◆◆◇永禄八年(1565年)十一月 旧小田領◇◆◆◆◆

◆◆◇永禄八年(1565年)十一月 旧小田領◇◆◆◆◆


 新田が制圧している旧小田領に、軍勢が迫ってきていた。佐竹、宇都宮が東から、里見、太田が南方からと分かれており、さらには結城、小田、小山に仕えていた者達も加わっている。他では、鹿島氏や大掾氏といった香取海東岸の勢力も、主力ではないにしても参戦していた。


 また、里見と太田は千葉氏の国府台城を共同で落とし、今回の侵攻の根拠地としていた。里見が仕掛けたところに、太田が奇襲的に攻めての落城だったらしい。


 元々、佐竹や宇都宮からすれば、北条と上杉の抗争の中での漁夫の利を狙っていたのだろう。里見、太田は北条を打倒するために上杉を利用するつもりだったと思われる。そして、関係する全勢力が、このまま新田に我が物顔をされたのではたまらない、とも考えていそうでもある。


 旧小田領を預かっているのは、保科正俊軍団となる。旧結城領、小山領を任されていた飫富昌景、春日虎綱は小田原攻囲に参加している。厩橋方面からの常備軍部隊で増強はされているものの、佐竹、宇都宮、里見、太田連合が相手となると、分が悪いのは確かだった。新田と縁のある勢力としては、真壁氏も参加している。


 今回の挙兵は、新田討伐を名分としている。だが、古河を目指すその動きからは、まずは旧小田領、小山領、結城領を確保して、今後につなげたいとの思惑が透けて見えていた。


 保科正俊からすれば、新田の実力は過小評価されているように思えてならない。彼自身も参加した武田との三度にわたる戦さに、北条の侵攻を防いだ本庄城、忍城周辺での戦い、そして、小田、小山、結城領への侵攻と、見事な戦いが並んでいる。


 けれど、武家の少ない農民兵主体で、騙し討ちばかりとの印象が、特に関東諸将の間では強いようなのだった。




 新田の主力が西方に向かうにあたって、保科正俊と常備軍の将達には、変事があれば無理に戦わずに撤退するようにとの指示が出されていた。だが、民を捨てて逃げるのは、新田の流儀ではない。もちろん、元々の小山、小田、結城の領民で、新田に好感を持っていない者もいるだろう。けれど、新田領からの移住者もおり、退避を望む元々の住民も多かった。彼らが移動する時間を稼ぐ必要はあった。


 保科正俊は、退避を希望する住民を古河より西に送り出す手配をしつつ、常備軍の将達と今後の方針について打ち合わせを持った。


「それにしても、一気に情勢が変わりましたね。まさか、太田までが参加するとは……。それに加えて、殿が情勢を読み間違えるというのも、驚きましたが」


 春次という名の年若い常備軍の将の口調には、やや苦いものがある。孤児院出身ながら、能力を見込まれて抜擢された彼にとって、主君は眩しい存在である。一方で、新田においては上位者に盲従する風習はなく、護邦だけでなく重臣の判断を下位者が批判するのも禁忌とはされていない。


 首肯した保科正俊の口調に、暗さはなかった。


「北条攻めまではともかく、今川領侵攻については、焦っておられたようだった。せめて北条を攻め潰してから向かえば、また話は違ったのだろうがな」


「小田原では、城攻めを避けられたのでしょうか」


「兵糧攻めで追い詰めてからの方が、兵の被害が少ないと考えたのだろう。一方で、佐竹、宇都宮、そして太田の習性を見抜けなかったというところか」


「ですな。……殿の読み違えは、家臣が穴埋めするしかありますまい」


「なれど、護邦殿からの事前の下知には従わねばならぬ。そなたらは、退避する領民の守りについてくれ」


「いえ、保科殿のみ残すわけには参りません。ここで軍勢が逃げて、領民が蹂躙されるままとなっては新田の名折れ。状況を見ての下知の無視は、かつての北条勢侵攻時の農民兵決起を例に引くまでもなく新田の伝統です。ご懸念めさるな」


