【永禄八年(1565年)五月下旬/六月上旬】


【永禄八年(1565年)五月下旬】


 四月には甲斐から武蔵方面に武田勢が断続的に仕掛けてきたため、都度対応を行う必要に迫られた。


 ただ、本格的な戦闘には至らず、上杉勢と新田、佐野の援軍を投入し、相手を撤退させることに成功していた。


 その裏で、鎌倉の制圧が実施された。各個撃破されるのを嫌ったのか、北条は守備兵を撤退させており、事実上の無血開城となった。


 鎌倉から、先年の前進基地となった高麗山までは、大きな城は存在しない。高麗山までを制圧し、足柄城と高麗山に軍勢を集めつつ、鎌倉を本拠地として攻囲の準備を進めていると、西方から急報が入ってきた。


 十三代将軍の足利義輝が、殺害されたというのである。手にかけたのは、三好三人衆だったそうだ。細かい日付までは記憶していないが、史実通りの動きとなる。


 近畿を半ば制していた三好長慶だったが、前年に死去している。しかも、それ以前に弟の十河一存が病死、弟の三好実休は戦死、嫡男義興も病死して、弟の安宅冬康を自害に追い込むなど、家中はだいぶ混乱していたそうだ。


 将軍の義輝は、三好との連携からの自立を目指していたようでもあり、そのあたりが誘因となったのだろうか。


 京の風聞としては、わりと日常的に行われていた強訴と呼ばれる無理やり気味な折衝を仕掛けるつもりだったのが、何かの拍子で殺害に至ったのでは、という見方も強いらしい。まあ、日常的にそんなことをする関係性であれば、いつ殺害に至ってもおかしくないのかもしれない。


 義輝の元での秩序回復を期待していた軍神殿は悲嘆に暮れ、三好勢への鋭い呪詛の言葉を吐いた。この人物の悪相を目にするのは久々だが、やはり迫力がすごい。


 前代未聞だとも嘆いてたが、実際には室町幕府の将軍では、足利義教が赤松氏に討たれている。まあ、それを指摘しても仕方がないので、同調しておいたけれども。




 軍神殿が立ち直れないようだったので、その間に鎌倉と周辺の実効支配を進めることにした。


 鎌倉はやはり都会であり、関東の武家にとっては象徴的な町でもある。代官としては宰相的存在である芦原道真を置いて、内政組で最年長となる里見勝広に補佐させ、警備を雲林院松軒に任せることにした。もちろん、行政官僚的な下僚は大挙呼び寄せている。


 その間の厩橋の政務は、箕輪繁朝に任せていた。


 ただ、鎌倉に根を張る商人も高利貸しも一筋縄で行くものではなく、さらには寺社勢力の発言力も強い。基本的には道真に任せるにしても、判断に迷うところが出てきそうなので、俺もできるだけ張り付くようにしていた。


 そんな中で、北方からの船が帰着して、最新の情報がもたらされた。


 新田の根拠地である十三湊と、北畠氏が新たに獲得した野辺地湊が連携を深め、蝦夷地交易は活発になっているそうだ。


 そうなると、安東氏が抱える土崎湊の存在感が低下するのは自然な流れとなる。雄物川流域の商材があるため、まったく需要がないわけではないが、やはり蝦夷地交易とは規模が異なる。


 安東氏は交易船の立ち寄りが少なくなったことによる津料の減少を、値上げで穴埋めする方針を取ったそうだ。


 ただ、そうなれば交易船の寄港がさらに減るのは必然である。その流れに危機感を抱いたのか、安東氏は南部との抗争は続けたままで、事実上の従属勢力である浅利氏をして大浦氏を攻めさせる選択をした。


 そうなると、北畠・大浦・新田連合としては、南部系の七戸氏、八戸氏と安東傘下の浅利氏との二正面作戦の形となる。安東と南部も和解したわけではないようで、事実上の三つ巴の戦いが展開されることになった。


