【永禄八年(1565年)六月下旬】


【永禄八年(1565年)六月下旬】


 深志城攻防戦が引き分けとなり、諏訪への牽制的な出兵が行われたのを踏まえて、上杉、新田共同での武田との交渉が持たれることになった。


 小田原攻囲は緩やかに継続中で、相模の実効支配が進んでいる。その間に、新田は水軍を動員して伊豆攻めを進めていた。これまでもバリスタは艦載していたが、今回から臼砲の試験を始めている。そちらは、九鬼澄隆が率いる船団に、芝辻照延と桔梗が乗り込んで試行錯誤しているそうだ。


 伊豆攻めには、新規加入の三浦水軍も参加している。新田水軍は、新田勢と九鬼勢、勝浦勢を含めた混成状態だが、そのわりには連携が取れているようだ。結果として、伊豆勢も抵抗はそこそこに降伏してくる場合もあった。


 同時に、陸上からの侵攻も進めている。




 伊豆半島の先端の下田は押さえ、東岸もほぼ手中に収めた。これで、相模湾の海上封鎖が実現できる。実際には、海からの援軍や糧食支援をしてくる勢力はそもそも多くないのだが、心理的な痛手を負わせる目的もあった。


 そんな中で、武田との講和会議が開かれた。場所は諏訪の高遠城である。


 この時代、大名同士が戦場以外で顔を合わせる場面は、ごく限定されるようだ。上洛か、軍勢を率いた侵攻時でもなければ、他国に赴くことはなかなかないらしい。そう考えると、前回の小田原攻めは、だいぶ貴重な機会だったのだろう。


 上杉からは、直江実綱と斎藤朝信、河田長親が。


 武田からは、内藤昌豊、馬場信春、そして甘利信忠が。


 新田からは、芦原道真と明智光秀、上泉秀綱が、それぞれ出席した。


 北条の扱いでやや揉めたようだが、新田が伊豆半島の西の付け根、沼津の水軍根拠地である長浜城を手中にして、三島方面からの北上を始めたところで、妥結に至った。


 結論は、現状での不可侵となる。武田の本領である甲斐は、ぐるりと上杉、新田に囲まれた状態にある。軍神殿も、講和に応じぬとあらば攻め潰すとの腹は固めており、武田が折れた形となった。


 武田にとっては同盟破りは日常的なものなので、今回の和議は一時的な止戦のつもりだったのかもしれない。


 これが、武田と新田の一対一での講和であれば、いつ破られるかとひやひやして過ごさざるを得ない。けれど、今回は上杉が参加している。


 自分が中心になってまとめた講和を、武田が一方的に破れば、軍神殿は今度こそ武田を攻め滅ぼすのをためらわないだろう。いや、制止しても単独で攻めかかるかもしれない。同時に、新田としても武田との手切れは簡単ではなくなったわけだ。


 信濃では、元時代での小諸市にある小諸城と、同じく上田市の戸石城が新田領となった。川中島を睨む海津城と、千曲市に近い葛尾城、松本市の深志城に、甲斐を抑え込むための前進基地である佐久の海ノ口城が上杉領となる。


 このうちの海ノ口城は、他の上杉領とは離れているため、上杉勢が新田領を通過するのが前提の配置となる。上杉と新田は、少なくともこちらの方面では、事実上の攻守同盟となる。まあ、関東での連携ぶりからして、今さらの話ではあるのだが。


 信濃の守護だった小笠原長時だが、前線である深志城を渡すのは、さすがに軍神殿も躊躇したようで、信濃全体の統括者として、皆で尊重する形になった。本人は抵抗したものの、上杉から離れれば、武田との不可侵の話は適用されないとの光秀の脅しに、渋々と応じた状況だったらしい。


 武田の家中は、さすがに混乱しつつあるようだ。嫡子の義信は、史実では親今川派をまとめる形で信玄の排斥を目論み、自害させられてしまうが、その際に同心したとされる飫富虎昌は既に故人となっている。


