【永禄七年(1564年)十二月】

【永禄七年(1564年)十二月】


 蜜柑に続いて、澪も無事に出産を終えた。俺にとって第五子にして二人目の男子、澪からすると第二子で長男ということになる。


 汐次郎と命名されたその子は、なにやら美形そうな雰囲気で、新生児に特有とされる微笑で侍女らをめろめろにしていた。末恐ろしい。


 長女の柚子は既に三歳になり、厩橋城を元気に駆け回っている。柑太郎と渚は同月に産まれた一歳だが、身軽に立ち上がった渚に対して、まだジタバタと二次元状態の柑太郎とで、だいぶ様相が異なっていた。


 柚子の同じ時期を思い返してみると、大きめだったためかまだ立ち上がってこそいなかったが、素早く寝返りをして移動していた印象がある。さて、来夢や汐次郎はどんな成長を示してくれるのだろうか。


 家中からは、子が無事に成長するかはわからないので、さらなる子作りをと求める声もあるが、そこは自然に任せようとも思っている。側妻を増やすようにとの提案もあるが……。


 


 北条を押し戻したからには、ひとまず安定した状態で春からの再始動かと思っていたところに、松山城が陥落したとの知らせが入った。太田資正の廃嫡された息子、太田氏資が再び決起し、手中に収めたのだという。


 かつて小田原攻めの折りに言葉を交わした際には、それほど腹が据わった人物にも見えなかったのだが、意外なしぶとさと言えそうだ。どうも、岩付太田の家中に、反資正派と呼ぶべき集まりがあるらしい。必ずしも親北条のわけではないとしても、現状ではそう見える。


 まあ、周辺は新田と上杉で囲んでいるため、影響は限定的だが、要地の城を二度も息子に落とされた太田資正に対して、軍神殿はやや怒気を発していた。




 この頃には、古河公方を称する足利義氏や古河公方家の中心人物が去ったために、どこまで復興されるかがやや微妙な情勢の古河から、厩橋に多くの移住者が訪れるようになっていた。町割りはさらに広げ、職種ごとに分かれるように誘導している。


 そんな中で、俺は古河の東方に広がる武田からの転入組が治める地域を訪れてみた。全般的な状況としては、兵糧を分配したのもあって、わりと穏やかな情勢となっている。まだ安定度は低いため、開墾の進捗はそこそこだが、翌年の田植えに向けた肥料の準備なども進めている。




 元時代の結城市を中心とする旧結城領は、春日虎綱によって治められている。


 今回は箕輪繁朝を連れての訪問で、想像通り書物話で盛り上がった。春日虎綱は武田信玄の近習時代に、同僚から平家物語などの概略を聞かされて軍記物に魅せられたそうで、いつか自分の経験もまとめてみたいとの想いを抱いていたそうだ。


 箕輪繁朝は、いつの間にか新田の事績を書き記していたようだ。日記のようなものかと思ったら、同時代史と表現してもよい内容だった。


「繁朝殿、これは見事ですな。それがしにはぜひ、武田から見た新田について書かせていただければ」


「それはよいですな」


「なあ、盛り上がっているとこ悪いんだが、武田から見た新田より、武田の事績そのものをまとめるのが先なんじゃないのか」


「それはそうかもしれませんが……」


 春日虎綱は、やや思うところがありそうだ。ただ、後代の歴史研究を考えれば、少なくとも同時代の本人たちが把握している内容が残っているのは、とても助かりそうだ。


「上杉、北条でもそれぞれの事績をまとめてくれるといいんだが」


「興味を示してくれそうな方が、上杉にいらっしゃるでしょうか」


「うーん、長尾藤景にでも相談してみようか」


 そんな話をしながらも、春日虎綱は繁朝の覚え書き的な紙片の束を熟読している。


「最近になって、北方の話がだいぶ増えていますな」


「そうなんです。分けて記述した方がいい気がしつつも、相互に関連する内容が多くてですね。そして、奥州の話はどうしても伝聞になってしまいますから」


「どうにかして、くわしく残すべきですな。北畠の末裔と、新たな新田が手を取り合って南を目指すというのは、盛り上がる展開ですので。……それがしが、北へ向かいましょうか?」


