【永禄七年(1564年)五月上旬】

【永禄七年(1564年)五月上旬】


 碓氷峠を越えた新田勢は、前衛に忍者隊を配置し、行き会った者たちを拘束しながらの進軍となった。


 とはいえ、さすがに接近は察知されていたと思われる。強襲寄りの奇襲となった小諸城は、あっさりと陥落した。主力の二万が押し寄せて、初の実戦投入となる臼砲に、バリスタなども加えての攻勢を受けては、千余人の守備兵ではどうにもならなかっただろう。大砲を含む攻城機の本格的なお披露目とあって、笹葉と芝辻照延も参加している。砲戦の指揮は、九鬼澄隆と桔梗が担当していた。




 昼過ぎに城攻めに目処が立ったところで、軍勢の大半はそのまま西へと向かった。それに先立って、三日月率いる忍者部隊が進発している。


 小諸城のある佐久平から、武田軍と上杉・新田連合軍が対峙する場になるだろう川中島平までは、千曲川が切り開いた平地がほぼ一本道となる。


 そして、佐久平から越後方面へと向かうこの辺りは、かつての武田の侵攻時にえげつない戦さが展開された舞台となる。その再現は避けるために、速攻を仕掛けたいところだった。


 戸石城については、攻囲状態に持ち込んでの無力化までで御の字と考えて、無理に落とさなくてもよいとの指示を出していた。一方で、落とすとなれば、なるべく城兵を殺さないようにとも要望していた。


 ただ、侵攻の先陣を切る忍群の指揮者、三日月はこの地に根を張っていた出浦忍びの出身である。地形と軍勢の配置ぶりを熟知していた彼女は、戸石城の真田勢に自由に動く余地を残せば、今後の進軍に危険が及ぶと判断したようだ。


 夜半になる前に、陰忍隊、剣豪隊による強襲が仕掛けられた。被害は皆無とはいかなかったものの、留守居役とはいえ真田勢だと考えると、敵味方の死傷者は少なく済ませられたのだろう。真田の一門衆で、現当主幸綱の弟に当たる矢沢頼綱を生け捕りにできたのは、望外の展開だった。




 葛尾城域は、かつてこの地で国人衆として勢力を誇った村上氏の本拠地で、武田との激戦を繰り広げた舞台となる。その当主の村上義清は、武田を二度に渡って撃退しながらも、執拗な攻勢、調略に屈する形で、ついには越後に逃れることになった。この義清が軍神殿を頼ったことが、これまで四次にわたって繰り広げられた川中島合戦の契機だったとも言える。


 千曲川は、この辺りでは南東から北西へと流れる。北東の河岸にせり出す山の頂に、葛尾城は築かれていた。


 雄大な山城だが、事前の偵察ではそれほどの強化はされていないようだった。武田としては、勢力圏に収めたためにその必要性を感じなかったのだろうか。


 明け方の忍者・剣豪隊による急襲は、新田のかつてのお家芸ではあるが、このところは実施していない。


 できれば落としたいとの考え方だった戸石城と違って、この城の確保が今回の肝となる。川中島方面から見た時、この葛尾城以外に大軍が拠れる城はない。そのため、大きな意味を持ってくるのだった。


 陰忍と剣豪隊を総動員しての夜襲は、空振りに終わった。……空振りという表現は適さないかもしれない。この地は甘利信忠が治めているが、本人は甲斐方面に出陣中である。その留守居役達は、未だ戦時体制に入っていなかったようで、平野部にある居館に留まっていたらしい。いや、こうなってくると、よほどの危急の際でもなければ、山城に人を入れることはしていなかったのかもしれない。


 いずれにしても、警備の数人を無力化しただけで、葛尾城は確保できたのだった。しかも、その数人は現地徴用の軽格の武者で、村上義清が戻ってくるかもしれないと告げられると、小躍りして協力を申し出てきたそうだ。


