一部と旧結城領で、太田が残る旧小田領と関宿城を確保していた。参加しているはずの鹿島、大掾勢は、所領の配分には預かれなかったようだ。


 現状まで、武田に動く気配はない。反新田諸将の決起と、北条の出戦、武田の講和破りが連動していたら、さすがに凌げなかったかもしれない。最悪の状態は免れたわけだ。


 こうなったからには、機会を利用するしかない。北条を押し込めてから東進した青梅将高率いる主力と飫富昌景軍団、春日虎綱軍団が水軍との連携で国府台城への強襲を仕掛けた。


 小田原の攻囲は明智光秀が、伊豆、東海方面は真田幸綱が引き続き担当している。




 三日月からは、太田の反新田挙兵への参加に関連して、土倉勢力の動きについての報告があった。


 これまで新田が領域を拡大するにあたって、土倉、酒屋、寺社による高利貸しには室町幕府による規制を理由として上限を設定してきた。さらには、新田家がより低利の貸し出しを行ない、訴訟においても過去の高利分については取り立てを認めない裁定を繰り返した。


 状況の変化を受け容れて、事業会社に転じる滝屋、雲取屋、木霊屋のような者もいたが、激烈に反発する者達も少なくなかった。


 寺社はなかなか在地を離れられないにしても、土倉や酒屋はよそに移ることもできる。だが、俺も含めて転進組のみと交流していて、退去した者達の行く末を深く考えず、探索対象から漏れてしまっていたのだった。


 高利貸しの反発組はまず北条を支援し、北条の頽勢が顕著になると、次いで太田、佐竹、宇都宮、里見に支援先を移したそうだ。特に、武蔵、相模の土倉は太田領に逃げ込んで、そこを拠点に反新田扇動に努めていたらしい。今回決起した諸将に大規模な資金提供が行われていたことも判明していた。


「太田は味方と考えていただけに、探索が軍事面に偏っていたの。ホントに甘かったわ。……今後は、新田家中を含めて味方も徹底的に探索させる」


「ほどほどにな」


「……探索が行き届いていれば、今回の事態は防げていたのよ?」


「それも踏まえて、ほどほどに頼む」


 女性忍者は、怒気を隠そうともしていない。報告に同席した多岐光茂は、三日月に気遣わしげな視線を向けていた。そういや、この二人の関係性はどうなっているのだろうか?


 ともあれ、味方認識の勢力に裏切られたのは、土豪衆の一斉蜂起が起きた際に、常備軍に参加していた土豪が裏切って以来となる。挑戦された以上は、受けて立つとしよう。




 雪のちらつく三国峠を踏破してきた軍神殿が仲裁する形で、交渉が行われた。


 反新田連合勢の話を要約すると、次なようなものになる。勝ったのは我らだ、かつての結城、小山、小田の城の帰属確認はもちろん、さらに領地を割譲しろ、と。


 ふざけるなと拒否した俺は、新田とお前らの間での停戦の約定は存在しない。戦さはまだ続いている。戦場で相見えようと言明した。


 佐竹、宇都宮、里見、太田らとしては、関東管領で、新田の上位者である上杉勢が仲裁をしているからには、両者手出しはできないとの認識のようだ。


 対してこちらは、今回の侵攻で得た領地を総て返還し、賠償した上で死者に謝罪をしない限り、戦闘状態は継続する、と宣言し、以降は軍神殿の仲介を謝絶した。


 上杉側の諸将からは、賠償を支払うとしたら敗者の方だ、と諌める声が聞こえてきた。


 彼らの言うこともわからないでもない。だが、今はまだ戦さの途中である。現に、国府台方面で戦闘は続いていた。



【永禄八年(1565年)十二月中旬】


 国府台を陥落させた青梅将高は、千葉氏の本拠である本佐倉城に自ら赴き、共に里見を攻めないかと誘ったとのことだ。どうやら応じてくれそうだというから、<人たらし>の面目躍如と言えるだろう。


 古河では、上杉方の吉江資堅が間に立つ形で、対峙する両勢力の断続的な折衝が行われていた。一応は受けているのは、さすがに交渉の全面拒絶はしづらいためである。


 矛を収めるには、小山、小田、結城の旧所領を新田に返還するのが大前提だというのがこちらの立場となる。だが、彼らにはそれは受け容れがたいようだ。


 一部は旧領主の係累を復権させるつもりのようだし、他の家は自らの一族に家督を継がせる方向で動いている。




 対して、国府台を攻め落とした新田は、一部を小田原に戻して攻囲の態勢を固めている。具体的には黒鍬衆を投入し、城を取り囲むように砦群を整備し、往来をほぼ断ち切るようにしていた。


 そして、忍者による浸透も続いている。諜報の結果として、先だって出戦してきた者たちを撃退した際に、当主の北条氏政、一族の北条氏照を討ち取っていたことが判明した。残る一門衆は、今川から戻った北条氏規と、大福御前の夫の藤田氏邦、そして長老の北条宗哲が主だった顔触れとなる。


 砦の外側からは、臼砲の運用試験と鋼鉄製の加農砲の試射として、砲弾が断続的に放り込まれており、明智光秀に任せておける状態となっていた。




 反新田連合は明らかに焦れてきており、得た土地の帰属確認さえすれば撤退してもいい、と言ってきていた。当然ながら、俺の回答は拒否である。仲介役を務める吉江資堅には悪い気もするが、ここで折れるわけにはいかない。


 千葉との連携は本決まりとなり、耳聡く把握したらしい勝浦党は、内々に里見からの離反を表明した。他の水軍も、半ば調略済みとなる。


 かくして、反攻の準備は整った。




 里見攻めは、千葉勢と連携して北から飫富昌景軍団が。南からは、水軍と共同で真田昌幸が仕掛ける形となった。この頃までには、正木時忠ら正木氏の一部は里見から離反し、新田に従う旨を伝えてきている。


 そして、国府台からは青梅将高と春日虎綱軍団が松山城に襲いかかり、各地から集められた常備軍部隊も、保科正俊と同僚達の弔い合戦だとばかりに、士気高く岩付城と世田谷城に攻めかかった。


 バリスタ、破城槌、鎧梯子などの攻城器も導入し、忍者と精鋭弓兵、鉄砲隊も参加しており、里見氏、太田氏の主力が香取海北西に展開していることもあって、攻略は素早く進められた。


 これに激怒したのは、里見義堯と太田資正だった。交渉中に襲いかかるとは不正義だと、上杉勢にねじ込んだそうだ。


 ひさしぶりの対面交渉で、俺は言い放った。


「一回ごとに交渉は打ち切っていた。戦さは継続中だと、何度も言っただろう。断っても、あんたらがしつこくしつこく持ちかけてきただけだ。……留守中で手薄なところを襲うのが、お前らのやり方なんだろう? 同じことをしているだけなのに、なんの文句があるんだ」


「すぐに里見と太田の領域から撤兵しろ。しなければ、総攻めを仕掛けるぞ」


「勝手にすればいいさ」


 両者の間に立つ形になった軍神殿は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。


 新田としては、上杉が主導してほぼ実現しつつあった関東の静謐を、諸将が壊しているとの立場である。


 一方の反新田連合としては、異物である新田を排除しようとしただけだと言いたいのだろう。


 どちらの言い分も、一蹴するのは難しそうだ。だが、新田側には譲るつもりはまったくなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る