「北を任せる可能性はあるが、記録目的でってのは勘弁してくれ」


「それは、確かに不純でしたな」


 春日虎綱の笑みに屈託はない。そして、話が農業支援方面に転がると、箕輪繁朝から様々な情報が引き出されていた。




 旧小山領は、元時代では小山市の辺りとなり、飫富昌景によって統治されている。


 精強な赤備えの軍勢を引き継いだ小柄な若き武将は、水軍、大砲、バリスタ、忍者といった特殊な兵種に強い興味を抱いているようだ。


 大砲の発射間隔や運用方針、バリスタの輸送法に、忍者による浸透の実際など、確かに興味深いだろうが、なかなか説明しづらい部分が多い。


 質問への歯切れが悪いことから、俺の思考を察したのか、飫富昌景が表情を改めた。


「客将という身分が邪魔になるようなら、臣従させていただきたく」


「いや、しかし、武田との講和が成立したら、帰国の目もあるからなあ」


「そうですか……」


 がっくりと肩を落とされると、なんだか気の毒になってしまう。


「まあ、総てを明かすかどうかはともかく、ざっとは伝えておくよ。まずはなにからがいいかな」


「では、ばりすたについて」


「わかった。実際は船で使うのが基本になりそうなんだが、荷車に積んで運ぶ場合もあってだな……」


 武田の技術開発力は、どんなものなのだろうか。軍記物的には、鉄砲に翻弄された勢力として描かれる場合が多いが、三段撃ちの史実性は元時代でも議論の的となっていた。


 高度に武装され、四天王が揃った武田と正面から戦うのは、正直ぞっとしない。ただ、目の前で知識欲に燃える若き武将の思いを無視するのも、俺には難しかった。




 元時代のつくば市を周辺とする旧小田領は、香取海の湖畔に位置しており、水運の拠点でもあった。保科正俊は、客将二人を含めた新たな三地域の要員のまとめ役的な存在ともなってくれている。


 この人物の興味は、現状では商いに向かっていた。信濃では川を使った小規模な水運を除けば、人馬による輸送が中心となっている。商いの発展は急なものとはなりようがなく、湖畔の商業都市を治めることになった現状から、かなりの衝撃を受けているようだ。


 しかも、新田領となったからには、西から新田の産品が流れ込み、湖上水運で各地に向かっていた。


「津料は低めで、商売にも介入しないとなりますと、新田の利益にはならないように思えますが」


「いや、産品が売れれば、新田の領内が潤っているわけだからな。商人からも売上の二十分の一税は徴収してるし」


「ですが、自己申告では……」


「まあ、そこは、細かく追求するより、気持ちよく払ってもらえる相手からだけでいいと思ってる。自前の事業がうまくいかなくなれば、そうも言ってられなくなる日もくるかもしれないが」


「そして、香取海の湖上交易よりも、北方交易の方が重要度は高いわけですか」


「そういう面もある。本来なら、北方交易は、香取海経由で行ないたいくらいなんだが……、現状では海が荒れる危惧を含めても、房総を回った方が安全そうでな」


「襲撃がありうるため、となりましょうか」


「加えて、水深が浅いところがあるようだから、座礁の危険もあってな。沿岸を制圧できれば、また話は変わるんだが」


「佐竹や千葉を屈服させますか」


「まあ、いずれはそんな話も出てくるかもしれない。今のところは、商人に任せて問題ないさ」


「商人と言えば、高利貸し対応についてなのですが」


「うん? 事務方で対応手法もまとまっているから、さほど手間はかからないと聞いているが」


「実は、湖上水運が盛んなためか、拠点を別の町に移して、そこから取り立てに来ているようなのです。把握できれば、制止のしようもあるのですが……」


「証文を持っていかれていると、なかなか難しいな。高利の借金は無効だとの布告を改めて出しつつ、盗賊追捕隊とも連携してくれるか」


「承知しました。場合によっては、内陸への移住も斡旋したいのですが……」


「ああ、頼む。まあ、連中にしてみれば、死活問題ではあるんだろうがなあ。小田、小山、結城や退散した豪族衆に貸していた金は焦げ付いたわけだろうし」


「ですなあ」


 なんにしても、行政については任せて問題ない状態であるのに積極的に関与するこの人物は、信頼してよいのだろう。


 知名度では春日虎綱、飫富昌景に一歩劣るかもしれないが、槍の名手でもあった。ステータス上では内政はBに留まるのだが、問題意識を持って下僚に指示を出してくれれば、それで充分である。得難い存在だと言えそうだ。


 ステータスと実際の能力の乖離は、この保科正俊に限らず生じているのかもしれない。検証となると、なかなかに難しくなってくるが。




 厩橋に戻ると、三日月がのんびりとお茶をしていた。何事かと話を聞いてみると、霧隠才助に実働部隊の指揮を任せているので、身体が空いているそうだ。新人忍者の指導に加わったり、盗賊討伐にも参加しているそうで……。どちらも、過激になっていないといいのだが。


 忍群は今も各方面で活発に探索を続けている。佐竹、宇都宮方面に、新たに確保した旧小山、結城、小田領、千葉、北条方面、信濃方面と、探索対象がだいぶ広範囲に及んでいるため、当初からは規模が拡大した新田忍群でも、やや苦労しているようだ。


 探索についてはどちらかと言えば霧隠才助の方が得意らしく、それもあっての三日月の厩橋滞在なのかもしれない。


 まあ、やがて荒事の局面も訪れるだろうから、ゆっくりできる時があるのなら、楽しんでほしいものだ。


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