 ともあれ、思惑通りに葛尾城が入手できたので、罠を仕掛ける段階へと移行した。並行して偽使者を川中島方面へと向かわせて、上杉勢によって小諸城が落とされ、戸石城までもが急襲されているという、真実と虚偽を混ぜた情報伝達を試みた。この使者は、以前から潜入済みの忍者なので、存在としてまったくの偽りというわけでもない。




 そして、越後との国境方面に放っていた物見が戻ってきた。長期のにらみ合いもありうると考えられた両軍は、既に碓氷峠越えでの敵軍侵入との知らせを受けたらしい武田側が動いて、合戦が行われたそうだ。


 実際には、武田の有力な軍勢を川中島方面へ引っ張り出し、その上で碓氷峠を越えられれば……、そして、甲斐から武田の本隊が急進してきている様子もないからには、情勢は有利である。この上で、関東を北へ急行している軍神殿が碓氷峠を越えて、佐久平に至って甲斐方面に睨みをきかせれば、武田の北進軍は袋の鼠となる。


 そう考えると、南下した上杉勢は、壊滅さえしないでくれれば、にらみ合うだけでも充分なのだった。その間に、碓氷峠を越えた我が新田が、佐久から千曲川流域の、ほぼ戦力の置かれていない地域を制圧し、川中島へと向かえば。


 挟撃とまではいかなくても、兵糧面でも、指揮の面でも、相手をジリ貧状態に追い込める。


 ただ、窮鼠となった武田勢と向き合うのは、得策ではない。その先は、短期的、長期的に幾つかの計画が定められており、被害を最小化しつつ、最速で決着をつけるための短期プランには、葛尾城での罠が必須となる。ただ、はまるかどうかはなんとも言えなかった。


 そして、川中島で行われた合戦……、第五次川中島合戦と称されるのか、別の名前となるのかは不分明だが、結果としては、上杉・新田連合が比較的優勢ながらも、痛み分けと呼ぶべき状態で武田勢が撤退したそうだ。


 長期プラン……、川中島平に武田勢を押し込めて削っていく計画は、彼らが拒絶した形となる。罠の準備を急ぐとしよう。




 武田軍が南下してくる様子は、途中から捕捉できていた。大軍での警戒しながらの進軍だけに、即日で到来するわけではない。その間に、先行した黒鍬衆も投入して葛尾城に仕掛けを施しつつ、戸石城周辺の、元時代での上田市となる辺りを制圧する。本隊を投入して、同時にいつもの炊き出しによる懐柔策も併用しつつとなる。


 北へ急報する者もいるだろうが、本隊の動きはむしろ知られてもらわないと困る。


 戸石まで落とされたのなら、どうにかして葛尾城は確保を、と思わせられれば、相手の動きを制御できる。葛尾城に軍勢を入れて、迎撃すれば負けづらくなるが、被害は大きくなる。できるだけ損失を少なくするために、力を尽くすとしよう。


 南下してきた武田軍の物見が接近する時期を見計らって、新田勢が葛尾城南東の、甘利信忠配下の留守居勢が拠点とする満泉寺のある平地方面へと動き出す。


 慌てて葛尾城に籠ろうとした者達は、新田忍びによって丁重にもてなされることになった。この状況で、敵の死者を減らそうだなんて余裕はない。


 葛尾城の降兵が、新田忍びと共に南下中の武田軍へと走る。甘利の守備隊が南東の出城で防衛を試みている、というのが携えた偽報だった。そうせざるを得ない状態に陥っているという意味では、事実なのだが。


 今ならば、葛尾城に籠城できる。そう判断したらしい武田勢が急進を始めた。対して、新田勢はようやく敵の接近に気付いたていで、千曲川沿いに急進する。


 上杉・新田連合軍との衝突からほとんど休まずに来ていた武田勢は、色々な意味で余裕がなかったのだろう。総勢一万ほどが、丸ごと籠城を選んだようだ。


 選択としては、決して間違いではないだろう。兵の常備こそなされていなかったが、葛尾城には一定の兵糧が蓄えられていた。北信濃を蹂躙されるのは業腹なことだろうが、この葛尾城に籠城しつつ、状況に応じて出戦し、武田の本隊がやってくるまで耐えれば、戦況は一気に五分に近くなる。