 信玄が向かう先は、どちらになるのだろうか。斎藤氏が健在の美濃から西を目指すのか、三河で足場を固めている松平を圧迫するか、義元を失った今川を、北条が無力化しつつあるために甲相駿三国同盟が失効したとして攻め潰すのか。


 最後の選択肢が採られれば、妻が今川家の出であることもあって、親今川とされる武田義信が抵抗する可能性もある。まあ、まずは様子を見るしかないか。




 軍神殿は、足柄城に小田原城の抑えとして本庄繁長を、河越城に長尾藤景を置き、古河には吉江資堅が指揮する守備隊を残して、帰国することになった。


 上杉勢で確保した北条の城のうち、世田谷城は太田氏に与えられ、その他の城は新田に渡された。佐野氏にどこかを渡そうとの話は出たのだが、遠隔地の城をもらってもどうにもならないからと謝絶された。情勢が落ちついたら、旧小山領や、あるいは足利城域を割譲するのもありかもしれない。


 北条の領域は小田原城域を残すのみで、相模の西半分ほどとなる。それでも、現時点で抱えている兵力は侮れない。彼らの対応は事実上、新田に任された状態となるので、冷静に進めるとしよう。


 関東はひとまず収まったが、軍神殿の上洛話は潰えている。いや、関白殿からすれば、今でも来てほしいのかもしれないが、将軍が殺害されたとあっては、効果も限定的であろう。


 上杉はこの二年ほど、関東から北信濃にかかりきりだったので、しばらくは越中、越後、出羽方面の手当てに集中することになるだろう、とは河田長親の分析だった。




 北方からは、侵攻してきた浅利勢を押し戻したとの知らせが入った。やはり、小金井護信、静月夫妻が活躍しているらしい。


 また、湊安東の血を引く娘が、雄物川流域の勢力や旧湊安東勢、商人らに担がれて檜山安東に対抗しようとの動きが出ているようだ。土崎湊の津料引き上げは、かなりの勢いだったらしく、反感が強まったのだろう。


 それだけなら、重要ではあるものの、対応の必要性は低い話だった。


 だが、その娘の隣に佐野虎房が立って、共に勢力を率いる見込みだとなると、話は変わってくる。


 北へ向かいつつあった佐野昌綱と軍神殿を捕まえて、話ができたのは河越城でだった。かつて、この場に人質としてやってきた虎房丸少年の、たおやかな佇まいが思い出される。


「……というわけで、佐野虎房殿が復権を図る湊安東の婿養子的な状態となって、檜山安東とのお家騒動に参加する可能性が高まりました。場合によっては湊安東の当主となるかも。いかがしましょうかな」


 困惑した様子なのは、佐野昌綱だった。


「いかが……とは? 虎房は我が実子ではあるが、嫡子ではないし、既に護邦殿の家臣となっている。新田の下知に従うのが筋であろう」


「ただ、佐野家として……」


「できる限りの応援はするが、奥州ではなあ」


「うむ。護邦殿が支援するがよい。まあ、既に我が猶子とはしてあるし、行き先が固まったのなら、養子にしてもよいぞ」


「ただ、勝ち残れるとは限りませんぞ。その場合には、養子とした事実が残ってしまいますが」


「なら、婿入りして湊安東の家督を継ぐ目処が立った場合に限って、ということでどうだ。遠方ゆえ、その処置は新田に任せる。そういうことなら、その上でさらに護邦殿の猶子にするのもありかもしれんぞ」


「それはよいですな」


 実父であるはずの佐野昌綱が、どこか他人事めいた楽しげな反応を見せている。いいのか、それで。


 まあ、出羽で上杉の家名の価値は高そうだから、ありがたい話なのだろう。北方への伝え方は、ややむずかしいが。


 そのあたりの伝達役兼鉄砲大将として小金井桜花を、そして援将として雲林院松軒を送り込むと決めた。


 この二人の関係は進展しているようなので、仲が深まるか、逆に切れるかの決着は、北方でつくことになりそうだ。破綻した場合でも、二人の気性からして、連携に問題は生じなさそうとの安心感もあった。



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