 そう応じた主将は、まだ十六歳である。隣では、四十代の副将が頷いている。


 十六歳の若者が、たった五年前に興った新田の伝統を語る。他者からすれば嗤うべきことかもしれないが、本人は大真面目である。それだけの濃密な時間を、新田の者達は過ごしてきたのだった。


 新田の常備軍部隊では、初陣ほどの年齢の者と年嵩の補佐役が組んで指揮している場合が多い。集合教育組や孤児上がりの志願者から選抜したステータス値、保有スキルに秀でた少年武将らだが、年長の兵や、他勢力との関わりにおいては年齢が支障になる場合も多い。そこを埋めるために、人格面から選抜された副将がつく配置が基本となっているのだった。


 布陣についての打ち合わせを済ませ、二人を見送った保科正俊は、気心の知れた家臣に顔を向けた。


「新田の伝統は、しっかりと根付いているようだな」


「ええ。あの者が特殊な存在ではないところが、末恐ろしいです」


 頷いた保科正俊の顔には、うれしげな笑みが浮かんでいた。




 佐竹、宇都宮の軍勢の足は早く、新田勢は迎撃に出る形になった。籠城をしていては、退避中の住民に襲いかかられる懸念がある。それを防ぐための苦渋の判断だった。


 一戦して押し戻すのを目指すが、実現できなれば各部隊の判断で遅滞戦術に徹するというのが方針となる。


 退避前に黒鍬衆が突貫工事で仕上げてくれた防御陣地で、保科正俊は、部下らと別れの水盃を交わしていた。「信濃から離れた地が死に場所になりそうだ。すまんな」


「何を申されます。信濃から妻子を呼び寄せた者も多くおります。守るべき者たちが退避する時間を稼いでいただき、感謝しています」


「だが……」


「殿、それ以上は申されますな。新田の家中で過ごしたこの一年半ほどは、夢のようでありました。そのためならば」


 その言葉に、周囲からは笑み混じりの声がかかった。


「新田は料理もですが、酒もうまかったですなあ。この杯にあるのが新田酒でないのが、やや心残りではあります。発泡葡萄酒でもよいですが」


 と、さらに別の者がからかいの声を投げる。


「何を言う、昨夜しこたま飲んでいたではないか」


「馬鹿を言え。発泡葡萄酒などなかったし、新田酒は最初のひとくちだけで、後は長野酒やどぶろくだったではないか」


 周囲に笑いがさざめく。その様子を、同席している新田の常備軍の若き主将、春次がやや眩しげに見つめている。


 保科正俊は、年若い同輩に向けて声をかけた。


「春次殿、譜代の方々を道連れにしてすまないな。護邦殿は、それこそ最初の村が撫で斬りにされたときのように、あるいは農民兵が自主的に北条勢に立ち向かったときのように、泣いてしまわれるのではないかな」


