【永禄八年(1565年)三月上旬/三月下旬】

【永禄八年(1565年)三月上旬】


 信濃の深志城を武田勢が攻め、攻防戦が展開されているとの一報が、碓氷峠を越えて入った。


 さすがに気を揉む様子の軍神殿に、俺は声をかけてみた。


「武田の目が北に向かっているのであれば、北条攻めを中断して南から攻め入れば、武田を滅ぼせるかもしれませぬぞ」


「ふむ……。だがなあ、甲斐の本領まではなあ」


 顎をつまみながらの答えは、なんとも力がない。


 この人物はやはり、宿敵とされる武田であっても、他勢力を滅ぼすことに積極的になれないようだ。一方の武田信玄は、上杉を攻め潰す機会が訪れれば、なんのためらいもなく実行しそうであるが。


 今回の侵攻では、伊勢こと北条を攻め滅ぼすことに……、少なくとも、小田原城攻囲に至るまでに、支城は総て制圧する、との方針に同意はしているが、本心では気が進まないのかもしれない。


 ただ、まあ、約束したことを言を左右にして怠る人物でもない。その点は信頼できるのだから、文句をつける筋合いはないのだろう。




 そして、制圧した土地への物資の供給もまた、手厚く実施している。今回は逆襲を許さないよう動いており、一気に領民を味方に引き入れる構えだった。


 どの勢力が攻め落としたかに関わらず、新田による糧食供給は行われ、屋台を巡回させての蕎麦、うどん、シチューなどの配給も行われている。


 城ごとに内政能力に長けた城代と、常備兵部隊が配されていき、高利貸しの制限、盗賊追捕活動も開始される。


 事実上の新田支配の確立だが、軍神殿とはひとまず鎮撫を優先しようとの話でまとまっている。




 侵攻を進めながらも、佐野勢、上杉勢との交流は続いている。


 佐野勢の山上氏秀、天徳寺宝衍はこちらの剣豪勢と交流を深めていた。剣聖・上泉秀綱は厩橋に残留していて不在で、諸岡一羽、雲林院松軒、林崎甚助が今回参加の顔触れとなる。


 出先での稽古も、彼らにとっては慣れたもので、二人は楽しげに汗を流していた。


 佐野氏との交流は、新田にとっても重要な意味合いを持つ。上杉との関係性は良好だが、今後の展開でいつか手切れにならないとも限らない。そう考えれば、関東の豪族衆である佐野氏との縁は大事にしたいところなのだった。


 現状では、佐野氏の周辺を新田と上杉で固めてしまっていて、これが戦国SLGであればいずれ佐野氏が攻撃を仕掛けてくる可能性もある。ゲーム内では、それ以前に外交交渉で従属、臣従を持ちかけるのが対応策となるが……。


 本来、まったく自分のためにならない北条遠征に、こうして兵を出してくれているのである。その意気は買うべきだし、共生の試金石としたいところだった。




 上杉勢の中では、斎藤朝信、甘粕景持、長尾藤景、本庄繁長らと密な交流を続けている。彼らはそれぞれ城持ちの領主でもあるため、越後との通商を盛んにする方向性からも、付き合いを深めたいところなのだった。


 そして、今回は近習衆の河田長親と鯵坂長実も一隊を率いて参加している。これまでは、ほぼ初体験らしい統率に気を取られて余裕がなかったようだが、ようやくお茶会に顔を出してくれた。


 今回の小田原攻めは、道中の城を攻め落としながら進んでいる。中でも、武田と近い城には守兵を配し、必要に応じて補強工事もしながらなので、速度はどうしても上がらない。そのため、逆に交流する余裕が持てているのだった。


 いつだったか、主君と距離のある配下とも交流するようにと助言したことがあったが、河田長親は上杉家中でもやや距離が感じられる揚北衆や長尾藤景らと積極的に話をするようになったらしい。


 新田と組んでの武田戦、そして今回の北条戦がこれまでのやりようとだいぶ違っていたのは、どうやらこの人物の献言もあったからのようだ。


 史実の軍神殿は戦さでの勝利こそ重ねたものの、その勝利を活かすことなく苦境に陥っていたのは否めない。


 信濃に緩衝地帯を設けて武田を抑え込み、新田を活用して北条を討伐する今回の動きは、成功に終わればだいぶ道が広がるはずだった。その上でどこに向かうのか……、上洛を目指すのか、越後の安定を優先するのか、出羽を押さえにかかるのか、そこは家中で相談して決めてくれればよいわけだ。