 そう考えるのは、むしろ自然なことだった。




 そして、この頃までに、川中島方面に派遣された武田勢の概要は把握されていた。


 総指揮は、赤備えの手勢を率いる武田の宿将、飫富虎昌が務めている。三年前に碓氷峠を越えて侵攻してきた際の武将の一人、飫富昌景の叔父に当たる人物で、昌景もまた参加しているようだ。


 副将格は大熊朝秀で、かつては越後長尾の武将として、軍神殿を支えていた人物となる。他に、甲斐勢としては春日虎綱……、後世では高坂昌信として知られる、百姓から信玄に取り立てられたとされる人物もいた。


 このうちの飫富昌景と春日虎綱は、後に武田四天王の一人にも数えられる勇将である。


 信濃勢としては、以前にも手合わせしている真田幸綱、保科正俊の他、芦田信守らの参戦が確認できている。真田昌幸については不明で、もしかすると武藤喜兵衛となって信玄の側に仕えているかもしれない。




 北西の搦手側から武田の者達が入った葛尾城に、正面、搦手の両側から新田勢が、こわごわながら、といった風情を醸し出しながら接近していく。その間に、葛尾城では炊事の煙が立ち始めたようだ。敵勢の追撃がありうる野営続きだったわけで、満足な食事も取れていなかったろう。


 ゆるっとした攻囲をかけている中で、西の空に夕焼けが生じつつあった。距離は遠いが、戯れに弓でも射ようかと、城の物見所から顔を覗かせた兵が、ひっと悲鳴を上げる。


 彼の視界に、新田勢が到達していなかったはずの各所に、大中黒の旗幟が乱立していたためだった。


 騒然とする葛尾城内だったが、実際には追ってきた兵が旗を掲げたのではなく、伏せていた者達が攪乱戦術を仕掛けているのだった。




 そんな中で、新田の軍勢から進み出たのは、三人の巫女装束の人物だった。彼女らの頬も巫女服も茜色に染まっている。


 技量だけで選抜すれば、また話は違うのかもしれない。ただ、やはり弓巫女となると、澪と凛と栞のこの三人が思い浮かぶ。


 火矢が用意されて、ひょうっと放たれた。夕闇と呼ぶにはまだ明るい中を、炎が軌跡を描いて城へと吸い込まれていく。


 命中と同時に、城壁が猛烈な勢いで炎を上げ始めた。この時代には、まだ天守は普及していない。山上で堅牢ではあるものの高さがないだけに、攻めづらいとの印象はなかった。




 仕込んでいた火薬に火矢が当たればそれもよし、外れても潜入済みの忍者が着火する予定だったのだが、弓巫女の放った火矢は予定の三箇所に命中した。神意があるかのように演出している身で言うのもなんだが、神業である。


 火勢は猛烈で、特に搦手門はあっさりと炎に包まれた。一方で、その他の発火地点は外壁中心である。けれど、中で忍者が派手に騒いだこともあって、また、実際に炎と煙に追い立てられて、立て籠もっていた武田兵が次々と逃げ出してくる。唯一の避難路となった正門前では、新田勢が賓客を迎える儀仗兵であるかのように、左右のやや高くなったところに盾を並べて待ち構えている。


 得物を構えつつ、武田兵が飛び出してきた。新田の者達は、特に戦おうとはせず自衛に努める。と、先頭の足軽の足元が崩れた。続く者達は訝しんだが、火に追われる後続からの圧力によって止まることができない。


 結果として、次々に飛び出した武田兵は、次々に姿を消してった。




 抵抗する者は斬り伏せろ、との指示は発されていたが、川中島で一戦を交えて撤退し、緊張感漂う行軍を強いられ、葛尾城で一息つけると思った矢先に城が火に包まれたのである。さらに、搦手門の火勢が強く、正門から飛び出したら、そこには落とし穴が設置されていて……。