 激しい展開だが、小金井護信あたりはうれしげにしていそうだとも思える。そして、現状の十三湊新田の束ねである神後宗治も、不敵な表情を浮かべていそうだ。


 小田原攻めを控えた現状では、大規模な援軍を出すのは難しいが、武将の派遣は考えた方がよさそうでもあった。




【永禄八年(1565年)六月上旬】


 小田原攻囲の準備が整い、上杉、新田、佐野の軍勢が配置についた。すぐに力攻めしようというよりは、周囲との交通を極力遮断して、力を削ぐのが目的となる。やや長期の攻城戦となるのは想定済みだった。


 俺自身は、鎌倉に拠点を置いて、伊豆攻めの準備を進めていた。伊豆方面の幾つかの水軍は健在であるため、まだ海の支配は万全ではない。


 そんな折り、江戸湾に南蛮船が来航したとの急報が入った。


 え? ペリーの黒船? と思ってしまったが、さすがに時代が三百年くらい違う。内心で赤面しながら、俺は新田水軍の早漕ぎ櫂船に飛び乗った。


 やがて見えてきたのは、確かに南蛮船だった。掲げられているのは、白地に赤いX字のスペイン帝国の旗なのだが、なぜか舳先付近では新田の大中黒の小旗が振られている。


 船長に接近を求めると、さすがは水軍衆で、鼻先を横切るような大胆な動きを見せる。俺に気づいた様子で手を振ってきたのは小桃だった。




 鎧島に南蛮船が停泊しているのは、なにやら感慨深いものがある。やや窮屈そうだが、我慢してもらうしかない。


 島内の施設も整備されてきており、だいぶ居住性は高まっている。赤毛の南蛮商人は、物珍しげに周囲を眺めていた。


「で、どうしてこうなったんだ?」


 俺の問い掛けに、耕三の隣にいる小桃が声を潜めた。


「かつてのご指示にあった、ねーでるらんとの出身らしい商人です。南蛮人同士の諍いで長崎に入れず、困っていたようでして、連れてきました」


 該当する人物がいたら報告してくれとは言ったが、連れてこいとまでは……。ただ、話が早いのは間違いない。


「通訳を頼む。……スペイン帝国は広いが、出身はどこだね」


「ねーでるらんとだ、と言っています」


「北部七州か? それとも、南部十州の方か」


 通訳された言葉を聞き、やや目が見開かれた。そうなると瞳の蒼さが強調される。


「北部だ、だそうです」


「そのまま訳してくれればいい。……ホラント?」


「いや、ぞいどほるんだ」


 リーフデ=フォン=エルゾンという名乗りは俺にも聞き取れた。


「リーフデとは、よい名だな。……詮索してすまん。いずれにしても、歓迎する。まずは乗組員ともども、ゆるりと過ごされよ」


 これが、戦国での俺の南蛮人との初接触となった。




 船長であるリーフデと、第二航海士に水夫数人が厩橋に同行した。その他の乗組員には、鎧島で歓待が行われるはずである。


 早漕ぎガレー船で厩橋に到着すると、食事やら湯浴みやらをさせた後で、城へと招く。安心感が得られるように、耕三と小桃も一緒である。


「幾らでものんびりしてくれ。明に持ち込むのに向く積み荷も用意できる。ただ、毎度江戸まで来てもらうわけにもいかんよな」


 小桃による通訳が往来して、相手の事情が明かされた。


「資金が枯渇しているそうで。恵んでもらうわけにはいかないのでは、と言っています」


「修道会にでも目をつけられたのかな。……なら、傭船契約でもするか。当家が北に派遣している船団に同行してもらえれば、謝礼を支払おう」


 通訳が挟まる間も、耕三は謹厳な表情を崩さない。今回は、どんな献立の交流があるだろうか。


「歓迎だが、いいのか? と訊いています」


「ああ、困ったときはお互い様だ。次の船団出発までは少し間がある。ゆっくりしてくれ」


 最初の会見は、こうして短めに済まされた。なんか、商売っ気のない人物ではある。




 澪と子どもたちと遊んでいると、三日月が通りかかった。


「よう、三日月。最近、よく会うな」


「なによ。厩橋にいちゃ悪いっての?」


 ご機嫌斜めそうなきつめの表情ではあるが、声音はそれほどきつくはない。