「それで、長親殿。軍神殿は、北条を滅ぼす覚悟は固めておられるのかな?」


「さて……。関東の鎮撫にも、武田を抑え込むのにも、少なくとも北条を圧迫する必要はお感じのようです。……そして、伊勢と呼ぶことがなくなり、北条の名をお認めのようです」


「ようやく真摯に向き合ったということなのかな。新田が北条を打倒したら、どうなるだろうか」


「殿は、新田殿が関東の西部に安寧をもたらしている点は、高く評価されておられます。ただし、その前提となる、豪族の廃絶はどうにも得心がいかぬようなのですが。……大事なのは結果だと、それがしは考えます」


 この河田長親も、単純に主君の目指すものだけを追い求める状態からは脱却したようだ。


「手段は否定すべきと思いながらも、結果は否定しづらい、というところか。ならば、そのまま進むのがよいか」


 若き武将は首肯こそしなかったが、この場合の沈黙は雄弁だった。


「ところで、藤景殿への軍神殿のお怒りは解けたのかな? 今回の出兵の後も、関東に留めるべきだろうか」


「いえ、一連の動きで、お互いの悪感情はだいぶ薄らいだと思われます。おそらく、越後へ戻すのではないかと」


「それは安心だ。……今後も、だれか関係が悪化しそうな者が出たら、関東で預かるのもありかと思う」


「助かります。ですが、そのような状況が生じないように努めたいところです」


 紅茶をすすった軍神殿の腹心は、自信に満ちた表情をしていた。


 史実では、この若き武将が表舞台に立つのは、越中の一向一揆との戦さの頃からだが、それ以前に経験は積んでいたはずである。現状の使われ方が重いのか軽いのかは、どうにも判断がつかなかった。




【永禄八年(1565年)三月下旬】




 上杉勢は、津久井城から小田原城を睨みつつ、足柄城を制圧した。津久井城は、元時代の相模原市で、足柄城は南足柄市にあたる土地にある。どちらも山地越えとはいえ武田と領域を接するため、守備兵は多めに配置する形となった。


 新田は、佐野勢と水軍と連携しながら小机城、玉縄城、三崎城と落としていった。小机城は横浜市、玉縄城は藤沢市、三崎城は三浦半島の先端の三浦市に位置している。


 水軍の拠点についても、制圧を進めている。今回は、かつての北条によって奪回されるのを見越した軽めの制圧ではなく、本気モードだった。その方針は事前に通告済みで、無血開城に近い場合もあれば、徹底抗戦を行うところも見られた。ただ、実際は、この辺りの水軍が束になってかかってくるのならともかく、小勢力単位で抵抗されても、淡々と攻略していくだけとなる。水上でもバリスタは有用な兵器として活躍してくれている。


 同時に、六浦などの周辺の湊も、事実上の支配下に組み入れていった。




 六浦湊を制圧したタイミングで、三河方面に派遣した忍者が本多正信と伊奈親子を連れてきてくれた。


 本多正信は足をやや引きずっているが、二十七歳の時点で内政と智謀がどちらもA+と期待できる状態となっている。一向宗対応については、その局面が来たら考えよう、との話でひとまず落着させた。実際には、関東には一向宗の勢力はほとんど及んでいない。布教するほど魅力のある土地ではなかった、というのが実情なのかもしれない。


 十五歳で穏やかな顔立ちの伊奈忠次は、内政だけが飛び抜けて高くてA+。治水関連のスキルも既に見えているので、非常に期待できそうだ。


 一方で、あまり期待していなかった伊奈忠次の父の伊奈忠家は、初見の<植林>スキル持ちで、意外な掘り出し物……というと表現が悪いが、戦力になりうる人材のようだ。年齢も三十七で、まだ老け込む年頃ではない。


 木材の伐採に対しての植林もあろうが、果樹林造りにも適用されるのであれば、非常に有用となる。こう考えると、有名な者ばかりを得ようとするのは、もったいない動きなのだろうか。


 いずれにしても、史実武将からのスカウト組は明智光秀に続いての二組目となる。今後は、どうやって探すべきだろうか。どこかが滅ぶような際には、俺が直接人材探しに赴くべきなのかもしれない。

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