 ただし、虐殺を志向したわけではない。落とし穴はごく浅く、そこから滑り台状に掘られていた。滑ってたどり着いた先では、新田勢の槍衾と剣豪勢、小者らが待ち構えていた。


 もしも皆殺しにするのならば、城に誘い込んだ時点で、有無を言わさず火を放てばいいのである。火薬と石脳油、硫黄などを材料にした開発局渾身の燃焼剤を本気で使えば、一人も残さずに焼き殺せたものと思われる。


 ただ、それは……。俺の心情としてしたくないし、今後の評判にも関わる。新田は、騙し討ちで実力以上の成果を挙げている。そう思わせておけばいいのである。


 結果として、被害の出かねないやり方で捕縛を試みる形となった。この場は、行きがかり上、俺が指揮を執っている。ただ、さすがにその状態から抵抗する気力を発揮した者は少なかった。


 そして、名のある武将については、俺が剣豪勢に確保を依頼する形となった。得物を奪われた者達のほとんどは、地べたに座り込んで、燃え上がる葛尾城を見つめて放心していた。とはいえ、忍者勢が油断なく警戒してはいたが。




 やや開けた地で、炊き出しの準備がおこなれている。天候が悪化したなら、平地まで下ろすことも考えていたが、幸いなことに夜空には星が煌めき始めている。


 まず対話すべきは、敵軍を率いる主将なのだろう。本人も赤備えに身を包んだ飫富虎昌は、負傷はしていたものの意識は明晰だった。周囲には、主だった武田の武将の姿もある。


「新田殿は、戦った相手を皆殺しにすると聞いておった。なぜ我らを殺さぬのだ」


「二年前の、鬼幡勢の話かな? 攻めてきた者に、容赦するつもりはない。だが、今回は身を守るためとは言え、侵攻側だからな。なるべく殺したくない」


「ああ、あのような馬鹿げた仕掛けを施すより、城内で焼き殺した方が簡単だったろうな。……長尾と同心して武田を攻める名分がどこにある。連中に、それほどの恩義があるのか」


 毒々しい口調ではあるが、不思議と嫌な気はしない。もしかすると、本気ではないのかもしれない。


「いや、武田が上杉を打ち倒してくれるのなら、武田に降る選択肢もあった。初回の西上野侵攻の際には、甥御殿にそう申し伝えたはずだぞ。……答えは、北条との挟撃だったな」


「それで、本気で戦ったわけか」


「ああ。あのときも、今回もな。……武田の軍勢の半分は、これで無力化された。北信濃は解放されるだろう」


 空気が微かに動いたようでもあった。この場にいる者達の出自は様々である。


「そうか。……武将どもはともかく、兵には寛大な処置を望む」


「軍神殿のご意向にもよるが、極力そのように対応しよう」


 その後は、武田方の諸将が相談したいようなので、流れに任せることにした。




 葛尾城は、ほぼ燃え落ちてしまった。計画では、半焼くらいで留めるつもりだったのだが……。どうしよう。


 困惑していると、突き刺さる視線を感じた。そちらに目を向けると、見知った人物の姿があった。真田一族の少年武将、昌幸である。俺は、手を上げて歩み寄った。


「よう、昌幸。ひさしぶり。信玄の側近にでもなった頃かと思っていたぞ」


「この戦いが終われば、人質がてら向かう予定だったのだ。……いや、予定だったのです」


「なんだよ、水臭い。剣聖殿の従者扱いでかまわんぞ」


「いや、そういうわけには……。まあ、いいか。信濃は、解放されるのか?」


 やはりこの人物は柔軟な思考の持ち主のようである。


「小諸城と戸石城は落とした。おっつけ、輝虎殿が碓氷峠を越えて小諸城へやってきて、甲斐からの軍勢を迎え撃つだろう。北からは、お主らと矛を交えた上杉と新田の連合軍がこちらに向かっている。……南信濃は今後の展開次第だ。北信濃までかもわからん」


