【永禄八年(1565年)十月上旬/十一月上旬/十一月中旬】

【永禄八年(1565年)十月上旬】


 関東の情勢が安定していることから、西進計画が発動された。船上からの臼砲による砲撃は、まだ試験実施段階だが、それでも威力を発揮してくれている。


 予定通り、旧結城、小山領から飫富昌景、春日虎綱軍団を呼び寄せ、小田原に抑えとして残して西進が行われた。香取海北岸・西岸地域には、厩橋、箕輪辺りから常備軍を転任させている。


 戦端を開いた後ではあったが、今川との交渉を持った。異例だが、当主同士の直接交渉となる。


 あちらからは、今川氏真と祖母にあたる寿桂尼が、こちらは俺が出て、どちらも重臣が同席した。


「すまんが、海外線一帯を攻め取らせてもらいたい。内陸には手を出さない。こちらの都合だが、上杉と武田と不可侵同盟を結んだ関係で、西への道が塞がれそうでな。松平と勢力圏を接するのが目的となる」


「そちらの都合だけで、名分もなく攻め込むとは、なんと無茶な」


「無茶なのは百も承知だ、決戦をしてもかまわないのだが、申し出を受けてくれるなら、今川の存続のために力を尽くそう」


 いや、確かに無理筋なんだ。ただ、こちらも生き残りがかかっているわけで。


「海岸線とは、どこまでです。田畑は取らないと申されますのか」


「うーん、自活できるだけの田畑は、正直欲しいが、条件を出してくれれば考える。海岸線の城と、水軍を傘下に収めるのは譲れない。他は、わりと柔軟に考えるぞ」


「海への出口がなくなれば、通商ができなくなるではありませんか」


「いや、確保した湊についても高額の津料を課すつもりはない。さすがに入港料くらいは、維持費向けに残させてもらうが、他は自由に交易してくれ」


「漁民はどうなります」


「湊に魚を卸して、それを誰が買うかは、商人に任せる形でどうだ」


 どうやら武田から圧迫を受けているらしく、今川はだいぶ苦しいのだろう。氏真は不満そうだが、寿桂尼主導で概ねの話はついた。






【永禄八年(1565年)十一月上旬】


 今川との話がついたからには、抵抗は皆無ではないにしても、散発的である。


 先陣が遠州灘を進み、御前崎の新野城に到達したところで、急報が入った。高天神城が武田家に攻め落とされたという。


「なぜ、武田がそこにいる」


「どうやら、今川の危急を救うためとして、天竜川を下ってやってきたようです」


 それでも、だいぶ距離があるはずだった。


「曳馬城を素通りして東進してきたのか」


「新田に対抗するとの話で、現地の豪族たちを強引に説き伏せたようです」


「通り抜ける隙は……、ないんだよな」


「はい、海沿いまで武田の旗が翻っていました」


「やられた」


 新田の今回の駿河侵攻が、西への進路を欲してのことだというのは、特に秘匿してないし、今川にも通告済みである。となれば、今川から手引きがあったのか……。


 当然ながら、義元を失った今川の家中も割れていて、決して一枚岩ではない。まして、遠江辺りとなると、従属国人衆の支配地がほとんどとなる。


 ともあれ、武田によって進路を塞がれたのは間違いない。武田からすれば、新田の今川領への進出に対応するためとの名分が立ち、今川と遠江、三河の国人衆、また松平にも睨みを効かせる妙手ではあるのかもしれない。


 押し通ってしまうかとの考えも過ぎったが、同盟破棄を幾度もしてきた武田相手とはいえ、上杉を交えて交わした約定を破るのは危険である。まして、今回の武田の行動については、講和の精神から外れているとは言い難い。


 水軍だけで先に進んでも、孤立してしまう。奥州でならともかく、武田と織田、そして松平がひしめくこの先で、飛び地の獲得は無謀過ぎる。


 かくして、新田の西進計画は一頓挫を迎えたのだった。




【永禄八年(1565年)十一月中旬】


 西方への道が閉ざされた以上は、長居をする必要はない。確保した城の防備を固める手当てを済ませて、関東へ戻るとしよう。


 海沿いのみを確保した関係から、事実上の主力は水軍となる。そこは伊豆に拠点を確保した九鬼嘉隆に任せ、各城の統括役には真田幸綱を置き、依田信蕃、真田信尹の若手組を付けてみた。


 配置を追えて、東へ向かおうとしたところで、急報が入った。佐竹、宇都宮、里見、さらには太田が連合して、新田を討伐しようと挙兵したというのである。足利義氏を奉じて古河を目指しているらしい。


 上杉勢の大半は越後へ去り、新田の主力は小田原城攻囲と東海方面へ転じている。そして北条は小田原に押し込められているからには、関東の西半分は、武力面で真空地帯に近くなる。


 近畿への道を塞がれる恐怖から、西へと目を向けすぎた。そして、佐竹と宇都宮が仕掛けてくることはあっても、太田が加わるとは正直思っていなかった。


 相前後して、足利義氏の側近となっている鷹彦からの同じ件での急使もやってきた。佐竹を頼っている古河公方は、事前に相談される立場ではなく、決定を通告される状態のようだ。


 そして、嫡子の佐竹義重が方針に反対し、謹慎させられているとの話も出ていた。そういや、まだ代替わりしていないのか。


 しかし、この状況は正直まずい。一気に崩壊するとまでは思わないが、一時的な敗勢とはなるだろう。


 東への出立前には、再び今川と交渉を持った。現占領地の海沿い部分のみ確保し、今後は攻め込まないと約束する。水軍と港湾はこちらの支配下に置き、海賊行為は組織としてはさせず、周辺の町の防備と治安維持には力を尽くす。


 また、物資の流通は制限せず、商いも自由とするのを確認した。


 寿桂尼は、やや肩を落としている。


「今川の今後はどうなります」


「どうなると言われても……。武田との同盟が生きているのなら、共に西を目指されてはいかがか。義元公の目指された道だろう」


「新田が不可侵の約定を守る保証がどこにあるのです」


「戦国の世に保証は難しいが……。新田は、他勢力との約定を破ったことはないぞ。上野の金山城を不意討ちしたとか言われているようだが、先にあちらが攻めてきたわけだしなあ。約定も別にしていなかったし」


「これまでしなかったとしても、今後もしないとの保証にはなりません」


「それはそうだが、新田から人質を送れば、信じられるものでもなかろう」


「こちらからの人質は?」


「不要だ。有望な若者を預かるのは歓迎だが、その場合もいつでも復帰して構わん」


 そうして、今川とのひとまずの手打ちは成立したのだった。まあ、新田の苦境が大きくなれば、仕掛けてくる可能性はありそうだが、そうなったら、いずれ攻め込む名分が立つのだと割り切ることにしよう。


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