【永禄七年(1564年)六月/七月】その一

【永禄七年(1564年)六月】


 上杉と武田の小競り合いが続いているが、ひとまず小諸城、戸石城、葛尾城の辺りは安全圏となった。


 その中で、小諸城域と戸石城域は新田が預かる形で本決まりとなった。


 戸石城は、真田氏に預けると決めた。所領安堵はできないが、城代を任せる形となる。これは、新田家中では例外的な厚遇だと言える。だが、まあ、真田だしなあ。


 幸綱からは、戸石城は真田昌輝に任せたいとの要望があり、了承する。


 同時に、その域内にある芦田氏の旧所領についても、新田方式での年貢を取りつつ家禄を支払う方式での復帰となった。芦田信守、芦田信蕃親子は、なんなら対武田戦でも参加したいと言明している。まあ、そこは配慮するとしよう。


 小諸城には、今回の功労者の一人、上坂英五郎どんが入り、補佐役として真田幸綱についてもらった。


 一方で、真田幸綱には新田の家老として、普段は厩橋にいてもらう形になりそうだ。昌幸、信尹は直轄家臣として扱う。知略に優れる昌幸に対して、信尹は政略寄りの少年だった。


 年若の息子二人の処遇について告げたとき、幸綱はさもありなんと頷いた。


「人質をお預けするのは当然です」


「うーん、人質のつもりはないんだがな。新田の世嗣はまだ幼く、一門衆もいない。何かあったときには、家督は青梅将高か、場合によっては昌幸に譲る可能性もある。その場合、家名は真田にしてかまわん」


「なんですと」


「新田は、家名をつなぐよりも志をつなぐ形としたい。その制度化は、考えなくてはならんがな」


「……当主の座を役職のようなものとするということですか?」


「そういうことだ。家臣の中から有能なものが当主になって、世襲せずにいけば……。それが極端なら、当主はお飾りにして、実権を家老が握る形にして、互選にするとかだな」


「殿……、それは、落ち着いた世が到来してからにされてください」


「だな。先走りすぎるのはよくない」


 そんな流れの中で、新田の軍勢の一部と、武田からの臣従・客将勢を上野方面に送り出すことにした。家族を連れて行く者も多かったのだが、真田昌幸は許嫁を連れている。隣に立つ少女は、山手殿と呼ばれていた。……さて、男子は二人産まれるだろうか。






【永禄七年(1564年)七月】


 甲斐から海ノ口城近くまで北上してきた武田とのにらみ合いには、明智光秀が率いる五千ほどを動員している。


 一方で、深志城を含めた南西方面の攻略には、雲林院松軒に預けた四千を参加させていた。


 どちらの方面を見ても、北信濃は上杉、新田勢に制圧されたとしてもよいだろう。深志城攻めには信濃守護の家柄の小笠原長時も参加しているので、旧領に復帰する流れとなるかもしれない。


 ともあれ、関東への目配りを進めつつ、奥州にどう対応するかを考えられる状況となった。




 北方では、南部家の現当主、南部晴政の弟にあたる石川高信、及び大光寺勢との戦さに続いて、下北半島を治める七戸氏とも小競り合いが始まっていた。


 七戸氏は、蝦夷地交易の拠点として発展しつつあった野辺地湊を擁していて、そこの津料は貴重な収益源だったようだ。十三湊が活況になられては困るのだろう。


 こうなると、援軍を送るべきか。人選を進めていると、久慈実信……、後に津軽為信となるはずだった人物が立候補してきた。


「南部の事情を知っている自分が適任かと」


「だが、久慈姓はまずいんじゃないか? ……そう言いながら、いい名跡を探せていなくて申し訳ないんだが」


「それでしたら、小金井桜花殿が、小金井の名跡を継がせてもよいとおっしゃっています」


「小金井一族は、他にもいたような気がするが」


「退転した叔父御は、かつての主君からも離れて、行方知れずだそうですよ」


「そうか……。桜花と夫婦になるのか?」


「いえ、養子に。その上で、桜花殿は嫁入りをご検討のようですよ」


 いずれ本人から話があるかもと言いつつ、雲林院松軒と恋仲だとの情報を教えてくれた。この久慈実信は、体術に優れて、忍術修行をしているとの話だったが、情報通なところもどこか忍びっぽくなっている。


「なんとまあ。……実信はどうなんだ。あちらで嫁さんを探すのか」


「実は、結婚を許していただきたい相手がおりまして」


 告げられた名を聞いて、俺は驚かされることになった。相手はなんと、新田忍群の頭領である三日月の妹で、厩橋で防諜・情報収集の束ねとなっている静月だった。忍者としての修練を受けている中で、交流があったらしい。


「それはまた……。どちらの件も、相手の承諾があるのなら、もちろん進めて構わん。静月を嫁に出すなら、養女にするかな」


 小金井桜花もそうするべきなのだろうか。そこは、本人たちの意向を確認するとしよう。




 実信とそんな話をした夕方、静月が訪ねてきた。緑茶と大福の用意をして、縁側に座る。のどかな時間は、ありがたいものだ。


 忍者の少女は、どこか思いつめたような表情をしている。


「実は、隠していたことがあったのです」


「ほう……。人はだれもが、総てを明らかにできるものではないかもしれんがな」


 俺自身、本質的なところで嘘はついていないつもりだが、総ての事情、知識を明かすべきではないとも思っている。


「出浦衆である姉者たちが、新田に来るまで流浪していたのは、あたしのせいだったのです。あたしは……、依頼主を殺したのです」


 彼女が訥々と話してくれたところによると、主家的存在だった村上義清が所領を追われ、武田勢に駆逐されていった信濃衆を主な顧客にしていた出浦衆は、苦境に陥ったそうだ。それに拍車をかけたのは、静月の行動だったという。


 本来は手練れの彼女だが、年少であるために今回と同様に依頼主の国人衆の許で連絡役を務めていたそうだ。その状態で、彼女は手籠めにされそうになったという。


 制止できるだけの実力差はあったものの、勢力の命運を半ば握られた状態だったため、受け容れようと決断したらしい。けれど、気付いていたら、静月の手は血に塗れていて、依頼主の死体が転がっていたそうだ。


 その国人衆は隣接勢力に攻め落とされて滅びたのだが、依頼主を殺害して滅亡に導いた三日月らの評判は地に落ちたらしい。


「その状況の中で、新田と縁が生まれたわけか」


「はい……。あたしを殿の近くに置いたのは、姉者としても確認したかったのだと思います」


「俺が静月に殺されずにいられるか、ってことか」


「いえ、あたしを癒せるかどうかかと。……まさか、夫を持とうと思えるようになるとは」


 彼女を癒やしたのは、亡き武郎や蜜柑、澪、大福御前と氏邦らの関わった全員であるように思える。まあ、それも含めて新田家が、ということなのか。


「実信殿には、あたしと同じ苦しみを感じます。おそらく……」


「殺すべきではない相手を、葬った過去があるか」


 養親なのか、主筋なのか。訊いたところで、意味はないだろう。


「実信の道は、決して明るいだけのものにはならないかもしれんぞ。いつか新田から独立するだろう。敵対はしたくないと思っているが」


「ええ、そう感じています。僭越ながら、新田との間を繋ぐ細い糸になれたらと思っています」


「それが主な理由であるなら、無理は……」


「いえ、それはついでです。共に生きてみたいと思えたのです」


「そうか。……奥州に行ってくれるか?」


「はい。よろこんで。……姉者やみんなをお願いします」


 穏やかな笑みが、忍者の少女の頬に浮かんでいた。


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