「そうか……」


 昌幸の父親の真田幸綱は、二十余年前に始まった武田の信濃侵攻を受けて一時は上野に逃れ、後に武田に服した経験を持つはずだ。けれど、昌幸にとっては物心ついた頃から武田による統治が続いていることになる。彼にとって、武田の信濃支配はどのようなものだったのだろう。……まあ、直轄的な土地でなければ、話はまた違うのかもしれない。


「幸綱殿に伝えてくれるか? 従属を表明してくれれば、真田からの兵士は手厚く遇して無事に返すと約束すると」


「けれど、新田家は従属による所領安堵は認めないのではなかったか?」


「そこは、これから考える」


「承知致した」


 昌幸と別れたところで、忍者の一人が声をかけてきた。急いで向かったが、武田勢の主将、飫富虎昌は既に絶命していた。傷は重かったようだ。


 手を合わせて祈りを捧げると、周囲で新田の者達がそれに倣った。この人物は、史実では武田義信の謀反に絡んで処断されて落命している。今回の死に様もまた、無念ではあったろうが。




 大将級の中では、まず真田幸綱と対話することになった。


「昌幸から、伝言は聞き申した」


「新田の流儀として、これまで所領安堵は約束してこなかったが、信濃ではやり方も変えるかもしれない。ちょっと検討させてくれ」


「いえ、新田の統治法は承知しております。家禄をいただけて、領内からの収穫は五公五民で、新田のために働いた者には、それぞれに禄をいただけるのでしたな。それを適用いただけるのでしたら、臣従させてください」


「そうか。歓迎する。……一族のうち、甲斐にいるのは誰になるんだ?」


 こちらには、次男の昌輝と、その下の昌幸と信尹がいて、長男の信綱が甲斐の信玄の軍勢に参加していたそうだ。


「なるほど。……このまま上杉が武田を降すとは限らないが、長男が武田側なら、悪いこともないか。まさか、処断はされないよな?」


「おそらく、その余裕はないかと」


「まあ、情勢によっては、新田がまるごと武田に降る可能性も皆無ではないし」


「それは……、あまり考えたくはありませんな」


 幸綱にとって、武田信玄とはどういう存在だったのだろうか。甲斐衆と信濃衆でもまるで見え方が違いそうだが、ここで訊いてもまともな答えは返ってこないだろう。


「他の者達は、どうするだろうな。譜代の臣下らは、降伏は難しいだろう」


「降伏しなければ、斬首なさいますか」


「いや。……そうだな、軍団ごと降伏してくれるなら大歓迎。あるいは、客将として、武田戦以外に相手を限定するのもありだ」


「ほほう」


「新田の捕虜として処遇してもいい。歓待するが、軍団は解散させてもらおう。その場合は兵については上杉殿扱いとなりそうだが、まさか惨殺はしないだろう。そして、それも拒否するなら、軍団ごと身柄を上杉に引き渡すかな」


「よろしければ、それがしから皆に申し伝えますが」


「ああ、頼めるか。……飫富昌景殿、春日虎綱殿などは受け入れがたいであろうな」


「昌景殿は、叔父御を亡くされたばかりですしな。まだ二十代前半ですので、どう判断されるか」


「飫富の赤備えは、昌景殿が継がれる形になるのかな。……それと、芦田殿は、輝虎殿との調整は必要だが、本貫地に戻られてもよい。まあ、そこは真田との兼ね合いもあるだろうがな」


「承知致しました」


 幸綱が間に入っての交渉の結果、保科正俊と、芦田信守・信蕃親子は降伏を受け容れ、飫富昌景、春日虎綱は客将となることで合意が得られた。


 保科正俊は、二度にわたって碓氷峠越えの上野侵攻に参加した信濃出身の武将で、鬼幡勢が皆殺しされたと聞いた時に悲しげな表情を浮かべた人物となる。


 飫富昌景と春日虎綱は、後代ではそれぞれ山県昌景、香坂昌信として知られる武将である。時期によって入れ替わりはあるにしても、武田四天王として名高い二人が一時的にせよ傘下に入ってしまった形となる。