「いえ、おそらく殿は、保科殿のために泣かれるのではないかと。……目的は時間を稼ぐことで、死ぬことではありません。どうか、お命を粗末になさいませぬよう」


「うむ。そうだな。皆の者、命を捨てる必要はないぞ」


 と、また周囲から陽気な声が返ってきた。


「ですが、新田勢として自領を守るからには、皆殺しにする気でやりませぬとなあ」


「ああ、西上野侵攻時の鬼幡勢がされたようにか」


「あの折りの撤退行は、生きた心地がしませんでしたからなあ」


 周囲から賛同の声が上がる。そう、ここにいる保科勢の多くは、かつての武田による第二次上野侵攻時に、碓氷峠を休みなく攻め立てられた面々なのだった。


「さて、参りますかな」


 家老格の言葉に、水杯が一斉に飲み干される。新田の少年武将は、勢い込んで駆け去っていった。見守る一人が保科正俊に声をかける。


「あの者を見ていると、なにやら孫のように思えましてなあ」


 と、別の者がまたからかいの言葉を投げる。


「お主は独り者ではないか」


「だから、ようだと言っているんじゃないか。……殿には、護邦殿が孫のように見えておられるのではありませんかな?」


「うむ、そういう面もあるかもしれぬ」


「新田の殿は、殿になつかれておられますからなあ」


「そうなのかな。……ならば、孫のために一働きするとしようか」


 そう嘯いた信濃出身の武将は、愛用の槍を引き寄せた。




 防御陣地を利用し、相手に出血を強いたとは言え、三倍にも及ぶ敵勢を退けるのはやはり難しかった。鹵獲を恐れて、事前にバリスタ、臼砲を後方に送り、鉄砲隊、精鋭弓兵を早々に後退させたのも影響していよう。


 常備軍の各部隊が、遅滞戦術へ移行するために撤退を始めた中で、彼らの安全を図るために本陣勢はむしろ前進していた。その勢いは、目の前にいた宇都宮勢をたじろがせるに充分だった。


 けれど、一人が討たれ、また一人が倒れ、保科正俊の周囲から味方が減っていく。それでも、彼の槍は唸りを上げ続けていた。


 鉄砲が撃ちかけられ、保科正俊が膝をついたところで、鬼真壁こと真壁久幹が駆け寄った。金棒を向けることなく、膝を落とす。


「見事な戦いぶりでした。首は新田殿にお届け申す」


「頼む」


 安堵したのか、信濃出身の武将は地に身体を横たえた。既に満身創痍で、気力だけで立っていた状態だったのだろう。


「言い残されることはござるか。護邦殿にお伝えいたそう」


「かたじけない」


 と、雄叫びを上げて斬りかかってきたのは新田常備軍の若年の主将、春次だった。乱戦の中では、彼は少年兵にしか見えない。避けることすらせず、鬼真壁が大喝した。


「保科殿の最後の言葉を聞いておるっ。邪魔をするな。……もはや、戦況は決した」


 その言葉の通り、見回せる限りの範囲に新田方の兵はいない。少年武将は力なく肩を落とした。


 遺言を聞き終えた真壁久幹が、立ち上がって祈りを捧げる。


「保科殿……」


 取りすがる若武者を見下ろしながら、鬼真壁と呼ばれる猛将は部下に敗残兵を生け捕りにするよう命じた。




 保科正俊軍団が中心となって稼いだ時間によって、脱出を望む住民の多くは無事に館林以西に逃れている。


 もちろん、旧小田、結城、小山の域内から、すべての住民が退去したわけでもない。かつての領主が戻ってくるのだと喜んでいた者達もいたし、新田の統治自体には好感を抱いていても、住み慣れた土地から離れるほどではなかった者も多くいる。


 だが、佐竹や太田の武将の中から、歓迎した住民たちに刀を向けた者が幾人も出た。そして、戯れに斬り殺した上で、新田の民が、攻めてきた武家に自発的に立ち向かうなど、嘘ではないか、と嘲笑したのだった。戦場の勢いからか、被害は百人を越えた。


 足利義氏を奉じた連合軍は、そのまま古河を攻囲した。この流れの中で古河を落とされると、一気に新田領の奥深くまで仕掛けられる可能性がある。そう判断した上泉秀綱と箕輪繁朝は、各方面から兵を抽出して、古河と、さらには足利城、館林城、忍城の防備が固められた。


 そして、保科正俊が生前に依頼していた、上杉の援軍も到着する。古河を反新田連合軍が取り囲むようにして、戦線は固定された。




 上杉方の代表者的立場となる吉江資堅としても、対応に困る事態ではあった。北信濃経営を始めたばかりで、決起した諸将総てを相手に回す余裕はない。さらに、関東の諸将は上杉に対して攻めたわけではなく、新田のみを討ちたいのだとも言明していた。


 新田と上杉の約定は、不可侵であって、攻守同盟ではない。少なくとも現状は、そういうことになっていた。


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