「そんなこと言ってないじゃないか。……才助の指揮ぶりはどんな感じだ?」


「手堅いし、視野も広いし、得難い人材ね。ただのもっさい忍者かと思ってたんだけど」


「それはなにより」


 と、そこに信濃方面の情勢報告のために多岐光茂が入ってきた。三日月は入れ替わるように、ぷいっと効果音が入りそうな風情でその場を離れた。


 深志城が無事に持ちこたえているようで安堵していると、報告者が離れようとするタイミングで、澪がいたずらっぽい輝きを瞳にたたえて近寄ってきた。


「ねえ、護邦。三日月ってば、なんかおかしかったでしょ」


「いや、あいつは最初からわりといつでもおかしいけどな」


「そういうことじゃなくって」


 澪の目配せは、穏やかな表情を浮かべて去りつつあった多岐光茂に向けられている。静月の後任でありながら、忍者の育成も束ねているこの人物は、今や新田の家中でも指折りの重臣である。


「光茂がどうかしたのか?」


 悪い噂はまるで聞かない人物だが、それだけになにか深い闇でも抱えているのだろうか? 疑念の籠もった視線を向けると、三十男だというのに可愛らしく首を傾げてくる。笑みを返すと、あどけなさすら感じられる笑顔になった。


 信頼すべき諜報部門の長が立ち去ったところで、澪が種明かしをしてくれた。


「実働部隊を才助に任せているのは本当でしょうけど、それにしても必要以上に厩橋にいるのは、光茂に会うためだと思うのよ」


「仕事の絡みか? 静月とはやり方は違うだろうけど、よくやってくれてると思うけどな」


「違うの、そういう話じゃなくって」


 声を落とした澪は、懸想しているのではないかと口にした。


「いや、しかし……」


「わかるのよ。あの視線の送り方は間違いないって」


 澪が恋愛事情に通じているとは思えないが、やけに確信ありげだったので、反論は控えておいた。




 蜜柑は鎌倉で盗賊討伐隊を切り回していて、澪が子どもたちを寝かしつけているため、俺は寝所でゆったりと過ごしていた。雲取屋の布団はここ数年でめっきりと高度化していて、ふっくらと心地よい。


 と、風が動いて腹の上に重みが加わった。首元に苦無が押し付けられる感覚は、実に久しぶりである。


「よお、三日月。なつかしいな、これ」


「澪からなにか吹き込まれてたでしょ。余計な気を回したら、殺すわよ」


 疑惑が真実でなければ、ここまで鋭い反応になるはずもない。そう判断されるとわかっていても、防ぎたい事態があったわけか。


「いや、なにかするつもりはないぞ。ただ、ちょっと機会があれば橋渡しでもと思ってはい……」


 言い終える前に、室内に痛烈な殺気が満ちた。


「待て待て、わかった。気づかない振りで、生暖かく見守るから」


 苦無が振り上げられたところで、扉が蹴破られた。飛び込んできた小さな影が、三日月に襲いかかる。


「くしぇものっ」


 舌っ足らずなその声は、我が娘、柚子のものだった。空振った斬撃が、俺の腹に痛撃を与える。……どうやら、得物は木剣だったようだ。真剣だったら、命の危機だったかもと思える勢いだった。


 窓から闇に消えていった忍者に、柚子が木剣を投げつける。いや、待て、お前まだ四歳だろ。


 遅れて林崎甚助が駆け込んできて、厩橋城内は諜報部門を中心に静かで深刻な騒ぎとなった。


 中でも多岐光茂は自主的に謹慎を申し出てきて、思い留まらせるのに苦労した。結果として、くノ一が内密の報告があって忍んできたのを、柚子が刺客と誤解したとの話でまとめたのだが、それはそれで防諜面で問題だとの話になったようだ。


 自責の念に苛まれた様子の多岐光茂を見ると悪いなあと感じるのだが、同時に、別の意味でお前のせいだ、とも思う。


 まあ、まだ独身だし、三日月の苛烈さとこの人物の穏やかさはいい取り合わせなのかもしれない。本人たちに察せられないように見守っていくとしよう。


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