 そして、真田幸綱、昌幸父子は、真田三代として知られる真田一族の初代と二代目である。


 あまりにも派手な展開に酔っ払ったような気分になっていると、蜜柑が駆けてきた。


「ここにいたのか、護邦。三日月が騒いでいるのじゃ。すまんが、止めに入ってくれぬか」


 そう言いながら、有無を言わさず引っ張られるのは、わりといつものことである。


 騒ぎの現場では、三日月が何者かと戦闘を繰り広げていた。忍者特有の、目にも留まらぬ仕掛けが重ねられている。


 相手のステータスを覗くと、武田家臣の出浦盛清(いでうらもりきよ)と出ている。


「あー、三日月よ。もしかして、兄上かな」


「本気で戦ってるのなんて、見ればすぐに分かるでしょうに、声をかけてくるとかありえなくない?」


「ばっ……、お前、相手は主君なんじゃないのか」


 慌てた様子の兄の方も、手を止める気はないようだ。


「主君っていうのも、ちょっと違うような気もするのよね」


「うーん、なら、同志かな?」


「あんたの志ってなんだっけ?」


 刺突を避けながら訊いてくる三日月の声音は軽い。


「みんなでうまいものを食って仲良くする」


「いいわね、それ。なら、同志でいいわっ」


 力を込めた一撃が、相手の苦無を弾き飛ばした。手を痛がる素振りを見せながらも、出浦盛清の瞳から闘志は失われていない。


「出浦党の党首とお見受けするが、お聞きの通り三日月は我が同志でな。本気で討つ気なら、新田全体でお相手致すが」


 いつの間にか、加藤段蔵、猿飛佐助、伊賀の蝶四郎、甲賀の高峰数信らが俺の背後に揃っていた。敵に回すとなると、ちょっと怖いよな、これ。


「ふん。依頼人殺しが、偉そうに」


「殺すっ。絶対、殺す」


 三日月の斬撃は言葉通りに本気であるようだった。


「待て、三日月。事情はあっても、降伏した武将を殺すのは避けてくれないか。……出浦盛清よ。なにが望みだ。放免されたいから、ごねておるのか」


「違うわっ。出浦党を割ったこいつが大きな顔をしてるから」


「元が出浦党でも、今では伊賀、甲賀、風魔出身者を束ねる新田忍びの事実上の棟梁でな。多少は大きい顔をしても罰は当たらんだろう」


 背後の大物達からの圧迫感は、若い忍者をやや怯ませたようだ。


「静月も一緒なのか?」


「ああ、厩橋で防諜と探索の束ねをやってくれてるぞ」


「ふん。……それなら、従ってやらぬこともない」


「なんだって?」


「臣従すると言ってるんだ。静月を守り切るつもりなら、その覚悟は認めよう」


 腕組みをして言明した出浦盛清に、反応したのは三日月だった。


「はんっ、なにを偉そうに」


「なんだとっ」


 兄妹というのは、こういうものなのだろうか。




 ……兄妹喧嘩で一日が終わるかと思ったのだが、また呼び出しがあった。大熊朝秀が、切腹したいとの意向を示しているそうだ。


 この人物は、軍神殿の家臣だったのが、政争に敗れる形で武田についた経緯があるので、仕方がないのかもしれない。まだ長尾景虎だった頃の軍神殿は、出家騒ぎを起こして越後を飛び出したことがあったのだが、この大熊朝秀と本庄実乃、直江実綱との間での内紛が激化したのが原因だったようだ。


 越後を離れ、武田に移っても重臣扱いされており、内政面にも通じた有能な武将だが……、やがてこの場に現れるだろう旧主と顔を合わせたくないのか。


 ささやかながら、惜別の宴を催すための酒や肴を用意した。武田の諸将と別れを告げた大熊朝秀は、夜が明ける前に旅立っていった。


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